『ティセ』
「本当は……もっと、優しい物語にしたかった……」
栄誉ある賞を受賞した彼女は式典の場で涙を流しながらその言葉を放った。
彼女が世に生み出した作品は【帰還。】というタイトルの長編小説。
以前から彼女のファンだった百花は、発売当日に購入し、既に読了していた。
ファンタジー作品で彼女にしては珍しい話だと思った。
【帰還。】は、国から追放された若き王が、後に出逢う仲間とともに旅をしながら成長し、立派な王の素質を備えて母国に戻るという大まかなあらすじ。
こういうストーリーの作品は他にも沢山あるけれど、彼女の描く作品は言葉が綺麗で彩りがあるところが魅力的だった。
若き王は、暗殺された両親の跡を継いで王の座に着いた。
けれど、王の座を狙う弟の《リオン》により、反逆が起こり、戦いの末、《シオン》は敗北し、国から排除された。
若き王に残されたものは、強大な魔力と、芯の強い二人の側近だけだった。
権利も財力も衛兵も民衆も全て弟に奪われてしまった。
穏やかにのほほんと育てられた若き王は世間知らずでとても心優しい青年だった。
そんな彼を支えるのは側近の《エルマ》と《ティセ》。
二人は元々奴隷で、《シオン》に救われた恩がある。
だから、命をかけて若き王を護ると誓っている。
安寧の世界しか知らない《シオン》にとって、旅は過酷であり残酷なものであったが、訪れた国々で逢う者たちと触れ合う内に、優しさだけでは勝てない強さもあるという事を知る。
そして、数々の世界を渡り歩き、沢山のものを見て、色んな情勢を知り得た。
仲間も沢山増えて、家族のように絆の深い関係を築いていった。
若き王が母国に帰るまでは七年程掛かった。
その間にも色々なことがあり、すったもんだもあったけれど、皆成長し、時が来たと思っていた。
「何がダメだったの?」
百花の話を聞いていた友人の千歌は、カフェオレを嗜みながら問いかけた。
「作者はね、皆が幸せになれますようにって想って書いたんだよ。でもそうはいかなかった」
「……自分で書いてるのに予想外とか起こるの?」
「良く聞くじゃない?物語を書いてると、作中のキャラ達が勝手に動いちゃうって。それに嵌ったみたいなんだよ」
「ごめん、意味不明」
「分かる。何それって思うよね。でも、本当にそうなるんだって。それだけキャラに思い入れが強いって事なんだよね」
「……そんなものかね」
「まぁ、小説家は変態だからね」
彼女の描いていたラストは、仲間達とともに母国に戻ってきた若き王は、弟と対峙し、本当の強さを確め、王の素質に見合った若き王がその座を取り戻した、というものだった。
でも、実際はそんな上手くはいかない。
母国へ戻る途中で訪れた世界で、戦いに巻き込まれ、仲間の三人を失ってしまう。
哀しみに暮れながらそれでも前へ進もうとする彼らにまた不幸が襲いかかり、仲間の二人が死んでしまう。
旅の道中で出逢った仲間は皆、居なくなってしまった。
母国に着いた時には、側近の二人だけしか《シオン》には残されていなかったのだ。
そして、弟の現王と対峙した時、最後の裏切りが待っていた。
「ここまで言ったらネタバレになっちゃうね」
「いいよ。読まないし、聞くだけならタダだし」
「本当は読んで貰いたかったんだけど、ま、いっか」
百花はアイスコーヒーで喉を潤し、話を続けた。
『……なんで……。キミが……刺客……?』
《シオン》は揺らいだ瞳で眼前の青年を見つめた。
今まで忠誠を誓っていたのは演技だったのかと今更になって気付いてしまった。
若き王が現王に向けた刃を受け止めたのは、側近だった筈の《エルマ》だった。
彼は冷たい瞳で、若き王の刃を薙ぎ払った。
『《エルマ》……』
『《リオン》様の真の目的は、あんたを国から追放させる事じゃない。生きる意味を断つ為だ』
『主への裏切りは死に値する。《エルマ》、今までのキミは偽りだったのか……?』
『……お前みたいに一途にはなれない。《リオン》様は僕を必要としてくれた。お役に立てるなら何だってしようと思った。だから、奴隷のフリをしてわざとその偽物の王に拾われたんだ』
『最初から……嘘……だったの……?俺との約束も……?』
『惨めな扱いをされてきたキミと同じ境遇に立つのは些か苦痛だったけど、思った以上に楽しめたよ。絆ごっこも割と面白かった』
現実を受け入れられない《シオン》はその場に膝をつき、両手で顔を覆った。
『キミ達が悪いんだよ、《ティセ》。《リオン》様の想いを踏み躙ってそんな憐れな王に靡くから』
奴隷だった《ティセ》を買い取ったのは《リオン》だった。有効利用出来る存在が欲しかったらしい。
けれど、《リオン》のやり方に納得のいかなかった《ティセ》は反抗し、処刑にされそうになっていた所を《シオン》に救って貰ったのだ。
横暴な《リオン》とは真逆で、優しくて謙虚な《シオン》に惹かれていき、一生お仕えすると誓った。
『いくらその軟弱な王に仕えようとも、私が掛けた呪いは解けてはいないのだろう?』
蔑むように嘲笑う現王。
ただで奴隷から解放された訳では無い。
《リオン》は思考がもう狂っていたのだ。
『"命令”だよ、《ティセ》。その無様な人間を殺せ!』
解き放つように叫ばれ、その瞬間、《ティセ》の中で何かが蠢いた。
『……い、やだ……!殺したくない……!』
言葉とは裏腹に、姿勢は嘆いている《シオン》に傾いている。
手が勝手に剣を取り、その刃を愛しき者へと向けた。
『さぁ、殺せ!』
想いとは相反し、刃が光る。
『《ティセ》』
名を呼ばれ、不意に身体が固まる。
その一瞬を捉え、《シオン》は魔力を放った。
剣は音もなく光の粒と化し、《ティセ》の姿も足元から透けていった。
『……陛下……』
『《ティセ》、最期まで忠誠を守ってくれてありがとう』
唯一の味方を空へと見送り、若き王は立ち上がる。
『その場所は、キミには相応しくない。返して貰おうか』
優しさは時に冷酷と化し、その魔力は抑制を知らない。
兄より優れていると自負していた弟は、迫り来る魔力に太刀打ち出来ず真っ向から浴びてしまった。
権力で着飾った姿は見るも無惨な姿へと変化していき、ドロドロの液体となったそれは異臭を放った。
『《リオン》様……』
『主を守れない下僕なんて、存在意義すら皆無でしょう。貴方もああなりたいですか?』
『……嫌だ……。醜いのはもう……』
『なら、私に忠誠を』
『……えっ』
『裏切り者のレッテルを貼るつもりはありません。旅の間はずっと貴方に支えて貰いましたから』
『……怖く、ないの……?また……裏切ったらって……』
『一度裏切りを働いた者はその罪の重さを知っています。その後悔も。背負い切れない程の重圧を抱えて再度誰かを裏切るなんて、余程の精神異常者くらいですよ』
『でも……』
『……罰としてなら、受け入れてくれますか?』
『罰……』
『その方が割り切れるでしょう』
『……もし……あんたを守りきれなかったら……?』
『自死を許す』
その罪も全て背負って死ね、と理解出来た。
この先、《エルマ》が一人で生きていくには些か状況は厳しい。
王座を奪還した《シオン》の下僕として忠誠を誓い、死を全うするしか道はない。
『──分かりました。再度、貴方に忠誠を誓います』
『ありがとう、《エルマ》』
微笑んだ若き王は、とても優しい瞳をしていた。
「……ん?それのどこが優しくないの?」
一通りの話を聞き終えた千歌はキョトンとしながら聞いた。
「えっと……一旦話はこれで落着なんだけど……。若き王が王座を奪還して数年が経った時にね、反乱が起きるの」
「穏やかな世界にしたかったのにねぇ。なんで?」
「……壊れていったんだよ。愛してた人を自分の手で殺したっていう想いが色濃くなってって、それに闇が漬け込んだの」
「闇堕ちか」
「うん……。幸せな結末からは程遠く、若き王は、民衆も衛兵も《エルマ》さえも自らの手で葬った。残酷な世界にしてしまった。その罪を省みず、《シオン》は国を燃やした」
何が彼を狂わせたのか、その罪を咎める者すら存在しない。
《シオン》にも、掛けられた呪いがあった。
【幸せになればなる程、その全てを破壊したくなる】と。
《リオン》はその事も承知で敢えて悪者となって兄から国を守っていたのではないか、と。
「やだなぁ……。幸せになったら壊したくなるって」
「でも……分かるよ。めちゃくちゃにしたいって思うもん」
「え、やめてよね。事件とか起こさないでよ?」
「無い無い。そんな度胸、持ち合わせてないよ」
所詮はただの創作物。
けれど、描いた彼女は、フィクションではなく、本当の話だと思う位に泣いていたのだ。
「優しい物語なんて、現実逃避したいだけの逃げ道でしかない。誰かを救いたいなんて、所詮は妄想だ」
小さな呟きは友人には届いておらず、百花は空を見上げて含みのある笑みを浮かべた。




