『狼は嘘をつかない』
「彼を助けて下さい。――どうか、神様・・・」
少女の祈りは人々を不安に捲き込んだ。誰を助けたいと言うのか、訝しげに首を傾げる。
クラスでも浮いた存在だった少女・新絵。いつもニコニコしながら絵空事を呟いていた。そんな彼女に友達はいない。其でも構わないと言う風に新絵は楽しそうに過ごしていた。
「お前見てると安心するよ」
放課後、話し掛けてきたのは、クラスでも上位の男子・結里。その日は珍しく独りでいた。
「不安なの?」
「あぁ・・・。ちょっとハブられた。だから傷心気味な訳。お前は友達いないの?」
「要らない。にえと一緒にいたら迷惑掛ける。可哀想って思う?」
「いや。良いんじゃない?俺には無理だけど」
「仲直り、した?」
「えっ・・・。しないよ?」
「悪い事したのは、アナタ?友達?」
「・・・俺。調子乗りすぎたわ。怒るとは思わなかったからな」
「人は傷付くよ。どんな些細な事でも、胸に穴が開く。大切なら、仲直りがお薦め」
「――そっか。解ったよ。話してみる」
「ガンバ」
「おぉ!」
その日を境に二人の距離は縮んでいった。結里は友達と仲直り出来たらしく新絵にお礼を言ってきた。放課後、皆がクラスからいなくなると二人で話す時間になった。新絵の噂を聞いていた結里は実際に話してみて新鮮さを覚えていった。新絵は思想的でいつも空想ばかりしている。けれど、性格は淡々としていて話しやすい。彼女の事をもっと知りたいと結里は思った。
「――でね、皆が言うんだ。“あいつは嘘つきだ”って。でも、にえは羊飼いの少年が好き。彼の言葉に耳を貸した人々はもっと彼に興味を持つべきだったんだ。誰かに振り向いて欲しかったんだ。そんな事しなくても、隣に話し相手が居れば、嘘つきにはならなかったかもしれない」
新絵は自分の好きな話をした。結里はいつも聞く係り。自分から話題を振る結里にとってはそれも新鮮で居心地が良かった。
「新絵はいつもどんな空想するの?」
「この世界じゃない世界の事。此処とは違う世界があってそこには幻想的風景が拡がってるの」
「例えば?」
「えっと・・・。くじらが空を飛んでたり、地球を見守っていたり、大地に溢れた草原で昼寝したり・・・とか。そんな世界を想うのが好き」
いつの間にか結里は新絵の笑った顔にドキッとしている事に気付いた。何の雑念も無い自然の笑み。
「面白いね。じゃあ、その世界に生まれ変わったら、新絵は何する?」
「空を飛ぶの!」
新絵が嬉しそうに言ったので、結里もつられて微笑んでしまった。
「いいねぇ、空中歩行だ?」
「うん!今の世界じゃ、理に敵わないから」
「そんな先の事でもないかもよ?」
「ううん。このままじゃ空は飛べない。緑だっていつまであるか解らない。機能と便利さを優先してしまった人間達の世界だもん。道具に頼らなければ、何も出来ない」
「そっか・・・」
「結里は何をしたい?」
「俺か?そうだなぁ・・・。一日中寝てたいな」
「月から来訪者が来るかもしれないよ?」
「ちゃんと案内はするさ。何も考えずゆっくり幸せに眠りたいぜ」
「ぽかぽか?」
「そう。日向ぼっこだな」
「にえもしたい!」
「じゃあ、夢で落ち合おうか」
「賛成!」
二人の笑い声が室内に響く。そうしていると本当に二人だけの世界であるかのような錯覚になる。絵空事もバカには出来ない。
放課後の日課となっていた二人の話。それは尽きる事なくこのまま同じ時間を過ごしていくのだと信じていた――。
バタンッと強く閉められた車のドア。住宅街であるにも関わらず車は急発進して行ってしまった。
「結里・・・?」
その光景を見てしまった新絵は胸に重たい空気が詰まったのを感じた。
今、あの車は確かに、結里を乗せていった。嫌がる結里を無理矢理押し込んだ。そのまま車は勢いよく走っていった。新絵は自分が何も出来なかった事に気付き呆然とした。
「ゆうり・・・」
新絵は近くの交番へ向かった。
「すいま、せん!拉致!」
「・・・はい?」
「ら、拉致してた!結里の事・・・車乗せて行っちゃった・・・!助けて下さい」
「・・・いや、えっと・・・?もう少し詳しく説明してくれるかな?」
「結里を助けて下さい!拉致されちゃった!車に乗せられて・・・。結里嫌がってた!早くしないと逃げちゃう!」
「とりあえず落ち着こうか。どんな車だったの?」
「青い・・・青い車!横長の!6人位乗れる位大きい」
「ワゴン車か・・・。で、拐われた子の名は?」
「ゆ・・・」
「おい!何本気に聞いてんだ!」
同じ警官が注意混じりに割って入ってきた。
「今、誘拐が・・・」
「この子の言う事は絵空事だ。本当の事じゃない。空想ばかり口走って大人をからかってるんだ」
「なんだよ、嘘かよ・・・」
「違う!結里は本当に」
「これ以上大人をからかうのも大概にしろよ、お嬢さん。此方の迷惑も考えてくれ」
新絵は嫌々追い出されてしまった。本当の事を信じてくれない。新絵は絵空事を呟いてはいたけれど、嘘はつかない子だった。
「助けて!」
結里の友達なら解ってくれると必死に説明した。辿々しくも見た事を1つも漏らさずに。
「お前、何言ってんの?結里は家族と旅行に行ってんだよ。だから当分は連絡するなって」
「違う!あれは家族じゃなかった!其に結里は」
「じゃあ何だよ。また絵空事か?お前の空想に結里まで捲き込んでじゃねぇよ」
相手にされなかった。何度助けを乞うても誰も耳を傾けてはくれなかった。
学校も友達も警察も新絵の言葉を信じなかった。否定されていく内に新絵もあれは結里ではなかったのかも知れないと記憶を疑う様になってきた。
そんな時だった――。
結里と会えなくなってから数日後。宛先不明のメールが届いた。
《大した事ない。すぐに会える。警察に言う程じゃない。手を出さないで。》
新絵はすぐにその意味を理解した。やはり見間違いなんかじゃなかった。結里は誘拐されたんだ。
身動きの取れない体。叫ぶ事も出来ず、塞がれた口が渇く。目の前に映るのは歪な笑みを浮かべた男達。手にはメスやらパンチやら握っている。
「さぁ。解体の時間だよ」
一瞬にして走った激痛。足の指から血が流れている。その痛みに耐える間もなく次の激痛に襲われた。パンチで爪を剥がす彼らは嘲笑していた――。
結里からのメールじゃ居場所までは解らない。もう誰にも頼れない。この事実を知っているのは新絵だけ。
「結里・・・」
ただ願うしかなかった。結里が無事でありますようにと。生きてまた会えると、祈る事しか・・・。
「どうか・・・彼を助けて下さい」
その祈りに人々は眉を潜めた。誰の為の祈りだと。所詮は絵空事に踊らされた少女の空想だと決めつけた。
結里がいなくなって1ヶ月が過ぎた。いくら旅行とは言え、仕事も学校もサボって良いものではない。結里の友達もおかしいと呟き始めていた。
「なぁ、やっぱりあいつの言う事本当なんじゃ・・・」
「誘拐なんてある訳ねぇよ!結里に限ってそんな・・・」
新絵は情報屋と名乗る女と結里の居場所を突き止めていた。その女はあらゆるネットワークを駆使してパソコンを操った。その甲斐あって一日で目星がついた。
「此処よ。今は使われてないビルみたいね」
「結里はそこにいる」
「えぇ。助けに行ってあげなさい」
「ありがと」
新絵はすぐに向かった。取り壊し予定のある廃ビルの一室。声が聞こえ、新絵は備えていたバットで扉を打ち破った。
「なんだ、この女」
「結里!助けに来た!結里!」
「どうやってこの場所を・・・」
「おい!早く追い出せ」
男達が一斉に新絵を取り囲んだ。だが、新絵は準備万端だった。スプレーを取りだし、男達の目に噴射した。殺虫剤。悪い虫は排除しなければ。
「結里!」
「一人で助けにきた事には感心するぜ。けどな、遅すぎだよ」
ガラッとしまっていた部屋が開き、新絵は目を疑った。そこにあったのは、結里の綺麗な首と真っ赤な心臓。
「ゆ・・・うり・・・?」
「こいつの肢体は既に焼いた。残念でしたー」
新絵は結里の首を見つめる。涙の跡がある。
どれだけ辛かっただろう。どんなに痛かった事だろう。その叫びにもっと早く動くべきだった。
「ごめんね・・・」
力の無い自分に腹が立つ。助けられなかった。たった一人、自分を対等の立場として見てくれた存在を、その手で救えなかった。
「見たからには、逃がしはしない」
男に捕らわれ、新絵は手足を縛られた。このまま殺されるのか・・・。死んだら結里に会えるかな・・・。そんな想いに傾きそうになった。
『悔いは無い?愛しい者を奪った彼らに、好きにさせて良いの?そのまま無下に命を狩られるのは癪じゃないかしら』
その声は直接頭に響いた。男達には聞こえてないようだ。
確かにこのまま殺されるのは、腹立たしい。結里にはまだ暫く待っていて貰おうか――。
『化物になる覚悟があるのなら、誓いの言葉を。能力はアナタを不幸にする』
最初から幸も不幸も関係なかった。結里を救えなかったんだ。化物になる位、どうって事ない。
『いいわ。能力を与えましょう。存分に』
目が覚めた時、辺りにあったのは男達の無残な死体。冷え冷えとした室内。硝子の破片が所々に散っていた。
「結里が死んだ・・・?」
後日、誰も新絵の言葉を信じなかった人達はその凶報を聞いて耳を疑った。
「やっぱり本当だったんだ・・・ 」
「なら何でもっと言わなかったんだ!」
「お前が必死に頼めばおれらだって何か出来たかも知れない!」
「そうだ!あんな祈ってる暇があったらもっと強く言ってくれなきゃわかんねぇよ!」
信じなかった自分達を棚にあげ、新絵の説明不足だったと責め立てる。今更、そこを争っても何の意味もないのに。
「羊飼いの少年を信じなかったお前らが悪い」
人々の足元が凍っていった。一瞬で動きを封じられ、体はどんどん冷えていく。逃げようとしても逃げられない。
「そのまま美しく削ってあげる」
綺麗なまでに凍らされた人々を新絵はバットで砕いていった。硝子の破裂音で不協和音が奏でられていく。お前らにはお似合いだ。
「ざまぁみろ!」
こんな事をしても結里が喜ばない事は解っている。其でも衝動を止められなかった。もっと壊したい。
「これは罪の印。暫く借りるね」
その日を境に、新絵と言う少女は死んだ――。
*****
この世界は、4人の少女達によって支配されていた――。
氷を操る能力を持つ少女・ユウリ。バットを片手に今日も絵空事を奏でては空想に浸っている。
「見ててね、結里。にえの罰を。この罪を。余すこと無く見届けて」
あの時、聞こえた声は【彼女】のもので、すぐに納得した。この能力を与えてくれた事、すごく感謝してる。だから、【彼女】の為なら、死んだって構わない。
『アナタの望む世界を創りましょう。化物である事に誇りを持ちなさい』
【彼女】と【主】も絵空事を笑わなかった。二人の為なら、どんな罪も罰も受け入れる。
「もう、何も怖くないよ」
*****
他の仲間と上手く出来るか解らない。でも、それが命令なら受け入れる。嫌われたって構わない。
『歓迎するわ。ようこそ、化物の世界へ』
この手に握るものが微かにでも存在するのなら、私は愛しいアナタの夢にキスをする。
「大好きだよ。結里」
アナタのいない世界なんて詰まらないだけ。壊すのは簡単だ。恐れに屈する人達を壊したい。
『さぁ。世界を手にいれましょう。綺麗な可愛い化物達。不幸の始まりを報せましょう』