『明日のカーラは笑顔であれと。』
どれだけ明日が嫌になっても
今日ほどの苦痛を味わうことになっても
やがて夜は明ける。
「明日」に夢見る全ての者へ。
この詩は、決して賛美なんかじゃない。
明日は必ず誰しもが迎える新しい一日。
同じ今日は二度とないのだ。
変えるなら、変えたいと願うならば、
昨日よりも今日よりも明日に望みを。
少しの変化で周りも変わる。
何も起きないのは、何もアクションを起こしていないから。
環境は変わらない。
「私」が変わらなきゃ周りも変わる事はないのだ。
どんなに今日が嫌いになっても、
今日という日が死にたくなった一日だったとしても、
明日まで生きる意味はきっとある。
その道しか見えてないのなら、目を逸らせ。
今の現状から、昨日の失敗から、明日の恐怖から。
それは逃げじゃない。
手段だ。
「私」が変わろうとしている覚悟の一瞬。
そこで振り返った者はこの先も同じまま。
何の変化もなく、後ろが気になることばかり。
前だけを見据えたなら自ずとわかってくるはずの答え。
変わるのは恥じゃない。
前を向く。明るい方へと手を伸ばす。
「明るい」のは当たり前だ。
だって、日と月がセットになっているもの。
暗いはずないじゃない。
どちらも「私」を照らす光の文字。
だから、泣くなら今のうちに泣いておけ。
めいいっぱい、めいいっぱい。
泣け。吐き出せ。無様になってもいいから曝け出せ。
どんなに明日が怖くても、寝たら明日になってるんだから、どの道逃げ場なんてないじゃない。
失敗してしまった事は活かすだけ。
いつまでも悔やんでるから失敗するの。
失敗は怖くないんだよ。
怖いのは、その後のこと。
怒られる、叱られる、やり直しさせられる。
ミスなら付き物だ。
1度もミスしないで生きてこれた者がいるなら逆に笑い飛ばそう。
「バッカみたい。つまんないの」
正確に生きてたって、イレギュラーに遭遇しなきゃ話題すらないじゃない。
いくらでも失敗すればいいんだよ。
好きに生きてるんだから、納得のいく道を作れ。
それでもまだ怖いなんて首を振るなら、
一緒に死のう。
何も考えない、もう誰にも怒られない。
その道が安心するんだろう?
夜は明けるよ。
確実に明日は「私」を迎えるよ。
いつまでも子どもみたいに拗ねてないで顔上げて。
何も見えなかったらその紅いほっぺたを叩け。
躍起になれるかもしれないよ。
今日という日が来てしまった、と取るのか、
今日という日が来てくれた、と捉えるのか、
指した瞬間、今日の一日が変わるんだよ。
怖いのは止まっているから。
その場でただじっと動かないでいるから。
試行錯誤してそれでもダメなら方向転換。
それは諦めとは違うから。
角度を変えるということ。
みえなかったものも見えてくるよ。
そうしたら、どうしたらいいのか解るよね。
「怖い」 から「楽しい」へ変えられるのも「私」次第。
負けない想いの強さが深ければ深いほど、折れはしない。
誰にも折れない剣で明日を生きろ。
もう辛いだなんて口から出すな。
笑って過ごせる一日を。
今日という日が素晴らしいと思える一日を。
「私」が生きるに値する程の日常か、どうかその目で真実を。
手を伸ばした先にあるものが、「幸せ」ならばと
心から、そう思えるように。
精一杯、精一杯、がむしゃらに。
転んでもいいから、目指した先を諦めるな。
そう、祈っているよ。




