『その時、彼女は微笑んだ。』
「アタシはね、1000人の仲間よりたった一人の味方がいるだけでいいの」
榎波 桐花は、変わらない笑みでそう言った――。
それから1週間後、彼女は死んだ。
あたしは、その報せを聞いてただ泣く事しか出来なかった。
桐花とは、大学卒業以来会わなかった。
元々、友達って感じでもなくて同じグループの一人としての付き合いだった。
苦手とまではいかなかったけど、自分の気持ちに素直な子だったから、本心を見抜かれるのが怖かったんだ。
社会人になればまたそれなりの人間関係が築かれて、慌ただしさに身を焼かれる。
そんな毎日に嫌気が差してあたしは職を変えた。
桐花は保育園の先生になってベテランと呼ばれる位の年数を重ねていたそうだ――。
死因は、溺死。
マンションの屋上プールから発見されたそうだ。両手足に手錠がはめられており、身体には無数の打撲痕があった。
冷たい水の中に、自由を奪われたまま放り投げられ、そのまま誰にも見つけられる事無く、桐花は生を奪われたんだ・・・。
1週間前――
久々に、本当に久々に桐花から連絡があった。
「会いたい」
たったそれだけの文だったけど、あたしは嬉しかった。
大学のメンバーとは全然会っていなかったし、頭の隅ではどうしてるかなって思いもあったから。
それが、桐花だった。
あまり話した記憶もなかったけど、断る理由もなかったから誘いに乗った。
3年会わなかっただけで人はこんなに変わるものかとあたしは、桐花に会って驚かされた。
元々、綺麗な容姿なのは解っていたけど、身体の成長が目立ち、胸が大きくなっていた。美人でスタイルも良くて仕事も出来て、そんな人間が本当にいるんだなって感心してしまう程、桐花は大人へと変わっていた。
「桐花、綺麗になったね」
「そうでしょ。彼氏のお陰」
「あぁ、いるんだ」
「優しい人よ。今度、契にも紹介するね」
「うん・・・。あのさ、桐花」
「なぁに?」
「どうして急に会いたいなんて連絡くれたの?他の皆とも会ってるの?」
「電話帳の中で、契が一番最初に出てきたから」
「・・・え?」
「他の皆とは会ってないよ。会う心算もないの」
「・・・えっと・・・それだけで・・・?」
「契はさ、他の皆とは違ったじゃん?アタシの事、避けてた」
まさか態度で本心がバレてしまうとは計算外だ。おっとりしてそうなクセに見る所はちゃんと見てる。でもそういう所に皆は惹かれていたのかも知れない。
「別に避けてたって訳では・・・」
「あ、語弊があったね。契はさ、他人と線引いてるなって思ってた 」
「線?」
「そう。一歩踏み込まないようにしてるのが解ったんだ」
人間観察をするにも程があるだろう・・・。
侮れないなと改めて思い知らされる。やっぱりこの子には敵わない。
「じゃあ、もしあたしが電話帳の中で最後にいたら連絡くれた?」
「・・・多分、契を選ぶようになってたんだと思う。学生の頃は結構大人数でまとまってたじゃない?それでも良かったんだけど、こうして卒業して何年か経ってみるとさ、思い出す顔が限られてくる訳だよ」
「確かにね」
「契の名前を見た時、すぐに思い出したの。話した回数は少なかったかも知れないけど、それでも覚えてた。それってアタシが契の事を意識してたからだよね」
「・・・意識って・・・」
「やだなぁ、契。アタシはレズビアンじゃないよ。彼氏もいるし。意識してたっていうのは、興味があったって事。でも、話したら契はアタシに嘘つくと思ったの」
「よく解ってるね」
「スゴいデショ?・・・なーんて。一種のインスピレーションみたいなものだよ。直感ってやつ」
「学生の頃に働いて良かったね」
「うん。だから、今こうして話せてるんだと思う」
あたしも、どこかで桐花の事を意識してた。誰とでも上手な関係性を築いていつも誰かの側にいたから。そういうのを、「尊敬」って言うのかな・・・。
「桐花の彼氏ってどんな人?優しい以外に」
「・・・真っ直ぐよ。話す時にね、真っ直ぐ目を見て話してくれる。その姿勢が好き」
「・・・ごめん、ノロケはいいから。同い年?」
「1コ上。商社のリーマン」
「そうなんだ」
「契はいるの?彼氏」
「まだかな。その内」
「出来たらダブルデートしたいね」
「え、うん・・・。そだね」
彼氏どころか出逢いすら無いのに、その約束はしていいものだろうか。でも、桐花は始終変わらない笑みで話していた。その表情に安堵している自分があた。
「そういえば、契」
「なに?」
「ネットワークビジネス始めたって聞いた」
「えっ・・・と・・・誰から・・・?」
「他の皆から。手当たり次第に誘ってるって」
「別に悪いモノに手出した訳じゃないよ。これから必要になってくるものだから知ろうと思っただけ」
「アタシにはお誘い来なかった」
「・・・桐花は、一番に断ると思ったから・・・」
「そんな風に思ってたんだ」
「ごめん・・・」
「いいよ。アタシがそうさせたかも知れないしね」
「・・・優しいんだね、桐花は」
「元からだよ」
「そっかぁ」
「面白そうだから、アタシにもお話聞かせて」
「や・・・でも、話すのはあたしじゃなくてもっと詳しい人だから・・・」
「知ってる。でも契も付き添ってくれるんだよね」
「そうだけど・・・」
「なら安心。契がいてくれるなら」
そんなに親しい仲でもなかったのに、どうして笑顔で信用出来るのだろう。他の皆は怖いからって断ったのに。
やっぱり、桐花は皆とは違うのかも知れない。
「・・・あのね、契」
「なに?」
「アタシ・・・綺麗かな?」
「は?自慢?」
「違うよ・・・!その・・・外見とか目立つ所ないかなって・・・」
「特には。強いて言うなら、バストがでかい」
「あ、あぁ。うん、そう。寄せてアップしたの」
「エステとか?」
「そんな所」
「まぁ、女だもんねぇ。努力はするよな」
「・・・彼がね・・・毎晩誘ってくるの」
「良い事じゃん。羨まし」
「でもね・・・あんまり・・・上手くないんだ・・・」
「そうなの?やっぱりあるんだ、そういうの」
「うん・・・。それでね・・・反射的に抵抗とかしたりする時もあって・・・」
「そりゃあね。下手だったら抵抗もするわ」
「・・・たまにね・・・無理矢理・・・される事もあって・・・」
「えっ・・・なにそれ。もしかしてDV受けてるの?」
「・・・最中に叩かれる事とかあって・・・」
「うわ・・・。最低じゃん」
「でもね・・・後で謝ってくれるの。そのあとは何もされない」
「典型的なやつだよ。騙されちゃダメだよ、桐花」
「・・・解ってる。離れなきゃって、覚悟しなきゃって。でも・・・出来ない・・・」
「それが本題?」
「・・・ぅん・・・」
桐花は泣きながら話してくれた。彼氏との事を。明らか非があるのは彼氏の方だと断定出来た。桐花もそれは理解している。だが、依存してしまった以上、離れることに臆病になっている。
「あたし、どうしたら良い?証拠のビデオとか作って警察に訴える?」
「大事にはしたくない・・・」
「じゃあ、どうするの?耐えるなんてダメだからね?」
「・・・ちょっと考えてみる」
「一人で?他の皆にも相談した方が・・・」
「契」
誰かに連絡をつけようとした時、桐花はあたしの手を取って微笑んだ。
「大丈夫だから」
「でも・・・」
「契。アタシはね、1000人の仲間よりもたった一人の味方がいるだけでいいの」
「・・・桐花・・・」
「その一人であってほしいの。契・・・」
そんなお願いをされてしまっては、無下には出来ない。だから、桐花の意志を尊重した。またすぐ会う事を約束して――。
どんな想いで桐花は、死んでいったの・・・?
強引にでも、引き離せば良かったの・・・?
・・・解らないよ。
桐花が何を想ってあの時、あんな事を言ったのか。
1000人仲間が後ろに着いてたら、こんな結果にはならなかった・・・?
味方のクセに何も出来なかった・・・。
最期の声さえ聴く事も叶わなかった・・・。
「桐花・・・!」
数日後、桐花の彼氏が捕まった。取り調べで、桐花に暴行していた事を白状したそうだ。
あの日――・・・
会社でのストレスが溜まっていたその男は、部屋に来ていた桐花を無理矢理襲った。最初は桐花も抵抗したらしいがそれは意味を成さず、男の支配に堕ちた。事が済んだ後、桐花は想いの全てを吐き出したらしい。どれだけの勇気だっただろう。覚悟を決めた上での最期の抵抗だったのかも知れない。
逆上した男は桐花を暴行し、両手足に手錠をかけた後、屋上のプールへ向かい、そのまま桐花を冷たい水の中へ放り投げたそうだ。
桐花の死は他の皆にも伝わった。
でも、葬儀に来たのは僅かだけ。それだけの関係だったのかと呆れてしまう。
桐花――。
例え、1000人仲間がいたって全員が桐花を助けてくれる訳じゃない。
互いを守ってくれる訳でもない。
1000という大きな数字に強さを勘違いしてるだけ。
桐花の言ってた事は正しいよ。
あたしは、桐花のたった一人の味方になれた。
そう思ってくれただけで嬉しいんだ。
みんな、誰かの特別になりたい。
そうでありたい。だから、己を磨く。
桐花は解ってたのかな。
他の皆が、桐花の事、そこまで思ってなかったってこと。
桐花よりも魅力的な人に惹かれちゃったのかな。
もっと、沢山話したかったな。
勝手に桐花の印象決めつけて、距離取ってバカみたいだね。
桐花に会わなければ何も変わらなかった。
他の皆の事を考えたりもしなかった。
もし、違う状で会えてたなら、桐花という人間を知る事が出来たかもね。
でもそんな考えは逃げでしかない。
別の世界に逝っても、あたしの事、思い出してくれる?
あたしは忘れないよ。桐花のこと。
特別な一人だから――・・・。




