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『失われた歌』

その歌は、いつからか人の記憶から消えていた。


今では誰も口ずさまない。


永久に紡がれる事のない、失われた歌。




*******




旅人は訊ねた。



『キミは、いくつ?』



幼い少女は答える。



『7歳』



『何をしているの?』



『薬を作ってるの。【イシ】ってクスリ』



少女はあどけない笑みで誇らしそうに言った。



【イシ】はこの世界では、麻薬として禁じられている薬の事。その常識を少女は知らない。此処にいる人達全員。世界の人々を救う為に作っているのだと、自慢出来る位に話していた。



――違う。それは、人々を救わない。闇に突き落とす毒だ。一度触れたら、逃げられない。



『旅人さんは、何て名前?』



『葉月。キミは?』



(きょう)。ハヅキ、よろしくね』



それが、彼女との出逢いだった――。




*******



歌が聴こえる。以前にも聴いた事のある懐かしい歌。奏でているのは、大人になった彼女。



ボクは、その歌を間近で聴く事が出来ない。



七年前、彼女達を否定してしまったから・・・。




彼女が、あの歌を奏でられるなんてあの時は知らなかった。もっと早く聴いていれば、否定なんてしなかったかもしれない。



いつものように巡る後悔。考える事なんてそれ位しかなかった。キミを思い出しては、その歌が霞む。



キミはまた、禁じられたものに手を出しているの――?




*******



薄暗い地下牢。近付く者など滅多にいない。醜悪な匂いが立ち込め、美が枯れると言う。



「♪ ♪ ♪」



鼻唄を奏でながら、地下牢へと足を運ぶ少女。その足取りは軽快で楽しそうだ。



静寂に支配されたその場所に囚われているのは、一人の青年。以前は色んな世界を旅していたらしい。



「気分はどう?」



冷たい声。刺さるような視線。きらびやかな格好に似つかわしくない、杖。



「・・・また、歌ったの?」

「聴こえたんだ?厄介な耳だね」

「あまり聴かせていいものじゃない。今は何も無いから大丈夫だろうけど、蓄積されたら・・・!」

「言うな!皆にバラしたら殺すわ」

「・・・言わないよ。でも、自覚はあるんだ?」

「あんたには関係ない。其に、聴こえてるあんただって、皆と一緒よ」

「・・・・・・」

「もう、此処には来ないわ。あの歌も聴かせない。お前は此処で誰にも知られずに死んでいくのがお似合いだよ」




少女は嘲笑うかのような表情で檻を叩いた。杖から振動が伝わり、手が痺れる。



「気を付けるんだよ」



青年は、変わらない笑みで少女を見送った。




*******



旅人は、少女の手を止めた。



『それは作ってはいけないものだ。今すぐ止めないと大変な事にな・・・』



『殺されたいの?』



7歳の少女からそんな言葉が出てくるとは思わず、旅人は恐怖を感じた。



『この薬で救われる命がある。誰も作らなくなったら、助かる(もの)も助からない』



『その薬で助かったとしても、いずれは死ぬよ。一時だけしか効力がないんだ』



『其でも!』



少女は泣きながら叫んだ。



『辛いままにはさせたくない。その一時だけでも救われるなら、これが無駄だなんて思わない』



強い瞳に感化されそうになった。少女の言葉も正しいのかも知れない。けれど、夢は一瞬だ。現実はそんなに甘くはない。



『この仕事に誇りがある。止めたくない。見殺しになんて出来ない!』



『でもそれは・・・』



旅人は、もう少女達を納得させる言葉を探せなかった。常識を知らない。世界の理を知らない。この中では旅人の方が、常識を知らない者だった――。




*******



もう何日も、彼女の歌を聴いていない。聴こえないだけか、其とも、遠くで歌っているのか――。



この世界でたった一人、その歌を奏でる事の出来る少女。最初に聴いた時は驚いた。まだこの世界に歌える者がいたなんて。旅人すら、忘れかけていた遠い歌。



その歌は、ある空白の期間によって人々の記憶から末梢されていった。どんな歌だったか、なんという歌詞だったか、それすらも思い出そうとしない。それが当然のようになりかけていった。



だが、ある国でその歌を聴いた。奏でていたのは、磔にされ、処刑される寸前の修道女(メシア)。最期の一時、その歌を口ずさんだ。



愛しい位の柔らかい響き、懐かしい程に遠くにあった想い、美しい程に綺麗な音色。



聴いたのはほんの一瞬だったのに、今でも残っている。彼女が愛したこの歌を忘れずにはいられない。

焦がれる位に、大切で切なくて儚い旋律。




・・・けれど、歌い継がれるモノではなかった。何度も繰り返し口ずさんだ。気に入っていたから。歌うだけで幸せになれた。解放された気分になった。まるで夢のように・・・。




ズキン――



突然の頭痛。体の痺れ。目眩、吐き気、吐血。一気に現れた症状に旅人は怖くなった。あの歌をずっと歌っていたから。脳にまで影響するなんて。



大好きな歌が、霞んでいく。歌いたいのに、口が開かない。聴いていたいのに、音が離れていく。




・・・あぁ、これが、代償か・・・。



どうして失われたのか、何故誰も思い出そうとしなかったのか、解った気がする――。




「今度、式典を開いてあの歌を奏でるわ」



久しぶりに会いに来た少女は唐突に伝えた。



「式典・・・」

「多くの人々を魅了するの。この歌を奏でられるのはあたしだけ。色んな人が聴きに来るわ」

「・・・いけない・・・!そんな事したら」

「解ってる。もう、この歌の存在も。だから、彼らに知って欲しいの。この歌の価値を、効力を。其さえ理解してくれれぱ、何も恐れない」

「・・・・・・」

「何が起きても、何も知らなかったって言って」



檻の鍵を旅人に放り投げながら彼女は俯いた。



「逃げて。この世界は明日で終わる。この歌も、もう語り継がれる事は無い」

「ダメだ!先が見えているなら何故・・・」

「もうね、体が言う事聞かないの。痺れも回ってきてる。昨日は血を吐いたわ。今も頭が痛いの。でもね、歌っている時だけは全ての痛みから解放されるの。それが、やめられないんだ・・・」

「・・・ごめん。もっと早く止めてれば・・・」

「いいの。覚悟はあったわ。この歌とともに死ねるなら本望よ」

「キミは、どこでその歌を?」

「・・・ママがね・・・昔歌ってくれたの。でも、1回だけだった。だから、一音一音漏らさず記憶に留めた。この歌だけがママの想い出。だから、知って欲しかった」

「・・・悔いはない?」

「うん。もう、十分だ」



最後に少女は可愛らしく笑った。旅人も、もう何も言わず、微笑んだ――。




*******



『【イシ】はね、体に良いんだって』



まだあどけなさの残る響は葉月に言った。



『確かに解放される感じはあるけど、響は口にした事あるの?』



『うん・・・でも不味いから一口でやめた。あたしにはもっと違う治療薬があるから』



『そうなんだ』



『今度、ハヅキにも教えてあげるね』



その約束は時を得て違う状で果たされた。



響の歌声は、世界の全てを浄化してしまうくらいに澄んだ音色だった――。




*******



救われる命があった。


生きたいと願う者達がいた。


その為に、薬を作る人達がいた。


それが、毒でも、一瞬の安らぎでも、助けたい思いが勝った。



【イシ】は世界中に広まり、多くの人が毒に身を焼かれた。




今でも、何処かの国で内密に生産されているという。




*******



響は、式典でその歌を奏でた。



聴いた者は、幸せな気持ちに溢れ、彼女を讃えた。



もう一度聴かせて欲しい。



誰もがリクエストした。



その光景は、彼女が夢みた世界。



この歌を聴いてくれる人達がいる。



それだけで嬉しかった。



繰り返し、歌を奏でた。


沸き起こる拍手喝采。


誉め称える声。




静かな毒は、効力を増していった――。



響が気付いた時には、もう誰も、その場には残っていなかった。



観客は、紅く染まり、地に伏していた。



見るも無惨な姿で。



それでも響は歌を止めなかった。



誰にも聴こえなくても、これが、最期の支えだった。



「ママ・・・」



掠れた声が空に響く。



倒れる少女を、旅人が支えた。



「・・・葉月・・・」

「もう良いんだよ、響」

「・・・ママにも・・・届いたかな・・・。あたしの歌・・・」

「聴こえてるよ。きっと」

「良かっ・・・た・・・」

「今はゆっくり休んで」

「・・・葉月・・・」

「ずっと、(ここ)にいるから」

「・・・ん・・・。また・・・明日ね・・・」

「そうだね」




彼女はゆっくりと目を閉じた。旅人の手を優しく握りながら――。




*******



「――なぁ。その歌、なに?」



帰り道、不意に聴こえた鼻歌に少年は訊ねた。



「あー・・・お祖母ちゃんが教えてくれた」



少女は可愛らしく答えた。



「どんな歌?」

「えっと・・・何だっけな・・・」

「日本語じゃないよな?」

「んー、どっかの言葉だって。あ!【失われた歌】だ」

「・・・なんか哀しいタイトルだな」

「お祖母ちゃんが若かった頃は歌とかあんまりなくて、疎開の途中で見つけた本に書いてあったんだって」

「へぇ」

「その本の中では禁忌とされてる歌だったみたい」

「でも、綺麗な旋律だった」

「あ、解った?あたしも大好きなんだ」



少女は楽しげに笑いながらまた口ずさんだ。



時代が変わっても、世界の色が変わっても、その歌は物語を添えて誰かの手に渡る。



変わらない歌声(ねいろ)とともに――・・・。



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