第七話〜層雲
ヨルと女の子が落ちてきたのは、広大な湖の中だった。
ばしゃんと水を跳ね散らかして、沈んでいく。けれどもすぐにリュックが浮き代わりになって、浮かぶ。
やっとのことで、湖から岸壁へと泳いでたどり着く。
大丈夫?ヨルは女の子の手をとり、岩の上を目指した。あんまりにも濡れた服は着替え、何とか乾かした。
コケが生えてつるつる滑る岩を登って、断崖に沿って歩く。滝の轟音が聞こえてきた。
この層は一面水浸しだ。冷たいのは嫌だなあと思ったその時。
急激に地面が隆起した。
壁が光り、そこには青空と雲が広がっていた。
どうして?洞窟の中なのに。
そうヨルが思う間もなく、底も見えないぐらいに深かった湖は、あっという間に
砂地を浮かび上がらせ、歩いて横断できそうな勢いだ。
また足もとが濡れないように靴を脱いで、ヨルは浅瀬を歩きだした。
洞窟中に広がる青い空と白い雲は、底が透き通って見えるぐらいに、水に正確に映し出され、まるで鏡のように、対称的に湖の上に空を映しだした。
歩くたびに広がる波紋が、その空の姿をゆがめる。どこに続いているのだろうか?
次のひびは水の中にあるのかな、そうヨルが思った時に女の子が何かを見つけた。
黒いひびの影が、水の中で揺らめいている。ピッケルでつつけばぱきんと乾いた音を立てて、ひびはすぐに消えた。
煙のように薄い何かが水中に広がり、あっという間に拡散してすぐに消えた。
いつの間にか知らないうちに影しかない魚が集まってきていた。何かの匂いを嗅ぎつけたのだろうか。
水辺を走るように抜けても、もうひびはどこにも見つからなかった。
ランタンの光もちらつかない。
影のない魚に混じって、深海にいそうな魚が一匹紛れ込んでいた。
昔図鑑で見たチョウチンアンコウか何かだ。
頭の先にあるやつから光を出すから、ランタンにもなる。
特別な水槽式ランタン。ちょっと重いけど一番きれいだと思う。
空っぽのガラス管の中に水を浸し、その中にチョウチンアンコウを入れた。
せっかくだからとヨルはリュックに二個目のランタンを取り付けた。
中にいるチョウチンアンコウを女の子が覗きこむ。
壁のそばにもひびに似たものはあったけど、ずいぶん小さく、これもピッケルで触れるだけではらりと消えた。
ないね、そう女の子に話しかける。うん。そう帰って来る返事。
岩のそばにまた黒いひびが映し出され、あれは?と女の子が駆け寄った時に。
急激に水が凍り出した。透明な水が白く濁り、影魚ごと動きを止める。
逃げて!ヨルは大声を女の子に放った。
凍り男がどこからともなく現れ、細い手を伸ばし、ゆっくりとこちらに近づいてきていた。
濁った氷が膨れ、つららのように逆立ち、鋭い氷が牙をむく。
早くこっちに。女の子の手をとり、そのまま全力で駆けだす。
巨大な相手の動きは鈍い。
それでも、岩場はあっという間に行き止まりだった。
すべるコケに足を取られ、女の子がべちゃっと地面に顔を打ちつけ、再びヨルの方を見上げた時、不安げな表情を浮かべた女の子の顔に、鈍く光る”ひび”があった。間違いはなかった。
全身が結晶化し、石のようになった女の子の体に、黒い紋章のようなひびがそのまま全身に広がった。
どうしてこの子に……ヨルに迷う時間はそれほどもうなかった。凍り男はじりじりとこちらへの距離を詰めてきている。
迷えば二人とも。だめだ、それだけは絶対にダメだ。
黒くひび割れた、体をこちらに向けながら女の子が苦悩するヨルの方を見つめた。
まるでどうしたの?とでも言いたそうに。
ピッケルを持つヨルの手が震えた。凍り男がすぐそばまで迫った。
女の子に向かって、振り下ろされるピッケルの前に、悲鳴はなかった。