第四話〜月光
衝撃で頭が痛んでも、ヨルはふらふらとその場から立ち上がろうとした。足が揺れて、うまく立てない。
また一段と下へ落ちてきた。この穴はどこまで続いているのだろう。
どこまで行けばいいのだろうか?その問いには誰も答えない。
進むしかない、そう思った。
洞窟の中、延々と続く回廊のように道は続いていた。
どっちが正しいのかなんて、誰にも分らない。
回廊の壁をピッケルで殴ってみると震動がして、天井がかすかに揺れた。
だめだ、ひびがないと、私の力じゃ壁はどうにもならない。そうヨルは独り言を発する。
静寂の中に言葉は埋もれ、あっという間に薄れて行く。たった一人で吐く言葉は、空間にすぐに溶けて。
天井の穴から月光が差し込み、回廊の道筋を青白く照らす。
月?最初に草原から落ちた時はまだ朝だったはず。
時間の感覚がおかしいのだろうか。ヨルの疑問も、すぐにどこかへ消えて行く。
ゆっくりと月光を浴びながら歩いた。目の前がまた少し明るくなる。
そういえば、昔は月光学者になるのが夢だったな。ヨルはそんなことを思い出す。
月の光が濃いところを探して、月見草の花を求めるのだ。それから大きな天体望遠鏡で空を眺めて。昔々の思い出が蘇る。ゆっくりと歩く。
月か日か分からないけれど、何かの光が差し込み、懐かしい緑の平原が広がっていた。洞窟の中にもこんな場所が、そう見回した瞬間ヨルに緊張が一気に走る。
草原の丘に巨大な人の顔があった。
口から下は地面に埋まっているかのよう。目だけでも私の体ぐらいは
ありそうだ、右手だけ石の彫刻のようにして空へ向かって掌が突き出されていた。
泥や土と同じ材質のような肌。青が混じった灰色の髪の毛。
眼がきょろりとヨルを見据えた。何かに疲れたような乾いた眼。
リューリーン……
懐かしい名前がヨルの心の中に広がる。
ごめんなさい。そう心の中でヨルは呟いた。
眼をそらすようにして、リューリーンのそばを通り過ぎる。
胸の中が罪悪感でいっぱいだった。
ヨルがその傍を通り過ぎるとき、昔と同じようにリューリーンの頬がかすかに赤く染まった。
ごめんなさい。深く頭を下げて、泣き出しそうになる気持ちをこらえながらヨルは先を目指す。
丘を越えて、再び暗闇の中へ、ヨルの姿が見えなくなってもリューリーンはその方角をずっと見つめていた。
心と声を殺さなければ、泣き出してしまいそうだった。
ヨルは涙をふくようにして、暗い洞窟の中を再び歩く。
もうリューリーンの残骸がいた丘は遥か後ろだろうか、心なしか足早になっていた。水の音がする。
音と匂いをたよりにしながら水辺によって、頑丈な古石英のビンの中へと水をためて、コルクの木から作った栓をつめて、こぼれないように。そろそろ食料も探さなくちゃ。そう思った。
何か食べないと元気はでないから。
肉厚のキノコは結構おいしい。小さな赤い実は栄養が満点だ。
光と水が近いせいだろうか。この洞窟の中には食べられるものがいっぱいだ。
もともと持ってきたものも多い。
気づかないうちに徐々に洞窟内に冷気が貯まっていた。
寒い。そう思った。足音に合わせて地面から生える、白い踊り草も元気がない。
なんでこんなに寒いのだろう。ふと振り返った時に。
その正体に気づいて、脊筋が凍りついた。
冷たい氷と石の塊でできた、巨大な生き物が、濁った眼でヨルの方をじっと見ていた。
凍り男。
あいつは、危険だ……
ヨルはとっさに走り出した。体中が冷えて、リュックも服も知らないうちに
霜が貼っていた、水辺も薄く凍りついている。
凍り男の動きは鈍い、でも一歩踏み出すごとに洞窟の内部が凍りつき、小さな生物たちが動くのをやめていた。
はやく逃げないと。ヨルは焦った。
まだひび割れが見つからない。もし行き止まりにでもなったら。
とっさの判断で小さな穴をくぐり抜けて先へと進んだ。
小部屋のような空間が広がる。ここなら入ってこれないだろう。
そう思った考えは甘かった。
小さな穴をくぐるようにして凍り男の小さな四角い頭がヨルの方を見据え、それから巨大な体がゆっくり壁と同化するようにして、小部屋の中までもぐりこむ。
悲鳴を上げて、壁の石にすがりつき、先を目指す。はるか上にはまだ抜け道があった。
爪が剥がれかけて、指先に血がにじむ。
それでも痛みはどこかに消えていた。
凍りかけた水辺のそばで、さっきは見落としていたものを見かけた。
ここだ。間違いない。同時に遠くで凍り男がヨルを探し、こちらに気づく。
今のうちに……振り下ろしたピッケルは分厚い氷に阻まれた。
もう一回必死で氷ごとひびへ衝撃を与える。
その振動に、氷の中のひび割れが、ビシリと黒い反応を示す。
地面に振動が走った。氷が割れ、床ごと階層が崩れて行った。
どこまで行けばいいのだろう。
ねえリューリーン?