置いてきぼりの親衛様
イヴリンを馬に乗せ、手綱を引いて歩く。そうしようとイヴリンを促したのだが、いたずらに馬に負担をかけたくないと断られてしまった。
「しかしこの馬は、足として連れてるわけですから」
「長旅に必要な子なのでしょう? おしゃべりに付き合わせるわけにはいきませんわ。ええ、ご婦人用の子ならともかく。わたし、足は丈夫ですし、こう見えて体力もありますから自分の足で歩きます」
と、なんだか少し前まで自分のことをか弱いと言っていた気がするが、今はその部類に入らないと言っているようだ。
「それで、どうして兄は失踪なんか?」
イヴリンはぱんぱんの重いリュックをダレンに持たせ、軽い足取りで歩いている。涼しい顔でいるものだ。いったい何を入れているのか気にはなるが、荷運び用でないこの馬には乗せず、ダレンはずっしりと重みを感じながら持つことにしている。ーー女性の荷物に不平など言うまい。
「理由はよく分からないのです。一ヶ月ほど前に、月の丘で妖精に会ったようなのですが……それから一度も姿を見せないのです」
「月の丘ですか」
妖精と接する者ならば知らない者はいない。月の丘とは、妖精の国とこちらを繋ぐことが出来る場所だ。しかし、いつでも繋がるわけではない。夕暮れ時、見回り役の妖精が現れている時だけだ。
「まさか、見回りの妖精に連れ去られた、なんて思ってます?」
ごく稀にそういうこともある。連れ去る、というよりは誘い込むと言った方が正しいのだが。しかし誘い込まれるのは幼い子供が多い。警戒心のあまりない者が妖精の誘いに乗るのだ。
「いいえ。あの方に限ってそれはないでしょう」
オズは妖精に近い存在であるから、おいそれと誘われはしまい。それは分かるとして、イヴリンは首を傾げながらダレンに訊ねた。
「月の丘へは兄ひとりで? ダレン様はお供されなかったのですか?」
オズの親衛というくらいだから、どこへなりともお供するものだと思っていたが、ダレンの言い方ではイヴァンひとりで行ったように聞こえたからだ。ダレンは何故か言葉に詰まったようで、ぐっと唇を引き結んでしまった。
「……ダレン様?」
「親衛と聞けばお供するのが当たり前のことですが、あの方に限って、それは当てはまらないのです」
「つまり、知らない間に置いていかれたのですね」
「なっ」
親衛という誇りをイヴァンに軽んじられただけでもショックだったろうに、その妹のイヴリンに追撃を受け、ダレンは開いた口が塞がらない。追撃した当人はそのつもりはないのか、さらに続ける。
「あの人は自分の世界でしか生きていませんから。思い立ったらわざわざ誰かに言うとか誘うとか、そんなこともしませんし。仕方ないですよ、ダレン様」
「っ……」
親衛としては情けないことを慰められても、ダレンが受けた衝撃は癒されない。さきほどよりもさらに唇を引き結んだダレンを見て、イヴリンは首を傾げる始末だ。
「あら、どうされました? ダレン様。ダレン様?」
不思議がって顔を覗きこんでくるので、ダレンは一度頭を振って気持ちを切り替えることにした。イヴリンはあのイヴァンの妹なのだ。いちいち振り回されていては身も心も保たない。
「なんでもありません。あなたとイヴァン様はよく似ていらっしゃる」
「はあ? 変なことをおっしゃいますね」
イヴァンに似ていると言われたのが嫌なのか、兄妹なのだから似ているのは当たり前なのに、ということなのか。ダレンにとっては見慣れてしまった表情で、イヴリンはそれ以上言うのを止めた。
「さて、話を戻しましょう。イヴァン様は連れ去られたわけではないのですから、自ら何処かへ行かれたと思われます」
「まあ、そうですね。で、お心当たりは?」
「さっぱりです」
「は?」
いっそ清々しいほど簡潔に、ダレンは答えた。どうやら親衛としての誇りだけはありそうだったダレンが、こうもあっさり白旗を振ったのだ。イヴリンの目は点になっている。
「さっぱりって……」
それ以上言葉が出てこない。
「見当もつきません。月の丘には行ってみましたし、見回りの妖精にも聞いてみました。ですがいくらオズの親衛といえども人間の問いに答えてくれるわけはありませんでした。それで今まで関わりのあった妖精たちにも聞いて回ったのですが、皆一様にからかうだけで、情報は得られません」
そう語るダレンの口元はうっすら笑んでいるものの、目は彼方を見つめている。
(ダレン様……見た目は妖精が好む美しさだけれど、中身はまるきり人間だものね。からかわれるでしょうよ。あわよくば自分たちの領地へ連れて行きたいでしょうね)
妖精たちは美しいものが好きだ。これでダレンが年端のいかない少年で、警戒心の薄い性格だったのなら、間違いなく、今この場にはいないだろう。すでに妖精たちに連れられて、あちらで愛でられているはずだ。
「そうですか。それでわたしを探してこられたわけですね」
「ええ、そうです」
ダレンの言葉には力が入っていた。これはもう、というかやはり、逃げても逃げても追いかけてこられそうだ。
(本当に、逃げるのは諦めた方がよさそう……)
まだ少し逃げることを考えていたイヴリンは、ダレンの様子を見つめて諦めた。
「分かりました。ではまず月の丘へ向かいましょうか」
「見回りの妖精に話を聞くのですね?」
何も情報を得られなかったダレンとしては、イヴリンに期待するとともに、少し悔しさの滲む視線を向けた。しかしイヴリンはにこりと微笑んで言う。
「いえ、聞くのではなく、喋ってもらいます」
そのイイ笑顔にダレンが言葉を呑み込んでいると、イヴ、と哀れむような怯えているような声が、聞こえた気がした。