不機嫌な訪問者
今晩の宿は今までで一番立派だ。なにせ王都。そして王族と同等か場合によってはそれ以上の存在であるオズ。その新鋭騎士がいるのだから。
「さあさあ、どうぞお入りください!」
元気な声でダレンを呼び止め、その勢いで宿まで引っ張ってきた女主人は、牡馬の手綱を預かりながら宿の扉を開けた。イヴリンとしてはこんな勢いの良い人は初めてで、思わず後ずさりしたくなるくらいだが、ダレンは顔見知りなのか慣れているのか、女主人に嫌な顔ひとつせず誘いを受け入れていた。
「いやー、ウォード様がこんな可愛らしいお嬢さんをお連れしてるとは。そりゃあ王都には綺麗なお嬢さんがたくさんいらっしゃいますけどね。ウォード様がお綺麗過ぎて並みのお嬢さんじゃ霞んじゃいますから、こんな花の妖精みたいなお嬢さんがお似合いだと思いますよ、私は」
という全く見当違いな言葉はイヴリンの耳を通り過ぎ、残ったのはウォードという聞き慣れない名前だけ。
(ウォード……あ、ダレン様のことね)
と、引きつり笑いするダレンの横で、一度聞いただけの名前に一人頷く。そして、上機嫌の女主人が受付で鍵を漁り始めたのを見て、二人は息もぴったりに釘を刺した。
「あ、部屋は分けてくださいね」
「部屋は別で」
目を丸くして驚く女主人の顔が面白い。イヴリンとダレンは素知らぬ顔でそれぞれの部屋へ一旦引き上げた。少ししてから王都の探索にダレンが付き合ってくれる予定だ。
部屋へ入って扉を閉めた途端、イヴリンは身震いする気配を感じた。
(ヒュノ? パル?)
自分が身震いしたのではない。周りの空気が小さく震えたような感覚だったから。そのまま、怯えるでもないイヴリンの目の前に、まるで陽炎のような揺らぎが見えた。ちらちらと虹の輝きを見せるそこに、ゆっくりと何かが形作られていく。それはだんだんと人の形を成し、遂には色を持って現れた。ふわりと部屋の空気が動く。閉め切られた部屋の中であるのに、風が吹いているのだ。
『イヴァンの、愛し子』
発せられた声は静かであるのに、はっきりと耳に届く。
「イヴァンは今どこ? 見つからないと困るの」
これの正体を知っている。イヴァンが母のお腹に宿った時から、ずっとイヴァンの側にいる妖精だ。
『イヴァンの、手助けをするべきだろう』
いつ如何なる時も片時も側を離れない、それこそ“新鋭”のような妖精。その妖精は、端麗な顔を不機嫌そうにして訴えてきた。
「は?」
いきなり不満をぶつけられてイヴリンは瞬く。「え?」とでも言っていれば少しは可憐に見えただろうが、あいにくと口に出たのは不機嫌丸出しの「は?」だった。
「イヴァンが何に困ってるって言うのよ」
イヴァンは妖精に愛されている。だから、いつだって妖精の手助けがある。そう、目の前にいるこの妖精にだって助けられている筈だ。
(そうよ。あんたが手助けすればいいでしょ)
ひとまず思うに留めたところ、妖精はさらに言葉を紡いだ。
『人が始めた事だ。人が終わらせるべきだろう』
「……何の話よ」
そう言っても目の前の妖精は黙るばかり。妖精は人のように、対話をしようという気がまるでないのだから仕方がないのだ。が、そのまま消えてしまう前に、とイヴリンは少々きつい口調で言い付ける事にした。
「イヴァンに言っといて。居場所が分からないから新鋭様が押しかけて来たって」
すると妖精は見るも不機嫌な顔になり、何も言わずに霧となって姿を消してしまった。
と同時に部屋の扉がノックされ、中の様子を案じるダレンの声が聞こえてきた。それに応えるべく扉に向き直りながら、イヴリンは不満を声に出さずにはいられない。
「まったく、あいつら……文句だけ言いにくるの止めてよね」
人の質問にはっきりと答える事は、ほぼない。加えてイヴァン以外に指図されたら無視だ。とはいえイヴリンの言葉は伝えてくれるだろう。なにせ、愛しいイヴァンの愛し子からの伝言だ。イヴァンが聞いていないとなればショックを受けるだろうから。
「イヴリン様。何かあったのですか」
気配でもしていたのだろう。扉越しのダレンの声が不機嫌そうになったところで、イヴリンは「はいはい」と生返事して扉を開けた。