イヴリンが見る夢
店を一歩出たところで、辺りが暗くなりかけていたのでイヴリンは慌てて宿屋へ走った。折角ダレンが妥協してくれたのだ。それを蔑ろにしてはいけない。
しかし宿屋の出入り口に近づいた時、イヴリンは驚いて声を上げそうになってしまった。
(ちょっと、そんなに信用出来ないの?)
ダレンが宿屋の壁にもたれて待っていたのだ。イヴリンは少し悩んでから、胸を張り、大股でダレンへ近づいていった。
「お戻りですね。イヴリン様」
しれっとした顔で言われたので、腰に両手を当てて睨みつける。
「やり過ぎじゃないですか? 確かにわたしはダレン様から逃げ回っていましたけど、好き好んで暗がりで襲われるような趣味はありませんよ?」
するとダレンは目を丸くし、それからぱちぱちと瞬きしてから言った。
「それは、分かっております。あなたはご自分を祖末に扱ったりなさらない。しかし、だからと言ってか弱い(と見える)女性を狙う輩を遠ざけられるわけではありません。ですから、ご無事を確認したまで」
「え」
思いがけない理解と気遣いに、イヴリンは間抜けにも口を開けたまま動けなかった。
「ご理解いただけましたか?」
「……あの、はい」
「では、中へ。お疲れでしょう」
「……はい、どうも」
いきなり紳士然とした態度を見せつけられ、イヴリンはらしくもなく、大人しく従ったのだった。
翌朝のこと、イヴリンは珍しくすっきりと目を覚ました。村を出てから始めてかも知れない。過去の夢も見ていないし、気分は上々だ。
『良かったな、イヴ』
瞼からどいたパルティもどことなく嬉しそうで、イヴリンはくすぐったい気持ちで笑ってしまう。
「そうね。夢を見ないのはいいことだわ」
イヴリンにとって夢というのは、良いものではない。世の中楽しい夢というのもあるようだが、イヴリンが見る夢はいつも過去の思い出だ。それは、楽しいものでも、懐かしむようなものでもない。ただただイヴリンの、兄に対する複雑でなんとも言えない感情の確認でしかないのだ。
「夢なんて見ない方がいいわ」
せっかく離れているのに。
複雑な感情へ傾きかけた意識を、イヴリンは頭ひとつ振って止めた。
部屋の扉を開けると、予想した通りダレンが待っていて、イヴリンは嫌味なくらい爽やかに挨拶をする。
「おはようございます、ダレン様!」
「……おはようございます、イヴリン様。ご機嫌麗しく」
こちらも嫌味なくらい丁寧に接してきたので、イヴリンはにこやかに続けた。
「ダレン様はあまりよろしくないみたいですね? わたしの事が心配で眠れませんでした?」
そう言ってみると、ダレンはぴくりと片眉を上げ、さっさと宿の出入り口へと歩き出した。イヴリンもそれに続いて様子を伺う。
「そろそろ観念され、早急に事を終わらせるために尽力してくださると考えておりますが?」
「ええもちろんその通りです! 分かっていただけて良かったわ。それで、どうして今朝も部屋の前で待ち伏せなんてされていたんです?」
「……っ、人聞きの悪いことをおっしゃらないでいただきたい」
むっとしたダレンにくすくすと、なるべくばれないように笑いつつ、イヴリンは悪怯れることなく続けて言う。
「待ち伏せでなかったらなんなのです?」
「女性を待たせるわけには参りません」
「あら」
難しい顔でそう言い切るものだから、なんだかむきになっているような気がして、イヴリンはますます笑ってしまった。するとそれに気付いたダレンが、少し目を細めて睨んでくる。
「お笑いになるとは」
「すいません。ダレン様がわたしを女性扱いしてくださるなんて思わなかったもので! せいぜい小娘とお思いかと」
「そうとも思っておりますが、イヴリン様の振舞いにもよるでしょうね」
「え?」
からかって面白がっていた矢先、ダレンから思わぬ反撃を受け、驚いて目をぱちくりさせた。
「わたしとて、女性であれば誰でも淑女に見えるわけではありません。ご本人の振舞いやお心にも左右されますので」
ふっ、と小馬鹿にしたように笑う様は、見た目だけなら数多の女性をうっとりさせる艶があった。が、しかし。イヴリンにはその容貌よりも言葉に注目していた。
「まあ、当たり前じゃないですか? 無理なさる必要はありませんよ。わたしだって騎士と名のつく位の方が、揃って慇懃無礼で強引で執念深いだなんて思っておりませんし」
「……!」
にっこりと放ったその台詞。ダレンは瞬きを二度してから、驚いてわずかに口を開いた。まさか手本のような騎士の姿を言及されるのではなく、自分の行動を指されるとは思っていなかったのだろう。
(ざまあみろよね)
連れ出して追い回したのを棚に上げて(それはイヴリンが逃げたからなのだが)、イヴリンのことをとやかく言う資格などないのだ。
「さ、 さっさと朝食をいただきましょう!」
ダレンが言い返すのを躊躇ったその隙に、イヴリンは脇をすり抜け、あたたかな香り漂う食堂へ急いだ。