最期の『ありがとう』
この仕事をしていると、悲しみに鈍感になりそうになる。
当たり前のように、日々、誰かの悲しみに触れているから。
でも、何年経っても悲しみの感情に対しての感覚が鈍くなることはなく、プロとしての誇りも何もかも全部投げ出して涙が零れて止まらなくなる時がある。
命は、温かい。
生きる言葉は、暖かい。
普段は恥ずかしくて、絶対に口にすることができない思いを、誰もが抱いて生きていると私は思う。
あの日、あの時、あの瞬間、どうしても言えなかった思いが、そこにある。
この数年間、たくさんの涙に触れてきた。
たくさんの人生に触れてきた。
辛かった、苦しかった、もっと生きたかった――。
冷たくなってしまった。
まだ、温かい。
見る影もなく痩せ細ってしまった。
まだ、生きているみたいに何も変わらない。
本当は眠っているだけで、朝になればいつもみたいに目が覚めて、いつもみたいに『おはよう』っていうかもしれない。
遺していく悲しみ、遺された悲しみ。
どんな人間にも、最低一人は悲しんでくれる人間がいる。
親、兄弟がいなくても、友達がいなくても、恋人がいなくても、家族がいなくても、人は一人ではない。
たくさんの人に出逢い、すれ違い、関わり合い生きている。
そりゃぁ、生きていれば楽しいことだけじゃないだろう。
私だって辛いこと、苦しいことがある。
みんな同じだ。
なのに、どうして生きることをやめてしまうの?
この数年間で、どれだけの終わりに触れてきただろう。
生きるのをやめた人より、最期まで生きようとした人のほうが尊い。
生まれたからには、終を迎えなければならない。
そうやって世界は回ってる。
いずれ、私にも終が来るだろう。
何十年先、いや、明日かも、今日かもしれない。
今日、もしも終が来るとしたら、私は何をするだろう。
きっと、先にみんなに『ありがとう』っていうだろう。
人には、気持ちを伝える術がある。
そして、最期に人がたどり着くのは、『ありがとう』って言葉だと、日々、人を送る度に思うんだ。
私は仕事に誇りを以て毎日を生きている。
そして、長い人生の内で三、四日しか関わらないけど、みんなの最期に気持ちを込めて手を合わせる。
伝える言葉は、『お疲れさまでした』。
涙の数だけ想い出があって、涙の数だけ心の中で生き続ける。
命は大切だなんて、今更なことは言わない。
終わりは怖い、生きるのも怖い。
より怖いのはどちらかなんて、人それぞれだ。
でも、諦めないでほしい。
考え、行動、努力次第で何とかなる。
何ともならないときは、方法を変えてもう一度頑張ればいい。
そして、最期に『お疲れ様でした』と言わせてください。
最期に、『ありがとう』の言葉で送らせてください。
腐った世の中だけど、味のある世界。
醜いけど、きれいな世界。
あなたがいるから、回る世界。