理由
「何でこんな事になったんだと思う?」
炭酸を片手に裂きイカをつまむ。午後六時、家に帰るのが面倒になった俺は、いつものように泊まり込むつもりだった。一人暮らしなので、誰にも文句を言われない。
「ふむ、つまるところお前には女を見る目が無いからだと俺は思うが」
「失恋の理由じゃねえよ」
真面目な顔をしてボケる友人に突っ込みを入れつつ「眼鏡だよ」と、言う。
「何でこんなに急に眼鏡信仰者が増えたのやら…」
「簡単な理由だな」
テーブルに突っ伏す俺に対し、
「こいつらの所為だろう」リモコンを操作する友人。パッ、と大きく映し出されたフルハイヴィジョンのテレビ画面。演説をしているのか彼の周りには、たくさんの聴衆が集まっている。黒縁眼鏡の男、古谷講人だ。
先日、政府は一つの法案を受理した。それは、一つの計画であり、要求だった。
『眼鏡着用の義務化に関する法案』
前回の総選挙で与党は議席を大きく減らし、野党へと転落した。代わって政権を握ったのは、一つの新興宗教団体『白鏡会』だ。彼らの考えは一種独特の偏見の塊である。彼らは、眼鏡をかけている人間を重んじた。
―眼鏡は努力の証、視力を悪くするほど仕事に励んだのならば、それは名誉である、と。
それは認められなかった知識人たちの叫びだった。それは報われなかった男たちの歯軋りだった。それは夢を叶えたい女たちの涙だった。
この思想はあっという間に広まった。主に中小企業に勤める労働者たちの間からだ。眼鏡の購買率は急激に上昇し、次へ次へと新型モデルが発売され、とある著名な女優が眼鏡柄の下着を公開したことからブームは爆発的なものとなった。この現象に大手携帯端末会社はスマートフォンの形態を眼鏡に改造することに成功。全人口の内、七十二%がこれを購入したことから眼鏡は、国民にとって無くてはならないものになった。
「こんなあほらしい法案がまさか本当に受理されるなんてな…」
俺が呟くと、
「あり得ない事じゃあない」
眠そうな声が返事を返す。「政治家にとって支持率とは三度の飯より大事なものらしいからな、妙な宗教団体に改宗する事は楽なもんなんだろ」
全く興味が無い、と言った他人事な口調だった。
ううーっ、と唸り、友人はごろり、と仰向けになり、烏賊を口に頬張る。
「これで本当にこの国は宗教国家に成り変ったな。今頃古谷は大喜びで宴会でも開いてるんじゃねえの?」
「ろくでもない事を言うな…」烏賊を投げつける。それを上手に口で銜えながら、そろそろ寝ようぜ、と、目に涙を浮かべながら大欠伸を繰り返す。
「おれ、四日も寝てないのよ」何故か自慢げに言う。
「おい、何やってたんだよ?」
「自由研究。俺の体は何処までの何に耐えられるか」
「ろくでもない事を…」
「今のところ、四日連続の徹夜と二週間の絶食、更には外出せずのパソコンづくしだな」
「どうりで食料が異様に少なかったのか、この家…」
「風呂を断つ事も考えたが、ほら、おれって綺麗好きだろ? さすがに無理だったんだよ」
「聞いてねえよ」
「お前も一緒にやらないか?」
「俺もう寝るぞ」
一方的に宣言し、立ち上がる。勝手知ったる友人の部屋なので、気にせず奥の部屋から毛布を引っ張り出して、床に敷く。ぶつくさ言っている友人の声をバックにいつの間にか眠りに落ちて言った。