琥珀時間
終わりじゃない
始まりのとき
ここから始まる
私たちの新しい物語
七色の木漏れ陽の下。私は一人で空を見上げながら、これまでにあった事に思いを馳せていた。駆け抜けていった日々を思い出すと、ほんの少し切なくなってくる。それは、帰らぬ季節。決して色褪せない季節。平凡だったけれど光溢れていた毎日。
切なさで胸がいっぱいになったせいか、目の前に広がる空が眩しく感じて瞳を閉じた。
別れはいつだって悲しい。忘れない、忘れたくない思い出が振り解けない縄の様に心を捉えて放さなくて、涙が止まらなくなる。そして流れて行く。過ぎ去って行く。まるで幻のように……。
そういえば、誰かが言っていた。過ぎ去った日々は夢なのだと。それが本当の事なのかは分からない。ただ、確かにあの日々を思い出すのは夢の中が多いような気もする。胸の奥深くに仕舞い込んでいるからなのか。
でも、もしそれが本当なら、夢の続きが見れないのと同じように、遠い追憶の日々の続きを見ることは出来ないという事なのだろうか? 夢は、遠い日々の思い出なのだろうか?
私にとっての夢……思い出の日々は、いつも沢山の想いと涙、そしてなぜかどこまでも優しくてどこまでも切ない音楽で溢れていて、瞳を閉じるとその時々にあった曲と共にすぐ脳裏に浮かんでくる。
夢の続きが、知りたいんだ。ずっと、ずっと……。
それは、子ども頃から変わらない、私のたった一つの願い。
夢の中でいいから、夢の続きを見たい。
「やっと見つけた」
声のした方を見ると、陽だまりの中に人影が見えた。そこにいたのは、中学の時からの同級生でもある男子だ。
「こんな所にいたのか」
「よくここが分かったね」
「そりゃ、分かるさ。他ならぬお前の事を、俺が分からないわけないだろ? 俺とお前は長い付き合いだし?」
その言葉に、自然と笑みが零れる。
「それもそうだね。他のみんなは?」
「そのうち来るだろ。隣、座るぞ。ところでこんな所で何してたんだ?」
「何って……日向ぼっこ、かな? 今日、いい天気でしょ?」
自分自身でも、立ち止まって空を見上げ、今まであった事を振り返っていたなんてらしくないって思うから、誤魔化した。
「ふーん。……で、何してた?」
その微笑が無言で『まさか、それで誤魔化してるつもりじゃないよな?』と言っている。
やっぱり、ウソだってバレちゃうか。……私はきっと、一生この人には敵わない。
「……とうとう、今日が来ちゃったんだなって思ってた。そして思い出していたんだ。キラキラしていて眩しくなる程の思い出達を」
それはまるで、胸に刻んだ写真を一枚一枚見ていくかのように。そう言ったら、いつものあの顔で笑われるかな。
「なんだ、こんな所で空見上げて何してたかと思えば、そんな事考えてたのか」
「らしくない?」
「さあ、どうだろう? ……それにしても、今日は本当にまさに、卒業式日和って感じだな」
今の絶対、話を逸らした。
まあ、いいか。
「うん。今までで一番いい天気」
そう、今日は私達が高校を卒業する日。正確に言うと、もう式は終わったから、卒業した日になる。
もう、私達は同じ場所で生活することはない。そう考えると、無事に卒業できた喜びよりも寂しさが押し寄せてくる。小学校や中学校の卒業式なんて比較にもならないくらい。自分がこんなに感傷的になれる人間だとは思っていなかった。
「そういえば、みんな怒ってた? 式が終わったらカラオケに行こうって話だったのに、勝手に帰っちゃったでしょ」
「それはもうカンカンだったな。というのはウソ。ただ、何も言わないで帰ったからみんな心配してたな」
「そっか」
みんなが来たら、謝ろう。きっと呆れた顔をして、でも笑顔で許してくれる。
「……ねえ、これから一人一人が、自分の未来に向かって歩いていくんだね。……もう私達の道は、交差することはないのかな?」
「お前はどう思う?」
「私? 交差すると思いたいよ。交差はしなくても並行はしていくんじゃないかな」
私は、青い空とヒツジ雲を見た。風が優しく吹く。この風は、思い出を連れて行くのだろうか?
「ふーん、お前はそう思うんだ? まあお前がそう思うなら、そう思っておけば? 未来の事なんて誰にも分からないし、もう二度と会えないわけじゃないんだし? ………それに、明日で世界が終わるわけじゃないんだから、お互いがお互いを思っていれば大丈夫さ………」
私に聞こえのは、『もう二度と会えないわけじゃないんだし?』までだった。最後の部分は顔を少し背けつつ、しかもすごく小さい声で呟かれたからだ。
二度と会えないわけじゃない。それは本当に当たり前の事。でもその言葉は、私の心をすごく軽くした。
この人の言葉は不思議と心に静かにすとんと落ちてきて、心の中にある水に波紋を広げる。それはどこか鮮やかな色彩に似ていて、時々ハッとさせられる。
「そう、だよね。これからはずっと一緒にはいられないけど、二度と会えないわけじゃないんだよね。会おうと思えば、いつでも会えるし、連絡だって取れるんだもんね」
同じ空の下にいるんだから。
そして、思い出を共有し別々の道を歩いていく。それが私達の未来。一緒に過ごした未来を思い出すたび、私達はきっとどんなに離れていても一緒にいる事が出来るんだよね。
「そういう事。はい、出来た」
「え?」
「どうだ? 王様に見える?」
白詰草の輪を頭に乗せて聞いてくる。
さっきから何作っているんだろうって思っていたけど、そんなの作っていたんだ。
「なにやってるの、もう。おっかしい。似合わないよ、そんな事」
「けっこう似合ってると思うけど?」
「そうじゃなくて。そういうふざけた事するのは、似合わないって言ったの。もっと余裕のある態度っていうのかな、そういう方が似合っているよ。でも、ありがとう」
いつになく感傷的になっている私を、元気付けさせようとしてくれたんだよね。
言わなくても分かる。だって長い付き合いだし?
だけどこんな事する姿、私も初めて見た。
「これ作ったの、私って事にしておくね」
それは、私達の中の暗黙の了解。
「へえ、ちゃんと分かってるんだね」
「私が言わなくてもそのつもりだったでしょ?」
みんなに見せている彼の顔は、表現するなら優しい物腰で穏やかで少し大人びた人間だ。それ以外の表情を見せた事なんてほとんどない。言葉だってもう少し丁寧。だからみんな、本当の彼を知らない。
私も初めて出会った時は知らなかった。いつからだろう。私にそれ以外の表情を見せるようになったのは。言葉遣いが他の人に対してのものと異なるようになったのは。それは偶然だったように思う。ただ普段とは全く違うその顔に、すごく驚いた事だけははっきりと憶えている。
本当の彼は、もっと意地が悪くて毒舌家で、ちょっとぞっとするような凄みのある表情をする人間だ。もちろん、他の人に見せている様な優しげな表情や他の人には決して見せない年相応の表情のする時もあるけど。
そんな素顔を知っても私が傍にいるのは、嫌いになれないのは、それだけがこの人の全てではないと知っているから。さりげない優しさを持った人だから。
そしてきっと、私達の道はこれからも交差して行くと思う。
同時に、交差し続ける限り私も、彼の素顔を誰かの前で口にするつもりはない。
他のみんなが来たのはそれからすぐ後の事。
「まったく、あんたは心配かけさせるんだからー」
そう言って、みんなは私の頭をぐしゃぐしゃにした。
「あれ、その輪っか、お前が作ったのか?」
友達の一人が、私の手の中にある白詰草の輪を見て訊ねる。
「うん。さっきまで頭に乗せてて、見せたら『僕達、高校卒業したんだよ?』って言って笑われちゃった」
用意していたセリフを言うと、予想通りみんなが笑う。
「でも、あんたならやりそうだよね」
「お前だもんな」
「ちょっと待って。どうして? なんでそうなるの?」
それって、まるで私が子どもっぽいと暗に言われているような。
『お前だから』
男子達がハモる。
「それ、答えになってないよ」
「まあいいじゃない。ねえ、私にも被らせて。……どう、似合う?」
私達は、順番に白詰草の輪を頭に乗せてひとしきり笑い合った。
ねえ、これから私達は、それぞれの道を歩いていく。どんどん変わっていく。一人一人意見も感じるものも違うから、時にはそのズレで衝突する事もあるかもしれない。
でも、絆はどんなに離れても切れないよね? 心を通わせた事実は消えないよね?
私は忘れないよ。たとえこの先どんな事があったとしても、このかけがえのない場面を。琥珀時間を。
輝いていた季節、そしてこれから輝いていく季節は、いつも私達と共にあるから。
「そこ、もう少し右に寄って。……じゃあ、いくよ」
「早く早く!」
夕方、カラオケが終わった後私達は、誰もいない高校の校門前で記念写真を撮った。これが制服姿での最後の写真。
カメラの『カシャッ』という音と共に、卒業のシーンが永遠に心のフィルムに焼き付く。
「じゃあ、またね」
そして私達は、それぞれの未来への最初の一歩を、この校門から自分自身の足と力で今踏み出し、歩き始めた――――
大学生時代に書いたショートストーリーズ5部作の『卒業』です。
これを書いたのが大学3年の春休み……つまり4年になる年。サークルで発表した最後の作品です。最初はこれにだけ、名前がありました。