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ゼロの境界線  作者: 陽無陰
第二章 銀の星
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2-5 アストリア=ダートルート


『黄金の夜明け』総司令ミトラ=マルボーロの朝は、報道機関が記事をインターネット上で投稿することを認められている公的機関のホームページをチェックすることから始まる。

 以前は新聞という紙媒体を用いて人々に情報の伝達を行っていたが、ミトラが成人になる前くらいに廃止が決定された。

 理由は限られた資源の無駄使いである。既に代用品としてネット上でのそれを人々が利用していた事もあって、特に混乱もなく人々はその決断を受け入れた。

 だから、今では紙を媒体とした文書はほとんど見られる事はない。精々、証拠物品としての予備役程度でしかない。

 世界融合以降、資源が回復した事もあって新聞の再発刊が世間を賑わせているが、人々がネット上のそれに慣れ親しんでいる事もあって、新聞が新しい媒体として電子新聞に中々引き継がれなかったように、電子新聞が古い媒体である紙の新聞に様変わりする事もまた難しい。


「いやはや……わかってはいたけど……」


 眠気覚ましにと用意したコーヒーに砂糖とミルクを入れながら、ミトラは呆れ気味に投稿された記事を眺める。

 立体映像型モニターには、閲覧者の目を引くようないくつもの題名が映し出されている。ミトラは思考型ポイントでそれをいくつか別ウィンドウにしながらクイックする。

 閲覧者が目を引くようにつけられている題名であるため、いうなれば個性豊かな表現であるが、実際の中身といえば何処もかしこもさして変わらない類似したものばかり。さらに、薄い生地をさらに薄くし、形を変えただけの劣悪品ばかりである。

 これが本当に食品なら人々は見向きもされないだろうが、これは生地ではなく記事。新鮮で尚且つ珍しいものほど売れるのである。

 投稿されている記事は大同小異であり、話題となっているのはソフィア達が『銀の星』の傘下部隊として部隊を設立した事である。

 ミトラの総司令としての権力は、内に対してはかなりの権限を持っているが、企業などの外部のそれに関しては政府から派遣された人物が取り仕切っているため、どうしても隠さなければならない情報以外は筒抜けとなってしまう。

 ミトラは元々この情報を公開する意図があったのでこうして記事が投稿された事に憤りを覚えることはないが、それでも彼らの嗅覚の鋭さには感心してしまう。ソフィア達が傘下部隊に入ったといっても書面上ではまだ仮設立であり、今日の午後に正式加入の確認及び部隊名の提出を持ってその情報を公開するつもりであったのだ。


「君はどう思う?」


「…………興味ない」


 ミトラはコーヒーを用意していたわけだが、それは一人分だけを用意したわけではなく、司令室に我が物顔で居座っているもう一人の人物の為にも用意したものだ。

 その人物を一言で表現するならば浮浪者である。碌に手入れをしていないであろう艶を失った黒髪は顔全体を覆い尽くし、地面すれすれまで伸びきっている。服装にしても白衣は薄汚れており、その下に着込んでいる『黄金の夜明け』の女性用の制服もくたびれてしまっている。さらに、何日も碌に入浴していないかのように異臭をかすかに放っている。

 彼女の名前はアストリア=ダートルート。世界融合を実現し、現象災害を抑えるための世界樹を造り上げ、超越者の元となる可能種を作製した稀代の科学者であり、レイムの母親である。


「君ならそういうだろうね。相も変わらずマスコミが嫌いな君なら」


「人の不幸を嗅ぎ取り、人の不幸を糧とするゴミ屑以下の存在を好む方がおかしいわよ」


「情報の有益さは君も理解しているだろう?」


「それとこれとは話が別。できることなら、一生関わりたくない類いのゴミね」


 ミトラは容赦なくマスコミを誹謗する彼女の気持ちが分からぬわけではない。彼自身も世界融合成功時の容赦ない取材攻勢、その後の掌返しのバッシング、そして彼の失態を探り出そうとあちこちうろついている彼らに対し良い気はしていない。

 だが、同時に情報の重要性を理解しているだけに、そしてその立場ゆえに彼らとは友好的に付き合っていかなければならないのだ。


「それで何を嗅ぎ回っていたの?」


「興味なかったんじゃないのかい?」


「うるさい。あんたは聞かれた事に答えればいいの」


 口の悪さは相変わらずかとミトラは心の中で呟き、多少の皮肉も込めて肩を竦める。よくもまぁこの女性と付き合えたものだと、今は亡き親友であり、彼女の夫であるノエル=ダートルートに感心する。


「ソフィア達がレイム達の傘下部隊になった事を記事にしていますよ」


「余計な蛇足を付けてね」


「正解」


 他の記事と差を付けるためだろう。内部の関係者やら信頼のおける情報筋という実在している人物なのか架空の人物なのか分からない誰かさんが登場し、まるで本当であるかのように語っている。中には、ミトラやアストリアの陰謀論やソフィア達が実験台にされるなどの記事があり、閲覧者の興味を惹く事ばかりを考え、話題の中心である者達の事を全く考慮されていない。


「ゴミがゴミを吐き出すのは当然の事だから別にどうでもいいわ。それで、朝から呼び出して何の用? あなたも知っての通り忙しいのだけど?」


「君が一月ほど研究に没頭し、寝食碌に取っていない事は知っているよ。君の部下達が悲鳴を上げていたからね」


「状況を理解していない無能などどうでもいいわ。今は一分一秒たりとも惜しいのよ。第一回の遠征まで時間がないし、性能を確かめるためのサンプルも足りない」


「そう、確かに今のままでは駒が足りない。防衛の為のそれならば既に用意してあるが、攻戦のそれは不十分だ。一応用意はしてあるが、リスクが大きすぎる。もう少しリスクが低く、恒常的な戦力が欲しい」


「……そうね。私が作っておいてなんだけど、もう少し融通が効いてほしいわ。まさか、一定以上育った大人には可能種の芽が出ないなんて思いもしなかったわ」


 超越者の部隊は三十歳以下の人間がほとんどであり、それ以上の年齢の人間になると変容活動レベルⅣの超越者《哲学者(フィロソファス)》より上位の活動が不可能だという事が研究成果として明らかになっている。 


「理由は分かっているのかい?」


「仮説でよければ」


「かまわないよ」


「何故一定以上の年齢を重ねた人間では《小達人(アデプタス・マイナー)》になれないのかというと、それは質料に関係するわ。そもそも、質料は世界融合時以降、正確にいえば現象災害が活発化し始めてから観測され始めたわ。そして、それを利用し形としたのが世界樹で、現象災害を枠に閉じ込めた存在が『現象獣(セフィラ)』。コップと水を用意してくれる?」


 ミトラは唐突に依頼されたが、何故とは聞かない。アストリアという女性は、無駄な事をしない性分だという事は長い付き合いで分かっているからだ。

 ミトラは司令室の隣に備えている給仕室へと向かい、そこで透明なガラスコップに水を入れ、アストリアに渡す。


「物理現象が災害となったのは、現象を受け止めることができる器が用意されていなかっただけ。この水が現象だと思ってくれていいわ。例えば、この水をコップから零したとする。すると、当然水は落下し床を濡らす。あなたは蛇口から流れる水をどうした?」


「勿論、コップに入れたよ」


「そうね。だけど、あなたがコップを蛇口から流れる水に割り込ませなければ、水はシンクをいつまでも濡らし続けるわ。ここで例えを挙げているシンクが私達の世界。つまり、世界樹(コップ)現象災害(みず)を受け止めなければ、現象災害(みず)私達の世界(シンク)をいつまでも濡らし続けるわけ」


「ここまでは以前にも説明したね」


「ええ。順を追って説明していくから少しは我慢しなさい。現象獣とは、つまりコップの中に入った水なの。ただ流れるだけだった不定形の水に、私達が器を差し出すことで私達にも干渉できるようにした定形の水。そして、コップの中に入っている水とは、この透明な水ではなく、コーヒーだったり、紅茶だったり、果汁のジュースだったりするわけ」


「ふむ。つまり、コップに入った水の種類が様々な物理現象の例えでいいのかな?」


「イエス。理解が早くて助かるわ」


 ミトラにはまるで、意外だわと言外に含まれているような物言いだと感じた。出来が悪い生徒に対する教師のようなそれだと。


「ここから本題に入っていくわ。超越者と現象獣のプロセスに違いはないの。彼らは質料をもって形相を表す。だけど、超越者と現象獣に一つだけ大きな違いがあるの」


「それは何だい?」


「現象獣の質料は、彼らが定めた現象を形相として表す。さっきの例で例えるなら、コップに入れる水をコーヒーにするといった具合にね。だけど、超越者は違う。質料を形相として表す場合、形が全く定まっていないの。水を入れる容器、そしてその容器に入れる水の種類がね」


「どう違うのかな? どちらもさして変わらないようだが……」


「大きな違いよ。現象獣は、定まった形でしか形相を形成できない。蛇口をいくらひねってもコーヒーしかでないのよ。対して、超越者はいちいち蛇口から流れる水でコーヒー豆を抽出しなおさなければならないの」


 アストリアはやや冷めてしまったコーヒーを飲む。味が不味かったのか、顔を顰めている。


「質料とは、純水なのよ。何の混じり気もないほどに。それを質料を扱う者達が手を加え、独自の形相(あじ)を形成していくわけ。ミトラ、人間は同じ水――コーヒーでもいいわ。全人類が全く同じ味のコーヒーだといえる?」


「まかり間違っても同じだといえないね」


「そうでしょう? あなたのように砂糖やミルクを加えたり、好みの豆、入れる手法、最適な温度、そしてコーヒーカップなど多少の類似はあっても完全に一致するのは難しいわ。あなたは《魔術師》以降の形相には、超越者の性格や思想が反映されやすい事は当然知っているわよね?」


「勿論だとも。それが明らかになったからこそ、私達は自分の子供達を地獄に叩き落としたのだから」


「…………」


 アストリアは反論しない。彼女は一族の贖罪の為に、多くの人間を地獄に送りつけ、自分の子供ともう一人の一族の子供達を生き地獄へと叩き落としたのは事実だから。


「そうね。レイム達には、一族の贖罪の為にとことん付き合ってもらうわ。それで話を戻すのだけど、超越者が一定以上の年齢を重ねると上位へといけなくなるのは、それが原因みたいね」


「どういうことだい?」


「人間は可能種を体内に埋め込むことで超越者になり、そして質料を取り込む事ができる。ただ、それは同時に質料を糧とし、可能種が質料をより多く取り込もうと侵蝕される可能性がある。それはいいわよね? ここからがその仮説になるんだけど、可能種は質料を取りこむと同時に超越者の性格や思想――いわば人の精神も取り込んでいるんじゃないかしら。それは、いわば自分の好みのコーヒーを自分で作製する行為なの。だからこそ、超越者の形相は思想や性格に反映されるのよ」


「ふむ、それと超越者の年齢の問題がどう重なるんだい?」


「可能種が人の精神を糧とするなら、凝り固まった概念だらけ――つまり、社会の規則やマナーといった人間生活を行う上でのいわゆる常識ね。これが、質料が高次元へと昇ろうとするのを邪魔するのよ。質料は、人間社会――物理現象などの固定化観念に侵されていない無色の因子なのよ。私達大人は凝り固まった理念――物理法則でこの次元のみならず、他の次元にまで自分の次元に存在するものだけで理解しようとするわ。だけど、高い次元に存在するものが低い次元に存在するものに縛られる? だから、三次元に縛られる私達(おとな)では高位の次元へと導かれないのよ」


 話している内に自分の説に確信を持っていったのか、揚々と熱弁をふるう。


「逆に、子供達はまだ私達の次元に完全に縛られていないわ。夢見がちといった方が良いかしら? 誰しも幼い頃はファンタジーを信じているでしょう? だけど、大人になるにつれそれは疑いの目を持ち、やがて完全に信じなくなる。だから、超越者は一定以上の年齢を重ねてしまっていると高位へと昇れないのよ」


「なるほど、一理ある」


 ミトラはアストリアの仮説に対し、信憑性があると判断する。


「だが、ほんの一例だが、年齢を重ねた大人でも高位へと至れた事もあっただろう?」


「……ノエルの事ね。でも、あの人って結構夢見がちな人だったから……」


「ああ、そういえばそうだね」


 ノエルはアストリアの荒唐無稽な計画を誰よりも信じていた。誰もがそんな事ができる筈がないと諦めても、ノエルだけはできると信じていたのだ。


「それで話が変わるんだけど、例のあれは完成しているかい?」


「ああ、あれね。なるほど、この事を聞きたくてここに呼んだのね? ならば、答えてあげるわ。答えはイエスであり、ノーよ。完成はしているんだけど、臨床実験はまだしていないの。だからまだ試作段階。実用化するには、サンプルが必要ね。レイム達で実験できるんなら、迷わず実験できるんだけどね」


 それはまるで夕食のメニューでも決めるような気軽さである。彼女は自分の息子と他人の子供、どちらを実験体として選ぶか問われたら、迷わず自分の子供を実験体として選ぶ。


「そうですね。そのための彼らですから。ですが、残念ながら彼らには必要ない代物なんですよ。何処かに快く承諾してくる方はいないのでしょうか。ああ、そういえば一つだけ心当たりがありました。それなら、今日の午後できるであろう新部隊の団員を使用してください。事の重要性を顧みれば、彼女達もノーとはいえないでしょう」


 言葉を返す彼も、夕食のメニューはあれがいいと云わんばかりの気軽さである。


「あら、いいの? 丁重に預かる事になった娘さんなのでしょう? もし失敗したら彼女達壊れちゃうかも」


「別にかまいませんよ。いずれにせよ、この実験の結果は今後の世界樹制圧に必要不可欠な代物です。誰かがやらなければいけないのですよ。それに、もし失敗してもレイムがいるでしょう?」


「それもそうね。さすがに第一回の遠征以降だと厳しいけど、今現在は容量も空っぽだしね。何回でも失敗できるわ」


 それはまるで魔女の釜に煮る供物の選別。生贄となるものを選別するのに何ら躊躇いもない。

 それも無理はない。彼女達は、一族の贖罪の為に合法、非合法問わず倫理的に厳しいものまで世界融合の爪痕を消すためだけに己の手を血で染め上げてきた。今さらブレーキを踏む事はない。いつか機体が軋みをあげて壊れるその時まで、何の躊躇もなくアクセルを踏み続ける。


「では、明日までに実験の準備を」


「ええ、わかったわ」


 もう用はないとばかりに、アストリアは即座に退室する。


「ああ、それと……ちゃんと寝食は取るように!」


「考えておくわ」


 ひらひらと手を振るだけで空返事。

 ミトラは、レイム達にアストリアの世話をするようにと進言することにした。


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