2-4 透ける思惑
「う~」
『銀の星』の宿舎でソフィアに与えられた一室は、一般家庭におけるリビングと同等以上の広さを有し、持ってきた荷物を楽々と収納する事ができる。
一人で寝るには多少広い大きさのベットの上で、ソフィアはワンダが刺繍されている毛布で身を隠しながら唸り声を上げていた。
「いつまでそうしているつもりですか? 亀のように毛布の中に閉じ籠もってばかりいないでさっさと顔を見せてください」
「うるさい。何があったか自分の胸に手を当てて考えてみなさいよ」
「ふむ……」
フィレスティナは黒のナイトドレスを押し上げる自分の胸に手を置く。
「ソフィアよりも豊かな胸があります」
「やかましいわ!」
ソフィアは抱えていたワンダのぬいぐるみをフィレスティナに投げつける。
「全く……何が御不満なのですか? 折角、お目当ての方達と親しくなれるようお膳立てをしてあげたというのに」
「だからって、あんなのは想定していないわよ!」
フィレスティナがあんなに話に割り込み、浴場で説明会などという馬鹿げた事を提案したのは、全てレイム達とソフィアの距離を縮めるためなのである。全てが彼女の思惑通りに進んだである。
「でも、そのおかげで彼らと親交を交わすのに問題ない状態へと持ちこめましたよ? あの人達が距離を取る事があれば、今日の事を盾にとって押しかければいいのです。ソフィアに任せておけば、いつまでたっても先に進めませんからね」
「うぐ……」
「よかったですね、ソフィア。今まで部隊を設立したり、他の部隊に入団しなかった甲斐がありましたね」
「――うん」
亀が閉じ籠もっていた甲羅から顔を出すように、ひょっこりと顔を出す。ソフィアはワンダを模したパジャマを着ているため、頭頂部にはぴょっこりと耳が立っていた。
ソフィアがこれまで部隊を設立したり、何処かの部隊に入団しなかったのは、レイム達がいる『銀の星』に入団したかったからである。
ソフィアは両親の縁故で生まれた時から彼らとは親交があった。彼らが生まれた時には既に人間伐採が徴候し始めていたので、同年代の友人は彼らだけであった。
その後、約十の年を過ぎるまで彼らと友好を深めていたのだが、世界樹を制圧するのに必要な超越者の研究が悪用された事もあって、レイム達の両親とソフィア達の両親は身の安全を確保するため互いに離れ離れになり、縁故を断ち切ったのである。
それから『黄金の夜明け』に就任することが決まるまで、ソフィアの彼らに対する思いは薄れるどころかますます募る――否、募るようにさせられた。
『黄金の夜明け』に就任してからすぐにレイム達もここにいることが分かり、また縁を結びたかったがそれはできなかった。
レイム達は必要最低限でしか人と交流せず、また誰に対しても厳しい態度を取ってきた。それは人間伐採に対する対策であり、だからこそ声をかけるのを憚れたのだ。
今では人間伐採対策として、公私別に名前を使い分けることが義務付けられている。あれから時間が経ち、さらに名前も公の名前を使用しているので気づいてもらえないのでは不安になっていたのだ。
だから、時々施設内に来る彼らを遠目で眺めることしかソフィアにはできなかったのだ。
レゼル達は娘のそんな心境を理解していたので、彼女が彼らに公に接触できるように『銀の星』に入団という形で図ったのである。
「しかし、これから大変ですね。私達に接触しようとする者は後を絶ちませんよ。私達を引き抜こうとする者、ソフィアの部隊に入団しようとする者、サポーターとなり甘い蜜を吸おうとする者、そして――」
「うん、分かってる。私達は囮なんだよね。伐採者達を誘き寄せる」
「ええ、そして他の部隊と接触を図る場合の橋渡しが、私達を『銀の星』に入団させた理由なのでしょう」
ソフィアは『銀の星』に入団できた理由を両親の縁故によるものだと楽観視していない。世界樹制圧とは、人類が生存できるか絶滅するかの瀬戸際なのだ。今は表面上は平和を保っているが、いつ地獄が再来してもおかしくはないのだ。
だから、この約二十年間それだけの為に生き、その可能性を有するであろうあの一族に危害を加えさせる隙など作る筈もないのだ。
「それでもいいよ。レイム達と一緒にいられるなら、囮でも橋渡しでも何でもいい。レイム達になら使い捨てられたってかまわない。私は、レイム達を護る騎士になる」
「植えつけられた感情はそれですか」
「うん。レイム達と仲良かったからこういう風に変異したみたい。フィレスは?」
「――秘密です」
フィレスティナは瑞々しい唇に指を添え、可愛らしくウインクする。
ソフィアとフィレスティナは大の親友である。それは、彼女達が共に苦難の時を乗り越えてきたからに他ならない。
「ふ~ん……ま、いいけど」
フィレスティナはソフィアと同じような処置が施されているが、どのように変異しているかはフィレスティナが語ろうともしないし、ソフィアも無理に聞き出そうとはしていない。
「ソフィア、一緒に眠りましょうか」
フィレスティナがもう話はおしまいとばかりにブランケットを捲り上げ、ソフィアを手招きする。
「いいけど、変な事はしないでよ」
「しませんよ。今日はもう堪能しましたからね」
「むぅ」
フィレスティナはソフィアを我が子を抱くように優しく抱き寄せる。
「今度はフィレスも同じ目に遭わせてやる」
「はいはい、その時を楽しみにしてますね」
拗ねた様子のソフィアをフィレスティナはあやすように頭を撫でる。
ソフィアは不満げな表情を見せているが、フィレスティナの成すがままになっている事から嫌ではない様子である。
「フィレス――ありがとう、大好きだからね」
ソフィアはぼそりと呟くと、照れを隠すように目を閉じ、フィレスティナの豊満な胸へと埋もれていったのである。
「私も――大好きですよ」
フィレスティナはソフィアの温かい温もりを感じながらそっと眠りに就いた。
◇◇ ◇
「ソフィアを可愛がるのは面白かったな。また別の機会に共にするのも悪くない」
アインはレイムの胸板に転がりながら、浴場での濡れ場を思い出して忍び笑いをする。
「そうですね。まるで昔に戻ったみたいです」
シェキナもコロコロと笑いながらアインと同じように身体を寄せる。
レイム達とソフィアは両親の関係から幼少の頃からの付き合いであり、当時の事情もあって唯一無二の友人であった。
その親交が途絶えたのは、彼らが十の頃を過ぎた時。超越者開発の中期であり、人間伐採の再発期でもある。
カルト集団所属の超越者による襲来もあって、ソフィアとはそのまま生き別れたままだったのである。
レイム達はソフィアが『黄金の夜明け』に所属した事は、彼女が所属した当初から知っていたが、彼らから接触を図るわけにもいかず、また親しい関係であった事を露呈するわけにはいかないので見掛けても無視していたのである。
「それでレイムよ、どうするつもりだ?」
これまで和気藹藹としていたアインは、突如として何の感情も浮かんでいない冷徹な表情へと様変わりした。
「どうするつもりとはどういうことかな?」
対するレイムも変貌したアインの様子でうろたえることなくいつもの優しげな口調で問う。ただし、表情は彼女と同じであるが。
「分かっておる癖に問うでない。あの者らの事だ」
かつての親交である者でさえ疑いの目を向けねばならない。彼らはそういう世界で生きているのだ。
「経歴からすれば僕達に恨みを抱いている可能性は否定できない。彼女達の行動を監視する必要はあるけど、多分僕達を裏切る事はないと思うよ」
「だから、あの者らの好きにさせたわけか。どう行動するのかを探るために」
「レイムは懐に入れた者以外には冷たいですからね。おかしいと思いましたよ」
「他人に冷たいのはお互い様だろう? 何せ僕達が他人と関係を築くと碌な事が起きないからね。僕達自身は何もしないけど、周りの人間はそうもいかない。だから、始めから遠ざけておいた方が身のためだ」
「それもそうだな」
彼らは幼い頃から己が境遇を両親のみならず周りにいる者達全てに言い聞かされ、一族の贖罪の為に生きてきた。
自分達と関係を築く事がどういう事かそれを目の当たりにしてきたので、彼らは人との交流を必要最低限以外全て絶ってきたのだ。
「あの方達を入団させるなんてお父様は何を考えていらっしゃる事やら……予想は付きますが」
「他の部隊への干渉役か、それともわれらに危害を与える者達への撒き餌か」
「どちらも、だよ。ソフィア達も多分その事に気づいているだろう。そして、どちらに接触すべきかは明らかだ」
「本命はフィレスティナだな……ソフィアは問題ないのか?」
「うん。元々彼女は付き合いが良い方じゃないからね。相手も接触しにくいはずだよ。だから、接触がこれからある、もしくは既に接触した可能性があるのがフィレスティナ」
レイム達が浴場で説明会という馬鹿げた思惑に乗ったのは、フィレスティナとの関係を深めるため。フィレスティナも気づいているかもしれないが、これから親密になるにあたって、急速に関係を深めるには、フィレスティナの思惑は丁度良かったのだ。
何が真で、何が偽か。
内情を探るには、男女の閨事は最適な手段の一つである。
ましてや、第一回の世界樹制圧まで然程時間はない。できるだけ内憂は早めに消しておいた方が身のためなのである。
「われらは何かする必要があるか?」
「ソフィアの相手をお願いできるかな? 第一回の遠征後を考えれば、彼女を鍛えておいて損はない。ソフィアに裏という裏はなさそうだしね。多分、フィレスティナも僕に接触するだろうから、フィレスティナは僕が相手をするよ」
「つまり、フィレスティナと寝るのだな」
「うん。男女の肉体関係にあるという事実、もしくは噂でもいいから流れれば、フィレスティナに接触しようとするか、あるいはフィレスティナが何らかの行動を起こすだろう? 探りを入れるにはうってつけなんだよね、彼女」
「そうだな。……しかし、真偽いずれにせよ、そなたは豊潤な果実を平らげるわけだな、この色男」
アインはレイムの鼻頭を指で軽く弾く。
「浮気性な夫を持つ貞淑な妻としては辛い所です」
そっと涙を拭く仕草をするシェキナであるが、彼女の目元には涙は流れておらず、涙目にもなっていない。
「そのような甲斐性はないと思うんだけど……」
悲壮な雰囲気を携えておらず、いわばからかっているような雰囲気だけにレイムは誤魔化すように笑うことしかできない。
「分かっておる。そなたが女を口説く甲斐性などない事はな。そなたはただ大樹のようにどっしりと構えておればよい。われらはそなたという大樹に実る果実、もしくは枝葉なのだ。そなたはただ、枝葉に栄養を送る事だけしていればよい」
「それだといつか離れることにならないかな?」
「枯れるなり腐るなりして落ちたとしても、また大地を通ってそなたを巡り、再び枝葉や果実を実らせるだけよ。何があっても何度でも何度でもそなたの元へ還るから何の問題はない」
「そうですね。それに、決して落ちない枝葉もあるのですよ。私に任せてください」
「それもそうだね」
三人は互いに笑い合う。三人はお互いをなくてはならないものだと認識していた。例え、明日その身がなくなろうとも、一緒になくなってしまうのであれば、明日が来ない事を笑い合えるくらいに。
「さてと……明日はソフィアかフィレスティナ、あるいは両方が透と寝ることになるであろうからな。枝葉は枯れないように栄養を送ってもらわねばならん」
「そうですね。でも、大樹を枯らさないようにもしなくてはなりません。他の枝葉にも栄養を送らねばなりませんから」
「…………お手柔らかにね」
大樹が枝葉に栄養を送り終えたのは、数時間後の事であった。