2-1 いざ、面接へ
『ソフィア=クオーツ並びにフィレスティナ=オーラム、君達は司令部直属部隊『銀の星』に所属してもらう事が決定した。指定された日時、時刻までに自分の荷物を纏め、彼らに与えられている宿舎に移動したまえ』
多少文句は違うが、そう司令部から伝達されたソフィアは、ぶつくさと文句を言いながらもテキパキと荷物を纏めていた。荷物を纏める手は流暢で、とても文句を言っている人物の仕草とは思えない。
「まったく、どうして私がよりにもよって一番厄介な部隊である『銀の星』に転属されなければならないのかしら。かよわい乙女である私をあんな獣の巣に放り込むなんて、なんて薄情な親なの。確かに他の部隊とは比べ物にならないほどに安全らしいけど、それと同じくらいに危険じゃない。無敵で素敵な私には相応しくないわね。まぁ、可愛くて儚げな娘を心配する気持ちが分かるから今回は従ってあげる。しょうがなくだからね。しょうがなくだからね」
「何故しょうがなくを二回言うのですか? 言い訳がましいにも程がありますよ」
「ぐわらくしゃー!」
荷物を纏めていたソフィアは突然声を上げられた事に驚き、とっさに手元にあった胸元に抱え込むには充分な大きさのワンダのぬいぐるみを奇声を上げながら投げつける。
闖入者は投げつけられた物を躱す事はせず受け止めると、お返しとばかりにソフィアに投げ返す。
「ぺぷち」
ソフィアは投げ返されたぬいぐるみを顔面で受け止めると、闖入者であるフィレスティナを睨みつける。
「呼び鈴くらい鳴らしなさいよ。その程度の常識も弁えていないの?」
「はい、鳴らしましたよ。これでいいですね?」
フィレスティナは入室時には鳴らさなかった呼び鈴を、ソフィアがフィレスティナを認識してから鳴らす。どう考えても使用用途には適していないのだが、フィレスティナにとっては問題ないようだ。
「で、何で呼び鈴鳴らさなかったわけ?」
「勿論、ソフィアのあられもない姿を拝見するためです」
ソフィアはしれっと嘯くフィレスティナに頭を抱える。
フィレスティナは一見お淑やかで物腰も柔らかいのだが、その本性は違う。慇懃無礼を地でいき、さらりと毒舌を混ぜ、他人をからかうのが大好きという困った女性なのである。
「てっきり部隊に所属した事に文句を言いながらごろごろしているのかと思ったのですが、思いの他準備万端ですね。それにしても、私は不幸ですね。ソフィアの可愛らしい姿を拝む事ができなくて」
「私は幸運よ。フィレスに弱みを握られなくて」
ソフィアとフィレスティナ、二人は親友ではあるが、力関係ではフィレスティナが上である。物理的な意味ではなく、ソフィアはフィレスティナにこれまで多くの弱みを握られているので、精神的に頭が上がらないのである。
「それで、フィレスは準備できてるわけ? まさか、手伝ってほしいなんていわないわよね?」
「そのまさかといいたいところですが、私はとっくに準備を済ませていますよ。残念です、ソフィアをこきつかえなくて。いえ、どうせなら今から準備しなおしましょうか?」
「やめてよ、面倒臭い」
「そうですね。というか、何でお昼の今頃準備しているんですか? 一応、一晩程時間ありましたよね?」
「…………」
ソフィアは表情を悟られたくないとばかりにそっぽ向いた。
フィレスティナはソフィアのその様子に事情を察した。
「なるほど、あなたは夏季休暇の課題を最後の日になって慌ててこなすタイプですね? お母さんは嘆かわしいです。毎年言っているでしょう? 毎日コツコツやりなさいと」
「誰がお母さんよ! 別にいいじゃない、最後の日に纏めてやっても。夏季休暇に課題がある方が間違いなのよ」
「そう言ってあなたは私に泣きついてくるのですね? いいでしょう、あなたに借りを作れるのであれば私も本望です。さぁ、好きなだけ遊びなさい」
「うぐ……」
ソフィアは借りという言葉に呻く。フィレスティナに借りを作ると碌な事にならないのだ。大抵の場合、辱めを受けたり、懐が寂しくなったりするのだ。
「それよりも、さっさと指定された場所へ向かうわよ! 準備はいいかしら?」
「ええ、誰かさんと違って」
「一言多いのよ、あんぽんたん!」
ソフィアは纏めた荷物を亜空間へと仕舞い、電子文書で指定された場所へと向かった。
さて、指定された場所へおよそ五分前に到着した彼女達であったが、彼女達は戸惑っていた。
「ねぇ、ここでいいのよね?」
「ええ、ここでいいはずですが……」
指定された場所へ来たはいいものの、彼女達の目の前には合成金属の壁が立ち塞がっているだけ。道を間違えたのかと不安になるのも無理はない。ここまで来るのにまるで迷路のような通路を通ってきたのだ。
「もしかして、間違えたとか?」
「いいえ、伝達されたメールを確認しましたが、どうやらここで正しいようです」
フィレスティナは手元にある携帯端末を弄り、メールの内容を再度確認する。メールには、ここまでの道程とこの階に来る事ができる唯一のエレベーターを原点としての座標が記載されている。超越者には座標を確認できる能力があるので、それと照らし合わせれば、この場所はメールの座標とこの場所の座標は一致していた。
「だったら、何で立ち止まらなきゃいけないわけ? もしや、この壁ってホログラム?」
「ええ、そのようです」
フィレスティナがソフィアの意見に賛成すると、ソフィアは目の前の壁へと歩き出す。
「ぺぷち」
だが、当然ながらその壁をすり抜ける事ができず、ソフィアの可愛らしい顔は壁へとぶつかるのだった。
「ねぇ、ホログラムじゃないんだけど……」
「ええ、そのようです」
しれっと返答するフィレスティナに、ソフィアはこめかみがひきつく。
ソフィアがフィレスティナの言葉を信用した訳は、フィレスティナが視力に頼っているわけではないからだ。
フィレスティナは盲目の女性である。しかし、彼女はまるで目に見えているかのように行動できる。それは、彼女が通常の方法とは異なる方法でこの世界を視認しているからである。
その方法を用いれば、例え一寸先も見えない暗闇の中だろうと、自分の立ち位置さえ不確かな鏡の迷宮であろうとも、いつもと変わらずに彼女は足を進める事ができるのだ。
なので、ソフィアはフィレスティナがそういうのであればと壁へと進んだのである。
「私をからかったのかしら?」
「ええ、そのようです」
三度同じ言葉を繰り返すフィレスティナに、ソフィアはからかったお返しとばかりに襲いかかる。
「私をからかって面白いのかしら?」
「ええ、そのようです。しょひあ、いひゃい、いひゃいれふ」
「当然の報いよ」
ソフィアに捕獲されたフィレスティナは、頬を伸ばされるという刑に処された。
フィレスティナに騙される形となったソフィアであったが、彼女はフィレスティナに怒りを覚えてはいない。からかった友人を軽くお仕置きする程度のものである。
フィレスティナもそれが分かっているので、このような小芝居を開幕したのである。
彼女達の姦しいスキンシップは、彼女達の懐から鳴り響くメロディー音で中断される事となる。
「一体、誰からでしょうか?」
「なになに……『その場所を基点として、記載された座標に移動せよ。尚、この文書は開封後、六十秒で自動的に消去される』」
二人は顔を見合わせる。そして、同時に合点した。
「なるほど、『銀の星』の宿舎は厳重に隔離されているというわけね」
「ええ、しかも第三位階《神殿の首領》の手を借りる必要がありますね。それだけでは守りには不十分でしょうから、何かしらの処置は施しているのでしょう」
「そうね。じゃあ、その座標に移動しましょうか。フィレス、よろしく」
「しょうがないですね。では、いきますよ」
そうして、二人はこことは異なる座標点へと移動した。
二人が移動した先は、これまで辿って来た迷路のような通路とは打って変わって、迷いようのない一本道の通路が待ち構えていた。
二人は薄暗い廊下を臆することなく歩いていく。
「なんだが、不気味ね。暗いし、静かだし、まるでフィレスみたい」
「ええ、この何が起こるか分からない不気味さは、無鉄砲なソフィアみたいです」
「どういう意味かしら?」
「そういう意味ですよ」
音を吸い込むような薄暗い廊下に喧噪が充ちていく。互いに罵り合っているのだが、二人の間に剣呑な様子は見られない。
「ところで、気づいていますか?」
「ええ、この気配でしょ?」
「はい、まるで誰かの体内にいるような感じですね」
二人が薄暗い廊下よりも気にしているのは、視覚から来る圧迫感ではなく、第六感から来る圧迫感。重圧さえ伴わせるようなそれは、二人の精神を蝕んでいく。
「そのあたりの事も聞いてみましょうか?」
「はい、ずっとこれでは気が滅入ってしまいます」
そうして二人が辿り着いたのは、生体認証に似た認証装置が設置されている扉の前。二人がその扉の前に立ち止まると、扉は二人を迎え入れるかのように静かに開く。
玄関で靴を脱ぎ、横に備え付けられているシューズボックスの中にあるスリッパと入れ替えると、二人程度が並んで歩ける廊下を進む。
その廊下を抜けた先に広がるのは、談話室である事が窺える広めの一室。
ソフィア達は軽く会釈すると、目線による誘導に従い、三人が座っている対面のソファに座る。
「まずは、歓迎の言葉を言わせてもらうよ。ようこそ『銀の星』へ」
歓迎の言葉を伝えたのは、相も変わらずワンダの着ぐるみを着用しているレイム。
「君達の個人情報については、既に簡単にだが見させてもらった。そこで、それらを確かめるためにも《ポルタ》に移動しよう」
三人が案内したのは、仮想世界に入るための装置が収納されている一室。
「シェキナは二人の制服とエンブレムを用意してもらえるかな?」
レイムの指示にシェキナは従い、残る四人は《ポルタ》で仮想世界へとログインした。
仮想世界で具現化された世界は山の中腹らしく、高さ数十メートル、幅十メートルを誇る滝やそれを囲うように樹々が所狭しと並び立っている。
「レベルⅧまでの形相をあの滝を相手にお願いできるかな? できれば二人同時に」
レイムにそう言われ、ソフィア達は滝を挟んで並び立つと、質料を励起させる。
ソフィアが伸ばした形相で滝を真一文字に切り裂くと、フィレスティナは滝を真っ二つに縦に断ち切る。十字に引き裂かれた滝は上方から流れる水量で元の形に戻ろうとするが、それは叶わなかった。
ソフィアが形相を円盤状に変化させ、流れる水量を押し上げているからだ。
流れる水が押し上げられた事で露わになった泥をフィレスティナが放った螺旋形の形相が抉り取り、奥へと突き進んでいく。
「へ?」
素っ頓狂な声を上げたのはソフィア。ソフィアが突如として覆った影の正体を確かめようと、上空を仰いだのだ。
影の正体はかなりの質量であろう泥の山。ソフィアは突如として出現した泥の洪水に呑み込まれ、その姿を消す。
「失敗しました。反省しなくては」
憂いの表情を帯びるフィレスティナであったが、彼女は微塵も反省していないかのごとく台詞は棒読みであった。
「あ・ん・た・ね~」
ソフィアが地中から這い上がり、フィレスティナの足を掴むと、彼女を地中へと引き摺りこむ。
「ああ、心配しましたよ、ソフィア。御無事で何よりです」
「白々しいのよ、あんたは! こうなったら道連れにしてやる!」
「そんな殺生な!」
「ええい、問答無用!」
地上からでは二人の首から上しか確認できないが、おそらく地中では二人が絡み合っているのだろう。フィレスティナを逃さないようにソフィアが背後から拘束している事を窺える配置である。
生首となっている二人に降り注ぐのは、先程の泥ではなく大量の水。バケツ一杯の水を丸ごとひっくり返したような土砂降りの水が、生首である二人に降り注いでいく。
ここで、二人が行った変容活動について口を挿まねばならない。
形相の変容活動レベルⅦ《重複》は、異なる二つの座標点をどちらか一方を別の座標に押しやることなく同時に成立させることである。
例えば、ガラスケースに入った宝石があるとしよう。通常ガラスケースに入った宝石を取る場合、ガラスケースを取り除くか壊すことでしか中にある宝石を手にする事ができない。
しかし、変容活動レベルⅦ《重複》を用いれば、ガラスケースを擦り抜け、ガラスケースに対して何もする事無く宝石を手に入れる事ができる。
いわゆる、物体の透過こそが《重複》の特性である。
そして、形相の変容活動レベルⅧ《次元移動》は、いうなれば物質の瞬間移動である。
異なる座標の移動手段は主に二つある。
一つが、座標Aと座標Bを入れ替え、座標Aがあった所に座標Bを、座標Bがあった所に座標Aを配置する手段である。
もう一つが、座標Aを座標Bに《重複》させることである。
ソフィア達が成した事は、フィレスティナが泥の中へ放った形相を中心として一定空間内にある泥を全てソフィアの上空にある同じ広さの空間と座標を入れ替えたのである。
一方、ソフィアは下方にある物体――土を透過して下へ逃げ出した後、フィレスティナの足元に瞬間移動した。次に、フィレスティナを地中へと同じように透過した後、形相の円盤の上方にあった空間内の水を自身の上空の空間と交換したのである。
ここで、一つ注意しなくてはならないことがある。《次元移動》が《重複》よりも上位にあるのは、《次元移動》の原理によるものである。
《次元移動》に二つの手段があるが、本質的には原理は一緒である。
座標Aと座標Bの座標を交換する場合、一時的に今の次元とは異なる次元へと移動させた後、その異なる次元を通じて座標を交換させるのだ。
つまり、瞬間移動と銘打っているが、本当に発動と同時で移動させているのではなく、ほんの少しのタイムラグが発生している。
対してもう一方の手段――座標の《重複》こそが《次元移動》を《重複》よりも上位へと仕立て上げている。
座標Aを座標Bに移動させる場合、交換と同じように異なる次元に移動後、座標Bと同じ次元に戻るという手筈を取る。
その場合、座標Aは座標Bに問題なく重なる事ができるか?
それは否である。
正確には、座標Aや座標Bに存在する物体の質量、密度、そして体積次第であるが、人間程の物体になると、異なる座標に次元移動する場合だと、どうしても移動が困難となるのだ。
例えば、座標Aの物体が座標Bの物体に同じ次元でぶつかると、当然ながらどちらか一方か、あるいは両方がそのぶつかりあった座標から弾かれてしまう。
だが、座標Aの物体が異なる次元を介し、座標Bの物体と重なる場合だとどうなるか?
答えは、次元の壁を突破できず、座標Aの物体は異なる次元に取り残されるのである。
次元を移動する場合のエネルギー――この場合だと質料を消費すればある程度は無理やりにでも突破はできよう。
だが、次元は同じ次元に縛られる。
座標Aの物体が異なる次元を移動できる能力を持っていようと、一時的とはいえ、その次元に縛られる。座標Aの物体が上位であれば、座標Bにある物体を押しやる、もしくは移動してきた次元へと排出、つまりは消失する結果となる。
しかし、座標Aの物体が上位となるための質料を確保できなかった場合だと、その分だけ異なる次元に取り残される形となる。
人間に例えるならば、骨だけが異なる次元に取り残されることもあるのだ。
つまり、座標Aの物体が座標Bに問題なく移動する場合、座標Bにある場合を異なる次元から干渉し、座標Bにある物体を座標Aの物体の分だけ押しやった後に移動するか、座標Aにある物体と座標Bにある物体を異なる次元上で交換するという手筈が取られる。
では、座標Aの物体と座標Bの物体を無理なく両立させる場合だとどうすればいいのか?
それこそが《重複》である。
座標Aの物体が透過する事で座標Bにある物体に干渉することはない。
正確には、座標Aにある物体を座標Bにある物体と同じ次元に置きながらも、異なる次元へと置く事でその矛盾を解消しているのだ。
表現としては異なるが、人間の視覚トリックを用いたモチーフで、視点を何処に置くかで人間の顔が横を向いているようにも、正面を向いているようにも見えるものがある。どちらか一方だけを描いているわけではない。矛盾することなく二つを両立させ、一枚絵を完成させているのだ。
要するに、《重複》はそれと似たような状態にするのだ。