1-1 着ぐるみと少女達
天を衝かんばかりに泰然と聳え立ち、決して揺らぐ事はないであろう樹幹。大地を支配せんとばかりに縦横無尽に張り巡らされている根茎。過去に行われた案件により世界に存在する事になった『世界樹』は、今日もまた現世と幽世の狭間で確固としていながらも、いつ消えてもおかしくないほどの不分明な、まるで蜃気楼のように目に見えていてもそこには存在していないかのように世界にその姿を現している。
それもむべなるかな。世界樹は、現世とは異なる次元に存在しているのだ。
世界樹は、この世界の原始から大地に根付いていた大樹ではなく、人間達がある目的を達成するために造り上げた人工樹なのである。
人の叡智の集大成として造り上げられた世界樹は、今日もまた世界の希望と絶望の象徴として世界に君臨する。
* * *
剥き出しとなっている大地は、遥か天空に群青の絨毯が広がっている様に、異なる色をその絨毯の上に残していない。その広大な茶色の絨毯に乗ることを許された青年は、その絨毯を所有物であるかのように泰然と仁王立ちしている。
それはさながら絨毯を領土と見立てた王の姿。
彼が仁王立ちしているのは、所有物である絨毯に立ち入る事ができないために無粋な輩が取り囲んでいるためである。
何かの開始を告げるかの如く、静謐であった空間にノイズが混じる。
それと同時に無粋な輩達は、絨毯の所有者である青年に手に持つ銃火器で放たれる銃弾を殺到させ、戦車から飛び出す砲弾で絨毯を削り、上空を我が物顔で飛び回る戦闘機で爆弾を雨あられと降り注がせる。
無粋な簒奪者によって荒らされた絨毯は所々ほつれを見せ、穴が蜂の巣のように空けられている。
それにもかかわらず、絨毯の主であった青年は泰然自若と健在である。
金属と爆薬の雨が止んだのを青年は確認すると、高々と右手を上げ、絨毯を荒らし回った簒奪者達を断罪するかの如くその右手をギロチンのように振り下ろす。
彼の右手が振り下ろされた先は、まるでモーゼが海を割った時の如く大地が真っ二つに割け、割けた大地から覗き見れる隙間は、いくら目を凝らしても底が見えないかのように深い。
青年は、それを勝ち誇るかのように大地を割いた右手を高々と上げた。
* * *
「ふん、あの程度私にもできるわよ」
公共の放送局から流れている映像を見ながら、成熟した花に咲こうとしている少女は、青年が成し遂げた偉業を何でもない事だと吐き捨てる。大方の一般人は待ち望んだ成果を目の当たりにして歓声を上げているだろうが、青年と同じ側である少女にとっては、あれは単なる茶番にすぎないのだと百も承知していた。
「確かにソフィアも同じ事ができるのでしょうが、あれは性能を競うのではなく、人々にここまで成果が上がった事を示すためのデモンストレーションにすぎませんからね。彼も噂に聞いているよりかは、いくらか手加減しているみたいですし」
「分かっているわよ、そんなこと。独り言みたいなものだからフィレスもいちいち返答しなくてもいいわよ」
ソフィア=クオーツはややぶっきらぼうに答える。海を封じ込めたような青碧の髪、叡智を秘めた翠玉の瞳は彼女の粗野な言動でも色褪せる事はない。化粧をあまり施していないが、それは施さない方が彼女の美貌を引き立てるからである。玲瓏と例える方が適している彼女の風格は顔立ちにも出ており、一般的な食堂で何の変哲もないキノコクリームパスタを食しているだけなのに高級レストランで食している様に錯覚させる。
そして、彼女の対面に座するのは、ソフィアに劣らない美女――フィレスティナ=オーラム。透き通るような金の髪質は、光が様々な色へと変化するように見る角度により一つの色へと定まらない。だからだろうか、その美しい金の髪は結い上げられている事で、軽く纏めているだけのソフィアとは異なった色気を醸し出している。瞳が閉ざされていても彼女のまどろみを誘うような温和な風格は、同姓であっても溜息を禁じ得ないだろう。
この場には彼女達二人しかいないが、もし他の者達がいても彼女達の美しさの前には気後れし、遠巻きに眺めることしかできないでいたであろう。
二人は暫しの間、無言でお互いの前に用意してある食事を摂る。流れる音は彼女達が織り成す食器の旋律と、テレビから流れる先程の映像で出ていた青年が商品を宣伝している音だけ。
二人は元々食事をしている最中話をする性格ではない。先程は口に出すような話題が出てしまったから話を少ししただけなのだ。
やがて、二人が織り成す食事の旋律が鳴り止むと、フィレスティナは穏やかな口調で話を切り出す。
「ソフィアは部隊の所属をどうなさるおつもりですか?」
「どうっていわれてもね……」
ソフィアは何処か上の空で口を濁す。
「自分で部隊を設立するか、それとも他の部隊に編入するのか。ソフィアは他の部隊から打診があるでしょうし、司令部からも何処かの部隊に編入しなければ部隊を設立するようにと催促が来ているでしょう?」
「それはフィレスも一緒でしょう?」
「私はいいのです。どうするかは決めているので」
煮え切らないソフィアに対し、フィレスティナはピシャリと言い放つ。
「へぇ、決めてるんだ。フィレスはどうするの?」
「あなたが部隊を設立するかどうかに関わってきますね。どうせあなたは部隊を設立したら隊員を選り好みするでしょう。そうしたら、友人も碌にいないあなたでは部隊を設立しても一人っきりになる可能性は大ですし」
「うるさいわね。私は友人を選ぶのに慎重なだけよ。顔見知り程度の友人なんて真っ平御免だし」
ソフィアはやや不貞腐れている様子で、食後に用意していたコーヒーを啜る。甘めにしているはずのそれは、何処か苦々しさを感じさせる。
「冗談半分はここまでにしましょう」
「もう半分は本気なんだ」
「あなたに友人が碌に居ないのは事実ですし」
ぐさりとソフィアにフィレスティナの言葉の槍が突き刺さる。無遠慮に交わされる言葉の応酬ではあるが、ソフィアにとっては下手に本音を隠されるよりかはいいと判断しているので、フィレスティナの暴言により彼女を嫌う事はない。この程度で嫌うのならば、とっくの昔に彼女と友好の縁を切っていたと断言してもいい。
「…………」
「そんなに拗ねないでください」
「拗ねてない」
プイッとソフィアは顔を背ける。
拗ねてないと本人は宣っているが、唇を尖らせているので拗ねているのは丸わかりである。フィレスティナはそんな友人を可愛らしく思い、忍び笑いをする。
「まぁ、あなたをからかうのはここまでにして……実際、私達は世界を危機に陥れる世界樹をどうにかするためにこの組織に所属しているのですから、いつまでも所属を決めないというのは不味いと思うのですよ」
世界樹がこの世界に根を張る事となったそもそもの切っ掛けは、この世界の資源不足と長寿化による人口の増加が起因となっている。
あわや世界大戦にまで発展しそうになった世界は、ある実験により待ったを掛けられたのである。
それこそが『世界融合』。
『世界融合』の実験内容は、この世界に他の世界の資源を融合させ、特にネックとなっていた化石燃料などの天然資源の復活を志すという内容である。
この荒唐無稽な実験は、追い詰められ始めていた人類が僅かな希望を込めて遂行された実験であり、もしこの実験が失敗に終われば、人類は血で血を洗う不毛な闘いに身を投じることとなっていたであろう。だからこそ、一パーセント未満の可能性であっても人類はその可能性に賭けざるを得なかったのである。
人類の存亡を賭けた実験は、世界の融合という成功を報酬として受け取ったといってもいいだろう。
ただし、その実験には負債が付いて回った。
世界融合を志した世界を軸とする世界を造り上げる事となったのだが、他の融合した世界が軸となった世界に反発し、自分の世界を軸とする現象が現在軸となった世界に発現したのだ。
気温が砂漠を彷彿とさせる程の酷暑にまで上昇したかと思えば、次の瞬間には極寒の地を思わせる氷点下の気温まで下がる事もあった。局所的に豪雨が降り注ぎ、洪水となって全てを押し流した地もあれば、一滴の水も降らないほどの乾燥した地もあった。重力の偏在が変わり、まるで数十キロの重荷を背負わされたような地もあれば、身体が宙に浮くほどに重力が軽い地もあった。一日中真昼のような地もあれば、一日中夜となった地もあった。
様々な物理現象が災害となって世界に襲いかかり、最終的には当時の世界人口の四分の三以上を減らす大災害となったのである。
「分かっているわよ、そんなこと。後、一つだけ訂正があるけど、世界樹が危機を招いているのではなく、世界樹を取り巻く世界群が危機を招いているのよ」
さて、様々な物理現象が自然災害となって世界中に猛威を揮っていたのだが、その収束は時間経過による自然収束ではなく、人為的な操作により現象は収束したのである。
その人為的操作を可能にしたのが『世界樹』。
『世界樹』は世界中で猛威を揮っていた物理現象を自身の周りに年輪のように取り巻く事によって、自然現象を集束させ、事態を収束させたのである。
だがしかし、『世界樹』はあくまで収束させただけであって、終息したわけではない。『世界樹』は軸となった世界から、問題となった世界を次元的に隔離する事によって事態を収束したのだ。
つまり、『世界樹』は問題を先送りにしただけのシステムなのだ。
「でも、人々はそれらを総称して世界樹と名付けているのですよ? ならば、問題を世界樹と認識しても変わりないのでは?」
「……それは、そうだけど……」
ソフィアの言葉は尻すぼみになっていき、不満があるのに話せないといった様子を見せる。
そんなソフィアを訝しむフィレスティナであるが、彼女がソフィアに声を掛ける前に聞こえてくる音によってその行為は中断される事となる。
その音は、車輪が静かに音を立てながら前に進んでいるような音とモーターが静音で駆動している音である。
その音の発生源は、ソフィア達がいる食堂の入口で一時止まる事となり、その正体は食堂へと入室する事で明らかになった。
その姿は傍目から見て異様であった。駆動機付きの車椅子を使用していることはまだいいだろう。以前の大災害に伴い、神経系に異常をきたした者や身体の一部を失った者は少なくない。科学はある程度発達してきているとはいえ、それでも万能とは言い難かった。問題は、車椅子に座っている人物の格好にあった。パンダらしき動物に犬耳と尻尾、そして有袋類が持つ袋を腹部に備えている着ぐるみを着ているのだ。
その着ぐるみはワンダと皆に親しまれているキャラクターで、色違いがいくつかあるのだが、件の人物が着ているのは、その中で基本といわれている白と黒の斑模様のそれである。
ワンダの着ぐるみを着ているのであれば何者なのか看破する事はできないのだが、ワンダの膝に乗っている人物を知ることで、その正体を特定する事ができるのだ。
穢れを知らない銀雪の髪、眉目秀麗な容貌は、幼子のように小柄な体型もあって匠が作り上げた人形のようであるが、曇る事とは無縁な輝く金の瞳が彼女を人形ではなく人間にしている。
ワンダと少女はソフィア達に目を送ることなく目的である自販機へと向かう。そこでワンダと少女は暫しの間昼食はどれにするか迷っていたようだが、意を決したのか異なる二点のボタンを押した。
この食堂にある自販機は最近発見された技術を元に応用された試作機で、別の場所に貯蔵された冷凍食品をこの場に転送して即座に解凍する代物である。
なので、ボタンを押して一分と経たずに二人が注文した昼食が転送され、二人はソフィア達とやや離れた場所へと腰を下ろした。
ワンダと少女は隣に座り合うと、仲睦まじい様子で食事を始めた。
「なぁ、レイム。われの食事を少し食べさせてやるから、そなたのも少しくれぬか?」
「うん、いいよ」
少女が食事を分けてくれるように頼みこむと、ワンダは着ぐるみを一時的に別空間へと収納しながら是と答える。
ワンダの着ぐるみの中身は、中性的な容姿の男性であった。何物にも成れない黒と何物にも成れる白が混じり合った灰色を持つ彼は、生まれ落ちて間もない子供のように無限の可能性を秘めているようでもあり、人生の幕引きを待つ老人でもあるような面様である。
レイムは、彼が昼食として用意した麺が穀物ではなく肉類でできているあんかけ焼きそばを少女の傍へと寄せる。
しかし、少女はそれには目もくれず雛鳥のように口を開けるばかり。
「アイン?」
「分かっておるであろう、レイム」
アインは目を輝かせるばかりでレイムの昼食に手をつける事はない。彼女は待っているのだ、彼が食事を与えてくれる事を。
「…………」
「…………」
少しの間無言で語り合う二人であったが、先に折れたのはレイムであった。頑として動かない様はまさしく巌。レイムが食事を与えなければ、折角の温かい昼食は冷めてしまうだろう。
よって、彼は一口分の焼きそばを箸で取り、アインの小さな口へと運ぶのであった。
もきゅもきゅと可愛らしい擬音を立てながら咀嚼するアインの表情は満面笑み。実に満足気であった。
「どれ、次はわれがレイムに与えようぞ」
「…………」
レイムは抵抗を無意味と悟ったのか、アインから与えられる豚トロ丼を頬張るのであった。
何処のバカップルだといわんばかりの二人を見詰めるソフィア達の目線は対照的でありながらも、何処か似通っていた。ソフィアは憎しみが溢れんばかりに睨みつけ、既に空となっていたコップが歪むほどに強く握り締めている。フィレスティナは一見すれば穏やかに彼らを見ているが、その瞳に秘めた感情は剣呑としている。どちらも共通しているのは、二人に強い興味を抱いている事だろう。
「――フィレス、行くわよ!」
見るに堪えなくなったのか、ソフィアは荒々しく立ち上がり、指定された返却口へと食器を入れると、ここには居たくないとばかりに足早に食堂を出ていくのであった。
そんな友人の後を追うフィレスティナは、食堂を出る際にチラリと視線をレイム達に寄せただけで無言の内に立ち去るのであった。