七章
お金を貸してください、と友は言った。
病院からそのまま家出したせいで、財布にはほとんどお金が入ってないから、と。
大学近くにはショッピングセンターがあって、中にアウトドアショップが入っている。
そこで友は、寝袋を買った。
大学に行き、部室棟へ。部室には誰もいなかった。
もう、かれこれ夜の七時だ。活動していた学生も、ほとんど帰ってしまっただろう。
……これからずっと部室棟に泊まります、と友は言った。
面白くて売れる本が出来るまで、ずっとここで本を作ります、と笑った。
見回りの人が来るかもしれないので、蛍光灯はつけなかった。
カーテンを閉めて、電気スタンドの僅かな明かりを灯す。これくらいなら、ぎりぎり外には漏れないだろう。
「絵は、逃避だったんです」
椅子に座り、スタンドの光を挟んで、友は口を開いた。
「毎日聞こえる、お母さんとお父さんの喧嘩から逃げたくて。お話を作ってるときだけは、幸せで、平和でした」
友はとても懐かしそうに話す。
「色んなところに逃避してたら、そのうちに同人誌ってものを知って。背伸びして、初めて同人誌即売会に行ってみて……そこで、ヒロさんたちと出逢いました」
「僕たちも、初めての即売会だったよ」
「そうだったんですか……」
友は宝物を見つめるように僕を見た。
「いっぱい読みたい本があったんですけど、サークルの人に声をかけるのが怖くて、それまで何も買えてなくて。でも、ヒロさんのサークルは、ちょうど同年代くらいの人しかいなかったから。思い切って、声をかけてみて……」
〝素敵な本ですね〟。友――あの頃は名前なんて知らなかったが――は、少し恥ずかしそうに微笑んで、僕と咲にそう言ったのだ。
記憶が蘇る。楽しかった思い出も、苦かった思い出も。
「家に帰って本を読んだら、とっても面白くて。私、すっかり二人のファンになっちゃって。二人が出るイベントには、ずっと出てました」
そう。友は、売れなかった僕たちの、唯一といってもいいリピーターとなってくれた。
「けど、そのうちヒロさんたち、イベントに出なくなっちゃって。どうしたのかなって思ってた矢先に、大学でヒロさんと会って。すぐ〝night〟さんだって分かりました」
僕は友を覚えていなかった。〝売れなかった〟ことしか印象になくて、〝買ってくれた人〟を記憶してる余裕なんてなかったから。
「また、〝Witch is night〟みたいなの書いてくれないのかなー、って期待してたんですけど、ヒロさん、昔書いたやつしか出さなかったから。それはがっかりでした」
「……面倒だったからね」
僕が言うと、友はくすりと笑った。だが、その顔をすぐに曇らせた。
「コミフェで咲さんと会ったとき、すぐ分かりました。憧れだったんです。素敵な絵を描いて、ヒロさんに負けない綺麗な世界観を持ってる。そんな絵を、私も描きたかった。――だから」
友は哀しげな声になった。彼女がやたらと咲に噛み付いたのには、そんな理由だったのか。
「私とヒロさんは、〝面白い〟小説のおかげで出逢えました。……私は、小説を否定なんてしてほしくない」
「……そうだね」
素直な気持ちで、僕は言った。
「私はもう、逃げません。逃避ではなく、お話を作りたいから、作ります」
といって友は、右手の包帯を解き始めた。
「ちょ、ちょっと、それは……」
「……本当は」
包帯の下にあったのは。
「腱鞘炎なんて、とっくに治っていたのです」
真っ白で、艶やかな手首だった。
「……そう、だったんだ」
「はい。そうだったのです。私は、悪い子です」
友はちろりと舌を出して、笑った。
「知ってますか、ヒロさん。――パンダはね、」
そう言って、パンダフードを頭から被った。
「笹しか食べないのは食糧不足によるもので、本当は肉食なんですよ?」
友が僕のほうに近づいてくる。その柔らかな右手を、そっと僕の頬に当てて――
「? なにを――」
そのときだった。
きぃ、と、文芸部の扉が突然開いた。まさか、警備員に見つかったのだろうか……?
「……お邪魔、だった?」
大門だった。雰囲気と、うっすらと見える体の線で分かった。
「大門! 一体どうしたの?」
「……残って、パソコン室でテキスト打ってたら、追い出されて。部室で作業しようと、思って、隠れて、待ってた」
スタンドの明かりだけでは部屋は暗く、大門の顔なんか見えなかったけれど。
きっと、笑っているんだろうと思った。
「……むぅ」
友が何故か、僕を見て頬を膨れさせていた。
「な、なに?」
「いーのです。気にしないでください。さ、大門さん、一緒に今後について考えませう」
「……ボク、やっぱり、帰る?」
その後。三人で、今後について話し合った。
作る本。
作りたい本。
それをやるために――売るためにはどうすればいいかも、話し合った。
決して、売り上げを伸ばすためではなく。売り上げた後に、楽しんでもらうために。
* * *
>bud:・・・三冊ぅ?
>hiroki:そ。七月のばくおんイベントはもう無理だから、その分三冊作ることにした。
家に帰るのは久しぶりだった。パソコンを起動させると、すぐさまbudが話しかけてきたので、僕は今までの経緯を話した。
友や川原先輩との騒動によって、まともに本を作る時間がなかったため、ばくおんイベントは見送ることになった。
申し込み自体はしてしまったので、参加するだけはするが、売るのは既刊だけだ。
>bud:新刊三冊かー。すげーな。何作んの?
>hiroki:ばくおんと、竹物語と、あとオリジナル
>bud:オリジナルwwwマジすかwww
>hiroki:マジっすwwww
まずは数を売らなければならないので、〝ばくおん〟〝竹物語〟の新刊は外せない。出来る限り、〝面白いもの〟は作るつもりでいるが。
それから、オリジナル本は友の提案だった。大門はそれに賛同したし、僕も反対しなかった。
だから、三冊作ることになった。それだけだ。
>bud:ま、頑張ってな。センセが楽しそうで嬉しいよ
>hiroki:そんなに俺楽しそう?w
>bud:そんな感じがする。お前とのチャット、ちょっと前までずっと空気重かったからさー
言われてみればそうかもしれない。わざわざ僕も、budに悩み事相談なんてしてしまったし。
>bud:夏コミか。ちゃんと新刊三冊出せたら、三部買いに行ってやるよw
>hiroki:あれ? 仕事大丈夫なの?
>bud:奇跡的に何とか休みとれそうなヨカーン
長年の付き合いだが、僕はbudに会ったことがなかった。仕事が忙しいらしく、休みを滅多に取れないらしい。
>hiroki:おー、じゃあこっち来たら一度飯でも食おうよ
>bud:いいぜーwんじゃ、頑張れよ。応援してる
>hiroki:ありがと
会話が終わり、僕はウィンドウを閉じた。さて。休憩もしたし、大学の部室に戻ろう。
帰ってきたのは着替えを持ってくるためだ。
パソコンも落とし、ありったけの着替えをボストンバックに詰め込んで、僕は部屋を出た。
* * *
それからの日々は、あっという間に過ぎていった。
僕は作品を書き。友が絵をつけ。大門は執筆と、編集作業をして。
残り時間は一ヶ月弱。なのに三冊作らなければならない。まるで戦争のような忙しさだ。
けれど。なんだか、楽しかった。
……川原先輩とは何度も連絡を取ろうとしたが、ダメだった。携帯も、ツウィッチのダイレクトメッセージもダメ。友や大門に送らせても同じだった。
彼の抜けた穴は、営業活動だけでなく制作活動でも大きかった。
だけど、仕方ない。
結局僕も大門も寝袋を買い、部室に泊まりこんで作った。
オリジナル本は、ほとんど僕だけで作った。〝Witch is Night〟の構成を見直し、少ないページでまとめられるように短編アレンジしたものだ。それに友の絵をつけて、大門にレイアウトを頼み、新たな作品として制作した。
夏休み前は、期末テストが枷となった。本は大事だが、さすがに単位を落とすわけにはいかず、僕たちは協力して最低限の勉強でテストに臨んだ。
……結果は聞かないで欲しい。
夏コミまであと二週間。
テストから解放され、何とかオリジナル本は入稿できた。
印刷代は、最初のうちに三冊分、印刷所に入金しておいた。全額で三八万円ほど。今までのイベントの売り上げと、僕のゲームの売り上げから何とか捻出した。
残りの二冊は、オリジナル本と同時進行でやっていた竹物語の進捗は、八〇%。……しかしばくおんはまだ二〇%だった。
僕たちは睡眠時間を削って、必死に作業した。
ただ、腱鞘炎を再発しないよう、友には十分休息をとってもらったが。
あと一週間。ようやく竹物語の本を入稿した。
残るはばくおん本。
もうとっくに印刷所の正規の締め切りは過ぎているが――印刷技術の進歩によって、最近は最速二四時間パックというのも存在する。入稿から本を会場に届けるまで、一日でやってくれるという恐ろしいシステムだ。
コミフェ前なので厳しいところだったが、すんでのところで印刷所の予約がとれた。少なくない部数を刷ってもらうので、さすがに二四時間パックではなく、その前段階の七二時間パックを申し込んだが。
それでも、デッドラインは後四日。
ラストスパート。死に物狂いで作業をした。
そして。コミフェ三日前。
インターネットで、印刷所のサーバーに、入稿データをアップロードして。
入稿完了メールを送り終えたのが、締め切り五分前の午後一六時五五分。
「……入稿、完了しました。お疲れ、さまでした」
僕が部員にそう言うと、目元に深い隈を作った友と大門が、ほぼ同時に机に突っ伏した。
僕も体中の力が抜けて、気づけば意識が消えてなくなっていた。
あとは、当日を待つだけ――




