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五章

「……えー、無事、〝竹物語〟のイベントも終わりました。皆さん、お疲れ様でした。毎度のことながら、大門の働きは目を見張るものがあります。彼のおかげで売り上げが支えられていることをよく再認識しましょう」

 イベント後、月曜日の昼休み。僕と部員たちは、部室に集まっていた。

 とりあえず、例によって大門を褒めておく。大門は頭をかきながら顔を俯かせた。やはり彼は、褒めれば素直でないながらも喜んでいるらしい。

「しかし、今回は一点だけ、反省点を述べさせていただきます」

 きっ、と僕は対面を睨む。

「川原先輩。あのような真似は、二度としないでいただけますか」

「すまなかったっ!」

 先輩は立ち上がって、深々と頭を下げた。

「友君言うところの、〝愛〟が止まらなくなってしまってな……」

「それなら仕方ありません」

「仕方なくねーよ」

 友の肯定に突っ込む。

「先輩の力は必要不可欠です。キスするなとは言いません。ヤるなとも言いません。孕ませるなとも言いません。ただ、みんなの期待を背負っていることは、よく自覚してください」

 僕は決して怒鳴り散らさず、あくまで〝先輩がいないと困る〟ということを丁寧に伝えた。ただ自分の都合で怒る者は、指導者として失格だ。

「……ああ。本当に、悪かった」

 きちんと心に届いてくれたらしく、先輩は笑顔を消して頭を下げた。

「つまらない話でしたね、すみません。では、気をとり直して今後の話をしましょう」

 僕は、明るい声を作って続ける。

「今回も、〝虎穴〟に竹物語の新刊を委託してもらえることになりました。部数は少し増えて二五〇部です。手続きは全部僕がやっておきました。何か問題があれば言ってください。ありがたいことに、この前委託したばくおん同人誌もそこそこ売れているようです」

 僕は、机の上にカレンダーを置いた。もう日付は四月二六日である。

「そろそろ五月です。コミフェが近づいてきました。次に参加するイベントですが、六月にオールジャンルの同人即売会があるので、試しにそちらに出てみようかと考えています。オールジャンルというのは、要するにコミフェと似た形式ですね、小説マンガパロディエログロなんでも売っていい、というイベントです。売り上げは目的にせず、僕たちがオールジャンルでどの程度売り上げられるのか、の一つの目安にしましょう」

 それから、とカレンダーをめくって七月を指差す。

「七月に、再びばくおんのオンリーが開催されますので、こちらにも出ましょう。また強行軍を強いるようで心苦しいのですが、どうか頑張ってください。――何か質問は?」

「はい、先生」

 友が左手で挙手をした。

「別に先生じゃないけど……なに、友?」

「コミフェは、八月ですよね?」

 友は腰を浮かせて、机のカレンダーをめくった。八月一五日に、先輩の字で〝決戦当日〟と書いてある。

「七月のイベントに出て、大丈夫なのでしょうか」

「大丈夫にしてしまおう。失敗したときのことは考えなくていい」

「あの、いえ、そうではなく」

 友はぱたぱたと左手を振って、

「コミフェが近づいたのなら、参加者も、財布の紐を締めるのでは?」

「問題ないよ。確かに、売り上げは若干数落ちるかもしれないけど、七月にイベントの開催があるということは、それだけ需要はあるということだ。

 夏コミ近いこの時期、色んなサークルが新刊作成を控えると思う。既刊を頒布してはい終わり、というところも多いはずだ。けどだからこそ、そういう状況の中、きっちり新刊を作れば、きっと参加者からは目を惹くはずだ。

 結局、イベントに参加する人は、毎回かなりダブってる。そういう人たちは、ひいきのサークルが新刊を出していないことに嘆くだろう。その心理を狙うんだ」

「……なるほど。よく分かりました」

 右手をマッサージしながら、友は頷いた。

「他に、何か質問は?」

 ぐるりと部員を見回す。特に質問はなかった。

「では、解散。……あ、大門、確か三限空きだったよね? 次の動画の話、しよう」

「わか、った」

 大門は特に嫌そうな顔をせず、素直にこくりと頷いた。

 さて、あと二ヶ月。ようやく折り返し地点だ。


* * *


 大門との話し合いを終えて、僕は部室を出て図書館へ向かった。

 少し、一人で静かに考え事をしたかったのだ。友のピクシィにあげる絵の方向性や、川原先輩が近づくべき相手、等などのネタ出しだ。

 いつもの自習スペースに向かうと、そこには。

「……あ、ヒロさん。どうも」

 友がいた。時刻は二時半、まだ三限中だ。講義はサボったのだろうか。

 机にはスケッチブックが置かれていて、友はひたすらシャープペンを走らせていた。様々な角度で描かれた、〝ばくおん〟と〝竹物語〟のキャラがそこにいた。

「練習?」

「はい。何とか、八時間に達するように、頑張っております」

 僕は友の隣に座った。ひたすら練習していたのか、まだ春だというのに、彼女の額には脂汗が浮かんでいる。

「ちょっと、見せてもらってもいい?」

「あ、はい、どうぞ」

 おずおず、と友がスケッチブックを差し出した。

 五〇ページほどあるそのスケッチブックは、もうほとんどが友の絵で埋め尽くされていた。

 以前あった少女漫画にありがちな、耽美な雰囲気はもう感じられない。ひたすら模写をしたらしく、瞳が大きくアクのない、今風の〝萌え〟絵が描かれていた。しかし、決して友の持つ独特の雰囲気が失われたわけではなく、立ち絵一枚をとっても、どこか惹きつけられる。

 作画の乱れはほとんどなく、安心して見ていられる。構図もかなり凝るようになっていて、スケッチブックのページをめくるのが楽しかった。……時々、〝穴違い〟の絵が混ざっているのには辟易したが。やはりまだ野望は捨てていないらしい。

「上手いね」

「そう、でしょうか」

「うん。絵を描けない僕が言うのは失礼だろうけど。上手くなったと思う。すごいよ」

 先輩、大門と裏工作をさせてはいるものの、一番の功労者はやはり友だろう。友の表紙に惹かれて同人誌を手に取り、買ってゆく人を僕は何人も見ていた。

「すごいよ。これなら、きっと一〇〇〇部に届きそうだ」

 スケッチブックを友に返しながら、言った。

 やはり、あの感覚――〝幽体離脱〟は間違っていなかった、と僕は密かに確信した。

「……ヒロさんの、おかげです」

「僕の?」

「はい。ヒロさんが言ってくれなきゃ、私は一生あのままでした」

「それは違うよ。やる奴はやるけど、やらない奴は一生やらない。今、友がこれだけ上手くなってるのは、〝やった〟からで、僕は関係ないよ」

「そんなこと、ないです。私はきっと、やりませんでした」

 友は、顔を俯かせて、ぽつぽつと続ける。

「……本当は私、去年の冬コミの前までは、川原部長と同じことを考えていました。中身さえよければ売れてくれる、って。いつか、分かってくれる人は分かってくれる、って。そう考えて作り続けた私の同人誌は――ちっとも売れてくれませんでした」

 というより、あんなものが売れたら日本の終わりだと思う。

「夏コミが終わったら、私、ヒロさんに教わったことを護って、もっといっぱい人に見てもらえる同人誌を作りたいです」

 だから、と友は身を乗り出して、僕を真っ直ぐに見た。

「私、ヒロさんに、感謝してます」

「――――――――」

 僕は。何も、答えられなかった。

 何故か。友の姿に。咲の姿が。ダブって。

 やめろ。やめてくれ。

 僕に感謝なんてするな。

 僕は君を利用してるんだ。

 どうせ君も最後には裏切る。

 僕を捨てて遠くへ逃げてゆく。

 いやなんだ。嫌なんだ厭なんだ。

「ごっ、ごめんなさいっ。私一人でべらべらと……」

 僕が黙ってしまったからか、友は慌てて身を引いた。彼女が離れてから初めて、キスでもしそうな距離にまで顔が近づいていたことに気づいた。

「いや、僕もごめん」

 離れてくれたことに内心でほっとしながら、僕は言った。

 友は顔を真っ赤にしつつ、再度ペンを握った。

「わ、私っ、練習しますね」

「うん。頑張って」

 友がペンを走らせ始めた。

 僕は心臓の辺りに手を当てて、鼓動を抑える。

 それから、僕も机に向かって、


「――――ぁ、」


 ペンが、床に落ちた。

「……? 友?」

 僕は隣を見ると。友が、左手で右手を押さえていて。

「友っ!? どうしたの!?」

「……だい、じょうぶ、です……っ!」

 友の顔は苦痛に歪み、脂汗が滴り落ちている。その矮躯が震えていた。

 明らかに、大丈夫ではなさそうだった。


* * *


 救護室に連れていくと、応急手当を施した後に、整形外科に行くように言われた。

 僕は友に付き添って、大学近くにある病院へと向かった。


 診察の結果は――腱鞘炎だった。

 全治まで早くて一ヶ月。

 原因は、友が日夜、根を詰めて絵を描き続けていたためだった。その結果、右手首に負担がかかり続け、腱鞘炎になってしまった。

 幸いにして特殊な処置をする必要はなく、経過を見て自然治癒で治そうということになった。

 たかが腱鞘炎。命に別状のある病気では決してない。

 だが、友も僕も、よかったねと笑えるはずなかった。

 一ヵ月後にあるオールジャンル同人即売会。そこで出す新刊に、友は絵を描けないのだから。


「……ごめん、なさい」

 帰り道。すっかり日も暮れた道を歩きながら、僕たちは一緒に歩いていた。

 今日は友の家まで、僕が送っていくことにした。平松家は大学から歩いて一五分ほどの場所にあるらしい。

 友は、顔を俯かせながら僕の横を歩いている。その顔には覇気がない。左手で、包帯の巻かれた右手を握っていた。

「気にしないで。友が悪いわけじゃない」

 笑顔を作って僕は言ったが、正直、声が震えていなかったかどうか分からない。

 友の腱鞘炎。とどのつまり、それは僕たちの破滅に等しい。

 何で、こんな大事なときに――と、理不尽な言葉を投げつけそうになるのを、僕は必死で抑えていた。

「にしても、まさか本当に八時間練習してたんじゃないよね、はは」

 何とか自分の中の怒りを鎮めようと、僕は冗談めかして友に聞いた。

「…………」

 友は黙った。冗談めかして聞いただけなのに、まさか本当に――?

「ちがい、ます」

「そ、そうだよね。さすがに八時間なんてないよなぁ」

「……一二」

「は?」

 友は力なく首を振りながら、消え入りそうな声で言った。

「一二時間、でした」

 一時間はどんな単位だっただろうか。〝分〟の前くらいだったっけ?

 まさか、一日の半分なんてことはないよな?

「私、咲さんに勝ちたくて……っ。ごめん、なさい……ごめんなさい……っ」

 どうして、気づかなかった?

 友がよく右手をマッサージしていたこと。イベントの日、いつも眠そうにしていたこと。

 僕は馬鹿か。何故一言、〝無理しないで〟と言ってやらなかった。

 友が毎日図書館にこもっているのは知っていたじゃないか。

 ピクシィ用の絵を描いて。大門の動画用の絵を描いて。同人誌用の絵を描いて。更に、スケッチブックに練習用の絵を描いて。

 これで人間の手首が、どうして潰れずにいられるだろうか?

「ごめんなさい……ヒロ、さん……っ」

 友の声が、遠く聞こえた。


 無言のまま、僕たちは歩き続けた。

「……私の家、ここ、です」

 気づけばついていたらしい。彼女は一軒の家の前で、足を止めた。

 見上げれば三階建ての、大きな白い家があった。一人暮らしではなく、実家通いのようだ。

 家は全体が柵で覆われて、入り口には門があり、〝平松〟というネームプレートがはめられている。中の建物につくまでは、一面の芝生が広がっていた。

 なるほど、通りで友の育ちがいいわけだ、と僕はぼんやりと思った。

「ありがとう、ございました」

 まるで魂が抜けたような気のない言葉を残して、友は家へと入っていった。

「……ああ。お大事に」

 そのまま何となく、友が消えた家を見上げていた。

 ここにいても仕方がない。帰ろう、と僕は歩き出そうとして。

 ガシャン、と何か、陶器の割れる音が響いた。聞き間違いではなければ、それは平松宅からだった。

 友が、八つ当たりでもしているのだろうか。

「……そんなわけないか」

 僕は乾いた苦笑を一人で浮かべて、家へと帰った。


* * *


>hiroki:助けてくれ

>bud:・・・どした?

>hiroki:絵師が故障した

>bud:マジで? え、だって夏コミまですぐじゃん。やばくね?

>hiroki:やばいよ。やばいに決まってるだろ


 僕は、自宅に帰るなりパソコンを起動さえ、budに話しかけた。

 今日起こった出来事をメッセンジャーに書き込む。


>bud:誰が悪いわけでもないよな、それ。ヒロキセンセの友達、どうしてそんな必死にやってたのか分からないけど

>hiroki:どうすればいい?

>bud:・・・はっきり言わせてもらえば、代役立てるしかないんじゃね


「…………っ」

 僕は、ディスプレイを見ながら唇を噛んだ。


>bud:センセの友達は、夏コミまで療養。それまでの本は、他の絵師に描いてもらう


 budの言うことは正しい。一切間違っていない。とても的確な意見だ。

 僕は同人誌を一〇〇〇部売らなくちゃいけない。そのために、次のイベントに本を出さないという選択肢はありえない。

 僕たち文芸部は、黄金の島へ辿り着く地図を持っている。しかし乗っているのは泥舟だ。途中、友が海に転落したからといって、漕ぐのをやめることなどできない。


>hiroki:……ありがとう。そう言ってくれて、助かった

>bud:どういたしまして。ま、あんまり自分を責めんなよ


 僕は再三budにお礼を言って、謝礼がてらエロ画像を一枚渡して、メッセンジャーを抜けた。

「……は、ぁ」

 息を深く吐いてから、僕は再びキーボードへ向かった。

 やるしかない、か。


* * *


「……どういうことだ?」

 翌日。部会で、僕は緊急に部員を集めた。

 先輩と、大門と……そして、友もちゃんと来てくれた。

「友は腱鞘炎で絵を描けなくなりました。だから、夏コミまで療養してもらいます。その間の本には、僕が依頼した別の絵師に描いてもらいます」

 毅然とした態度で、僕は言った。

「待てよ、そういうことを聞いてるんじゃない。何で友君を外すんだよ」

 対面に立つ先輩は、案の定噛み付いてきた。立ち上がり、机に身を乗り出して僕を睨む。

「このままじゃ絵が描けないからです」

「だからっ! そんなこと聞いてんじゃねえ! お前は友君を外して、平気なのかっ!?」

 そう言われて、僕は言葉に詰まった。

 言い返せなかったのではない。どう返せば先輩が怒りを納めてくれるのか迷ったからだ。

「部長。お静かにお願いします」

 僕が黙り込んでいると、友が先輩に言った。

「……友君! 何でそんなこと……!」

「私の自己管理の甘さです。ヒロさんの処置は、これ以上ないほど適切です。私がヒロさんの立場でも、そうするでしょう」

 意外な助け舟だった。僕は口を挟まずに、二人のやり取りを見守る。

「で、でも……せっかく皆でやってきたのに!」

「……部長。私が、こう言うのは非常に心苦しいのですが」

 申し訳なさそうに、友は言った。

「部長も、〝竹物語〟のイベント時に自分勝手なミスを犯しております。そんな貴方が、はたしてヒロさんを悪く言えるのでしょうか」

「…………っ」

 痛いところを突かれたらしい。先輩は黙った。

 僕は友の後を引き継いだ。

「先輩、僕だってやりたくてやってるわけじゃない。納得してもらえませんか」

 先輩は、拳を握り締めながら、長い時間考えていた。

「……分かった。分かった、俺が悪かった。言い過ぎたよ……」

 先輩は身を投げ出すように、深々と椅子に座り込んだ。

 先輩がああまで友に入れ込むのは、少なからず好意を抱いているからなのだろうか、と卑屈な僕が勝手に穿った見方をした。

「ありがとうございます。今回の一件で、若干スケジュールが変わりましたので、各自、プリントに目を通してください。それから、描く絵については、僕がメールをして依頼するので、何かあれば僕を通してください。あとは――」

 僕は、あえて淡々と話を進めていった。

 流されるな。感情に乱されるな。指導者たれ。鉄壁の心を持つ、独裁者たれ。

 友は、申し訳なさそうに僕を見続けていた。

 今すぐ逃げ出してしまいたかった。


* * *


 咲の出した条件は、〝夏コミで、自分たちの力で一〇〇〇部売ること〟だ。その経緯までは問われていない。

 ならば、途中にあるイベントで、セミプロの絵師に依頼して同人誌を作っても、問題はないはずだった。


 六月。オールジャンル同人オンリー即売会の日がやってきた。

 場所は東京ビッグサイト――コミフェと同じ会場である。さすがにコミフェには劣るが、ビッグサイトを使うだけあって参加サークルも参加人数も膨大だ。

 今回僕が依頼したのは、時たま商業のアンソロジー漫画に名前を連ねるような、それなりに名の通った絵師だった。

 できるだけ、友に似た絵柄の人をチョイスして選んだ。かなり金を積むハメになったが、ゲームの売り上げで何とかカバーした。

 売れた。驚くほど売れた。

 今回も〝友達一〇〇人〟と合体だったのだが、アメリアより売れた。

 依頼した絵師が、サイトで再三宣伝してくれた効果だった。

 人がたくさん来た。開幕時から、スペースの前に列が出来た。

 午後二時には、三〇〇部を完売した。

 順調だった。とてつもなく順調だった。


 コスプレ売り子をしていた先輩は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。それでも席を立たずに、ずっとスペースに立っていた。

 同じくコスプレした友は、先輩の隣で、笑顔のまま立っていた。右手に負担をかけないように、同人誌を手渡しするのは先輩に任せて。途中、トイレに立ったとき以外は、彼女もずっとスペースにいてくれた。

 僕は逃げるわけにはいかず、そんな二人の姿をずっと見つめていた。


 イベントが終わった。

 先輩は、何も言わずに一人で合同打ち上げに参加してくれた。

 僕は友と一緒に帰った。

 帰り道は、無言だった。


* * *


「……報告は以上です。お疲れ様でした。新刊はいつも通り委託しようと思います……」

 翌日。部室の雰囲気は重かった。

 僕は勤めて滔々と報告を終えた。それから、次のイベントのスケジュールを伝える。

 おそらく友の復帰はまだ無理だろうから、また他の絵師さんに依頼しなければ。

「それから、やっとコミフェ運営から当選チケットが届きました。これで、闘わずして敗戦ということはなさそうです」

 僕は、コミフェ当選告知が入っている、青い封筒を示す。

 コミフェは多数のサークルが申し込むため、その当選確率は二倍とも三倍とも言われている。万が一落選したときは、ダミースペース――サークル入場チケットを得るためだけに申し込まれたスペースを、金を積んで買い取ろうかとまで思っていたが、杞憂に終わったようだ。

「報告は以上ですが、何かありますか」

 そう聞くと、重い沈黙が部屋を支配した。

 と――

「…………」

 す、と無言で大門が手をあげた。

「? どうした、大門」

「……その、」

 大門は口の中でもごもごと言葉を転がしていた。何かあったのだろうか?

 三〇秒ほど間を空けて、大門は言った。

「……四日前に、あげた、動画が。一〇万、再生。いった」

「本当か!?」

「う、ん」

 前髪から覗く大門の顔は、睡眠時間を削っているのか目元に隈ができていたが、どこか誇らしげだった。

 にこやか動画での再生数一〇万。これは快挙だ。一日に何千とアップロードされる動画の中で、僅かしか入れないランキングに乗り、更新のたびに上位にいなければ達成できない数字だ。

「うまく、ランキング、乗った。流行のやつ、作ったら、チョロ、かった。今も、伸びてる」

「そうか、よかった! すごいぞ大門! 同人の広告はもう打ってあるな?」

「当、然」

「よし、早速続編作ろう! 友! 絵を――」

 そう言いかけて、すぐ失言に気づいた。

「……ごめんなさい」

 影のある笑顔で、友は謝罪した。

「大、丈夫。元々、動画に、絵は、なかった、から。ボクだけで、なんとか」

 そういえばそうだった。四日前にあげた動画なのだから、当然大門一人の力で完成したものだ。一週間前に大門とネタ会議をしたばかりじゃないか。何故それを忘れていたんだ、僕は。

「……三限出るよ。お疲れ」

 先輩が立ち上がり、そのまま部室から出て行った。ドアを閉める音が、重々しく響いた。

「実は、今回、動画も上手く、工作、した」

 大門は、まだ話を続けるつもりらしく、そう言った。

「え、動画も?」

「うん。工作の、方法、3chで、見つけた。これ、使えば、いける」

 途切れ途切れに話した大門の言葉をまとめると、こうだ。

 にこやか動画のランキングは、主に一時間ごとの〝再生数〟〝コメント数〟そして、〝マイリスト数〟で決まる。マイリストはにこやか動画におけるブックマーク機能のようなものだ。

 そのマイリスト数を、自由に変えられる方法を見つけたのだという。動画をマイリストしたあと、IPアドレスを変え、繋ぎなおしてはまたマイリストに登録し……それを繰り返せば、一台のパソコンで多数のマイリスト数を稼げる、そうだ。

「……もう大門にはあんまり言うことないかもな。そのまま頑張ってくれ」

「がん、ばる」

 大門は、こくこくと頷いた。

 雰囲気の悪い中、大門のモチベーションは下がっていないようだった。

 それに、少しだけ救われた。


* * *


 六月も下旬に差し掛かって、先輩が無断欠席するようになった。

 部会の日に姿を現さない。携帯に連絡しても、返事がこない。

 僕のやり方に不満を持っているのだろう。それは分かる。分かるが、先輩がいないと困る。

 誰か一人欠けてしまったら、部の雰囲気は最悪になる。それに、まだまだ夏コミ本番までに繋げたいコネはたくさんあるのだ。

 が、友や大門に頼んでも、先輩に連絡をつけることができなかった。

 仕方なく、僕は別口から攻めることにした。

 パソコン室に向かい、インターネット上、ツウィッチでの先輩のアカウントを覗く。

 とりあえず、〝サウザンド〟のアカウントでダイレクトメッセージを送っておく。

 先輩のページには、頻繁に「呟き」が書き込まれていた。彼は今、何をやっているのだろう。

 僕はページをスクロールして、彼の呟きを追った。

「…………」

 他の同人作家と、一応交流自体はしているらしい。「@」をつけて、特定の人へとメッセージをよく飛ばしていた。ほとんどチャットのようなペースで人と会話しているようだ。

 その発言、どれもが――女性作家へ向けてのメッセージだった。

 無論のこと、サイトに「私は女性です」と書く作家は少ない。しかし、絵柄や文体、会った人との会話などで、女性であることは推測できる。ましてや先輩ならば簡単だろう。

 先輩の呟きを追っていると、どうやら今日はオフ会に参加しているらしかった。だから部会に来なかったらしい。

「何やってんだ、あの馬鹿……!」

 再度、〝連絡をください〟とダイレクトメッセージを彼のアカウントに飛ばしておいた。


* * *


 一週間後――

 悪い事件は立て続けに起こる。

 部室の、部会にて。

 僕は苛立ちを懸命に押さえていた。

 今日、部室にいるのは僕と大門だけだ。友は病院に行くらしいのでいない。当然、先輩も。

 七月になったというのに、まだ友の腱鞘炎は治っていないようだった。どうも、医者が完治したと言ってくれないようだ。

 このままではまずい。夏コミに出す新刊で、友以外の絵師を使うのは反則だ。咲の提示したルールから逸脱してしまう。

 だから、何とか復帰してもらわなければならない。

 七月にある〝ばくおん〟イベントの新刊は、締め切り三日前の今も作業中だ。先輩が来ない穴は思った以上に大きく、ほとんど僕一人で本文を書くハメになった。もしかしたら落としてしまうかもしれない。

 焦燥感を必死で押さえながら、僕は大門一人に、簡単な報告を終えた。

「……あの、」

 報告後、大門が僕に声をかけてきた。

「なに?」」

 大門の顔は、青くなっていた。

「……まずい、ことに、なった」


 パソコン室へと連れられ、その〝惨状〟を見せられた。

「……うっかり、してた……」

 大門が、悲痛な声で言った。

 ディスプレイに映っているのは、にこやか動画にある、大門の動画だった。

 つい昨日アップロードしたらしい新作――この前、一〇万再生を突破した動画の続編だ。その動画についているコメントが、今、荒れに荒れていた。

 コメントには、〝自演乙〟〝工作員ご苦労様です〟といった要旨のものが多かった。

「何が、あった?」

「……工作、した。3chでも、にこやかの、ランキング、でも。そうした、ら」

 大門は体を震わせていた。

「ぼーっと、してた。眠くて、でも、今日の、工作だけは、しようって、思って……っ。だから、何も考えず、そのまま、やったら……っ!」

 工作が、バレた。

 ……にこやか動画のマイリストには、第三者に公開するか、非公開かを選ぶことができる。

 大門は、新たに工作用のマイリストを多数作ったが、それをうっかり公開設定にしてしまい、そこに何回も同じ動画をマイリスト登録した。

 その異常なマイリストの群れを、悪意を持った第三者が見つけ――3chに晒した。

 そして、動画の工作……ひいては同人誌の自演工作も、芋づる式に明らかになっていった。

〝サウザンド〟のサイトにアクセスすると、その掲示板も荒れに荒れていた。

「……ごめん。ほんと、うに、ごめ、ん」

 大門が、蚊の鳴くような声で言った。

 まずかった。

 人の噂も七十五日という。3chでの流れは光速より速く、あっという間に話題が消費されてゆく。悪い噂もよい噂も、すぐ消えてゆくものだ。

 だが、夏コミ前のこの時期、はたして消えてくれるだろうか?

「この――」

 大門のクソ馬鹿野郎。

 そう言えたらどんなによかっただろう。それで僕の溜飲を下げて、総てぶち壊せたらどんなに楽だっただろう。

 だが。大門は今、体を震わせてすすり泣いていた。あの感情表現の乏しい大門が、だ。

 彼は黙って、汚れ仕事をやっていた。一歩間違えれば危険な工作を指示したのは僕だ。大門ならできるだろうと思考停止して、よく監督しなかった僕の責任だ。

 慣れない動画作りをするのは大変だっただろう。それでも、僕は大門が、褒められて喜んでいたのを知っている。

 そんな動画が無残にも荒らされたとき、一番哀しむのは一体誰だろう?

「……大門。気にするな」

 僕は、優しく声を作って言った。

 大門は顔をあげた。髪の間から覗いた顔はくしゃくしゃで……目の周りには、深い隈ができたままだった。

「ほとぼりが冷めるのを待とう。大門はしばらく、動画を作らなくていい。工作も中断だ」

「……でもっ」

「いいよ。ゆっくり休んでて」

 反駁しようとした大門を、押さえつけるように僕は言った。

 状況はどんどん悪くなっていく。

 僕は心臓を押さえながら、それでも大丈夫だ、と何度も呟いた。


* * *


 動画炎上事件から、三日後のことだった。

 僕が、家に帰ってきてパソコンを立ち上げると、ツウィッチにメッセージが届いていた。

「先輩!?」

 先輩からだった。飛びつくようにメッセージを見ると、

〝すまん〟

 という一言と、URLが張ってあった。

 僕は何がなにやら分からず、そのURLをクリックした。

 そこはシクミィのページだった。誰かの日記のようだが――

「……え?」

 画面上部には、〝アメリア〟さんの七月二日の日記、と書かれていた。

 そして、そこには――


 レイダー(川原先輩)と本気で付き合っていたこと。

 だが、彼が浮気をしていたこと。

 腹が立ったので、今日レイダーと別れたこと。

 所詮アイツはコネと体目当てで付き合っていたのだ、ということ。

 レイダーは最悪だ、ということ。

 レイダーのいるサークルも最悪だ、ということ。

 二度と合体なんてしてやるもんか、ということ――


 そんな内容が、怒りに満ち充ちた文体で、書き込まれていた。

 ……僕はそのとき、どんな顔をしていたのだろう?

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