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エピローグ

 あれから。我が中明大学文芸部は、変化を遂げつつあった。

 たった半年強で一〇〇〇部を売り上げた文芸部は、ネット上で有名になった。

 大門が『一〇〇〇部売れなきゃなくなる』スレに、コミフェ後もたびたび書き込みを続けたため、色んなまとめサイトで取り上げられた。

 その影響か、文芸部の幽霊部員がちらほら復活してきていた。〝サウザンド〟のメンバーは英雄扱いされ、ここ数ヶ月で文芸部は非常に活気のある部活になった。

 文芸部は今度、冬コミに参加する。きっと、賑やかな本になるだろう。


 川原先輩は文芸部に戻ってきた。

 心を入れ替えて、これからは面白くて売れる本を模索していく、と言っていた。

 僕とは違う方法を模索していく、とも。先輩がコミフェの日、僕に示してみせたように。

 アメリアとは付き合いがまだ続いているらしい。彼女は時折部室にまで押し寄せてきては、先輩をデートに引っ張ってゆく。今度、アメリアのサークルである〝友達一〇〇人〟との合同誌も考えているようだ。

 お幸せに。あと死ね。


 大門は、広告活動の楽しさに目覚めてしまったようだ。

 自演発覚による炎上は収まり、どころか大門が自虐ネタとして転換したことにより、僕たちのサークルはネット上で新たな盛り上がりを見せつつあった。

『一〇〇〇部売れなきゃなくなる』スレは今も続いている。大好評を得たスレなので、同人誌化も目論んでいるんだとか。

 動画も継続して作っていた。この前アップロードした動画は上手く流行に乗り、とうとう二〇万再生を越えたようだ。

 彼は坊主頭になり、少しだけ人の目を見て話すようになって。

 毎日、楽しそうだった。


 友は本格的に絵を描くために、勉強中だ。

 僕に言われたトレーニングを、まだ毎日のように続けているらしい。もちろん、時間は少な目にして、休憩もとっているらしいが。

 ピクシィに絵をアップロードしたり、大門の動画に絵を提供したりして、ネット上では地位を確立しつつあった。

 次は個人でマンガ本も出してみたい、と言っていた。

 ……それから、両親の離婚の件だが。学校やサークルに逃避せずに、正面から向き合うことに決めたらしい。

 今度、腰を据えて話し合うつもりです――と、迷いのない目で、友は言っていた。


 僕は文芸部に残った。文芸部というサークルの合同誌として二次創作も続けつつ、今度は個人でオリジナル同人にも挑戦してみるつもりだ。

 最初のうちは売れないだろうが、今までのメソッドを使って最大限がんばってみようと思う。

 面白くて、皆が幸せになれる本を作るために。

 なんて、少し気取りすぎてるけれど。


 そして、最後に――


* * *


「探したよ、咲」

 僕が姿を現すと、彼女はとても驚いていた。

「……どうして、ここが?」

「タネは簡単なんだ。いつかは来るって思ったから、コミフェの日からずっと張り込んでた」

「ただのストーカーじゃない」

 彼女は――日下咲は、小さく笑った。

 ここは公園だ。大学近くの病院前にある公園ではなく、僕と咲が別れた、実家近くの公園だ。

 咲は夕日を浴びながら、ベンチに座っていた。白を基調にしたワンピースが、風で揺れる。

「急にいなくなったから、どうしたのかと思ったよ」

「……私だって、遠くに行きたくなることくらいあるわ」

 ベンチの隣に座ると、咲は僕を睨んできた。

「そんなことより、貴方こそ何しに来たのよ。悪者に何の用?」

 咲は、矢継ぎ早に話した。

「言っておくけど、私は謝らないわ。どうせ遅かれ早かれ、貴方たちの文芸部は潰れてた。むしろ感謝して欲しいくらいだわ」

 ……まるで、何かを隠そうとするかのように。

 僕は、一息置いてから言った。

「川原先輩に、〝お前は人を見てない〟って言われたんだ。実はまだちょっと凹んでてさ。それで、考えた。――僕が本当に見てなかったのは、誰だったんだろうって」

 僕は、心臓に手を当てながら咲を見て。

「絵描くの、辞めるつもりだった?」

「…………」

 咲は黙って顔を逸らした。それが何よりも雄弁な答えだった。ただ、小さな息づかいが、〝どうして〟と理由を僕に問うていた。

「見張りの人に聞いたんだ。最近の咲、少し様子おかしかったって。

 それに、前に咲の部屋に行ったとき、ペンタブが埃被ってた」

 咲が出したのは短編の総集編だから、別にパソコンでデータを編集するだけで済む。しかし、普通は加筆や修正をするものだ。だが、人づてに入手した咲の総集編は、何の手も加えられていなかった。

「……長く絵、描いてないんだよね?」

 咲は今まで敵だった。だから、見えていなかった。

 だけど。友が苦しんでいたように。先輩と大門が、それぞれの考えで動いていたように。

 咲にもまた意志があり、理由があるのだ。

 彼女は、長い間黙ってから、やがて口を開いた。

「……創作が苦痛になったのは、いつからかしらね」

 ぽつりぽつりと、告白するように、咲は話し出した。

「あなたを捨てて、私はすぐ売れるようになった。そのうち四桁売れた。壁になった。お金にも困らなくなった。横の繋がりがたくさん増えた。人とお金と地位の力で、何でもできるようになった。――だから、それがなくないように、たくさん描き続けたわ」

 だけど、と咲は言った。その声は、かすかに震えていた。

「そのうち、何のために描いているのか分からなくなって。――この前の冬コミで、とうとう何も描けなくなった」

 咲が、冬コミと夏コミ、二回連続で総集編を出した理由。何も描けないのだから、新作なんて出せるはずがない。

「私の作品は面白いでしょう。だって、面白くなるように描いて、上手い絵をつけてるもの。私が学んできた総てを注ぎ込んでるもの。

 だけど、暗い話しか描けないの。ハッピーエンドが、どうしても思い描けないのよ。〝ダークファンタジー〟なんてよく言い過ぎよ」

 咲は自嘲するように笑った。

「私が出版社に声をかけられてるって噂、あったでしょ? あれ、大嘘よ。ホントはいくつか投稿してみたんだけど、〝暗すぎて読者がついてこられない〟って跳ねられたの。……原案の人と組む、って選択肢もあったけど。そんな気は起こらなかったわ」

 ――だって。過去に一人、組んでた人を捨ててるんですもの。

 両手を広げて、咲は天を仰ぐ。喜劇を演ずる役者のように。

「あなたを捨てて、人を信頼しなくなった作家の末路が、これよ。ふぬけた考えのサークルを罵って。くだらない新刊を破って。なのに、自分は何も描けなくなって。これが私という人間よ。笑えるでしょう、ヒロ?」

 それを最後に、咲は口を閉ざした。両手で顔を覆って。

「……ひとつ、聞きたいことがあるんだ」

 僕が言うと、咲はかすかに身じろぎした。

「友が言ってた。〝咲が僕から離れた理由〟が、分かったって。僕は言われたとき、何が何だか分からなかった。でも、今なら何となく分かるんだ」

 僕は心臓に手を当てた。とても、落ち着いていた。


「〝bud〟は、咲、君じゃないのか?」


 bud。僕とバカ話をし、時には相談に乗ってくれたネットの友達。

「……どうして?」

 力なく咲は聞いてきた。

「変な下ネタばっかり言ってるから、すっかり男だと思ってた。けど、budが自分は男だって言ったことは一度もなかったんだよ」

 僕は言葉を続けた。理由はまだある。

「budは、僕が夏コミに本を出すって言ったら、コミフェに来てやる、って言った。あんまりそういうところで嘘はつかない奴だから、来てくれるって思ってた。……だけど、友と先輩に聞いても、budって名乗る人はスペースに来なかった」

 僕は、budとの会話を思い出す。

「budはこうも言ってた。ちゃんと三冊出せたら、三部買ってやる、って。

 コミフェが終わって、咲が来たときの売り上げ総数は、九九八部だった。だから咲は、あと二部でよかったのに、オリジナル本だけ三部きっちりと買っていった」

「…………」

 咲は口を閉ざして、聞いていた。顔を俯かせているので、その表情はよく分からない。

「最後に。〝bud〟は、蕾って意味だ」

 咲は……〝奈糸〟は。

「君は、僕をずっと見守ってくれてたんだ」

 そして――

「文芸部に這い上がってきて欲しかったんだ。

 僕に〝Witch is night〟の絵を送ってくれたのだって、昔にもう描いてあったからだろ?

 そんな人が、どうして人を信じられなくなったって言える?」

「……私、は」

 そう言って、顔をあげた咲は。はらはらと、涙をこぼしていて。

「僕は信じるよ。咲が、咲を信じられなくても。僕が日下咲を信じるよ」

 だから。

 泣かないで。


 咲が、僕に強く抱きついてきた。

 僕は、そっと彼女の矮躯を抱きしめた。


* * *


「これから、どうするの?」

「もう少し、頑張ってみるわ」

「そっか。落ち着いたら、飯でも食べに行こうよ、〝bud〟」

「……そうね、〝hiroki〟」

 公園の出口で、笑顔を交し合う。

 それから、僕たちは反対へ歩きだした。

 ……僕たちは、ひょっとして違う道に進んでしまうのかもしれない。

 だけど。仮にそうだとしても、信じることはできる。もう一度、同じ道を歩ける未来を。


 ……そんなとき、僕の携帯に電話がかかってきた。

『ヒロさん? 友です』

「あ、友。どうかした?」

『離婚の件ですけど、何とかなりました』

 いえーい、と嬉しそうな声が電話越しに聞こえる。

『今日大喧嘩してる最中に、私が描いた漫画を読ませたんです。そしたら、私の愛が伝わってくれたみたいで』

「みたいで?」

『可愛そうな人を見る目で見られました』

「……一体どんな漫画を?」

『両親が寝室で愛し合う漫画です』

 うわぁ……。

『敵同士をくっつけるには、共通の敵を用意すればよいのです。倒すためには二人で協力せざるをえない。つまり私がアレな人になれば、二人は協力しあうに決まっているのです!』

「……そういうものなの?」

『そういうものです。今日から嫌がらせに、毎日同じ漫画を描いて見せ続けようと思うんですが、いかがでしょうか』

「……いいんじゃないかな」

『ふふふ。本当の〝穴〟を教えて差し上げますよ』

 僕は友の両親に深く同情した。

 まあ。これだけ友が強大な敵になれば……きっと、仲良くなってくれるだろう。

 ホント。強くなったもんだよ。

『……あの、それから。今日の夜って、時間あります?』

「? 空いてるけど、何?」

『実は――』

 躊躇いがちに、友が切り出したときだった。

「ヒロ!」

 突然、背後から大きな声。

 驚いて振り向くと、三〇メートルほど離れた咲が、口元に手を当てて叫んでいた。

「あなたの推理、一つだけ間違ってたわ!」

「え――?」

「あなたに渡した〝Witch is night〟の絵、昔描いたやつを送ったんじゃないの! あれだけは、今でも自然に描けたのよ! これ、どういう意味か、分かる――!?」

 咲はそれだけ言って、僕が答える間もなく、反対方向へ駆けていった。あっと言う間に見えなくなる。

「え、あ……え? え、咲?」

『……ヒロさん、今の声は一体? まさか、咲さんですか!? 一体何があったのです!?』

 スピーカーの向こうから友が怒鳴ってきた。しかもすごく怖い。


 僕は訳も分からず言い訳しながら、体が平穏無事に済む未来を考えるのだった。

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