その七
「そういえば、君はどうするつもりかね?」
「どうするって?」
いきなり質問をして来た福寿に士郎は質問で返した。まあ、いきなり、どうすると聞かれても何の事だか分からない士郎だった。というか、今までの事を考え、自分の感じるままに感じれば充分に分かる事なのだ。
それなのに士郎がマヌケな返事をしてきた事に福寿は溜息を付いてから言うのだった。
「夕食だよ。今まで捜査に出かけていたからね、食事を取る暇は無かったのは分かりきっているだろう。それにこんな時間だ、夕食も限られてくるだろう。それで、どうするかと聞いたのさ」
「あぁ、そういう事か。確かに、今から帰って食事を作るのも億劫だな。適当にコンビニで済ませるかな」
「そうか、せっかく君が私の助手になった記念に食事でも奢ろうかと思ったのだが、君がそれで良いのなら、そうしたまえ」
「いや、ちょっと待て、それなら、そうと言ってくれ。俺の経済も裕福じゃあ無いんだから」
「では、どうするかね?」
「ゴチになりますっ!」
福寿に向かって思いっきり礼儀正しく頭を下げて、強調するかのように声を発する士郎。
確かに、士郎の立場から必要最低限の生活費は国が補償してくれるし、それに後見人に申し出れば、ある程度の金銭を出してもらえる。だが、士郎としては後見人に経済的に頼るのは申し訳ないという気持ちが大きいのだろう。だから、士郎が一人暮らしを始めてから一度たりとも、後見人に金銭の要求はしなかった。そう、全ては国から出た生活費で士郎は生活をしているのだ。
そんな士郎だからこそ、今ではいろいろな節約術も身に付けたし、少年院での暮らしが長かったためか、そんなに欲しいという物欲があまり湧いてこないという理由もある。だからこそ、士郎は国からの支給で充分だったのだが、それでも経済的に裕福とは言えないのも事実である。だからこそ、福寿の提案に思いっきり素直になった士郎なのだ。
それに、何かの記念にお祝いとか、誰かに奢ってもらうというのも士郎にとっては久しぶりの体験であり、その相手が福寿だったとしても少しは嬉しいという気持ちが少しだけ沸いてきた。まあ、心の底から喜べないのは福寿が年下であり、女の子という事もあるのだろう。そんな子に奢ってもらえて素直に喜べるほど士郎のプライドは安くはないようだ。
……まあ、それ以外に、福寿は既に探偵という職業に付いている。つまり、学生よりかは充分に経済的に充実しているわけである。まあ、福寿の方が金を持っていると言ってしまえば身も蓋も無いが、それが現実なのだから仕方がないのだろう。
士郎も、それが分っているからこそ、今回は福寿に対して思いっきり素直に出たのだ。それらの理由から士郎は今晩の夕食をタダで頂く事になったのだが、士郎が連れてきたのは捨て去り探偵事務所が入っているビルであった。
まさか、どこにも寄らずに帰ってくるとは思っていなかった士郎だけに、福寿に声を掛けようとした時だった。福寿は既に傍におらず、ビルの一階に入っている店舗を指差していた。だから、士郎はすぐに福寿の元へと行く。すると、そこには桃源喫茶という店名が掛かれていた。そんな店名を見た士郎が福寿に尋ねる。
「こんな時間まで喫茶店がやってるのか? どちらかというと既に閉まっている時間だし、そこに書かれている営業時間も既に過ぎてるんだが、それに店内も明かりがちょっとあるけど、とても営業しているようには見えないんだが?」
そんな質問を福寿にぶつける士郎。確かに、士郎が言ったとおりに店内は暗いがカウンター付近はある程度の明かりがある。だが、ドアに書かれている営業時間は既に過ぎている。とてもではないが、営業をしているようには見えない。けれども福寿は、そんな事は関係が無いとばかりに喫茶店のドアに手を掛けながら士郎の質問に答えるのだった。
「それならば問題は無い。確かに、ここの営業時間は過ぎているから一般客は断るが、私と何かを相談しに来た客は無条件で中に入れるのさ。それに、ここを運営している人物を君に逢わせるという目的も含んでいる。まあ、詳しい事は中に入ってから話そうじゃないか」
福寿はそれだけ言うと、平然と店のドアを開けて中に入って行く。そんな福寿を慌てて追う士郎。何とかドアが閉まりきる前にドアノブに手を掛けてまた開くと、来客を告げるベルが鳴るのだった。そして士郎も中に入って行く。
そして中は確かに店内の明かりは消えており、照明が付いているのはキッチンと隣接しているカウンターだけだ。しかもカウンターは店の正面に対して縦向きになっている。つまり、外から見ただけでは、ほとんどカウンターの明かりは見えないのだ。そして……そのカウンターにも誰も居なかった。
けれども、福寿はそれが当然だというかのようにカウンターの席に座り、士郎も首を傾げながらも福寿の隣に座ると、カウンターの奥から明るい声と四十代と思われる女性がタバコを加えて出てきた。そんな女性が福寿の顔を見て、こちらも当たり前のように言ってくるのだった。
「お~、福寿か、いらっしゃい。こんな時間に来るって事は今まで仕事だったのかい?」
そんな言葉を掛けながらも福寿と士郎に水を出してきた女性。そんな女性に対して福寿も、これが普通と言わんばかりに会話を続けるのだった。
「ええ、あなたが持ち込んだ案件について捜査をしていたのさ。それに、彼の事も紹介しておきたかったしね。そんな訳で、彼が昨日の夜に話した人物さ。今では僕の助手となっている」
「あぁ~、あんたが」
そんな会話をして士郎を観察するかのように見てくる女性に士郎は戸惑うばかりだった。だが、次の瞬間には女性は満面の笑みを浮かべると、士郎に向かって手を差し出しながら言うのだった。
「あたしは清川桃子、この桃源喫茶の店長であり、あんた達の後見人でもあるからね。という事だからね、これからよろしく。まあ、何かあったら私に言いな、私に出来ることなら何でもするし、何でもしてもらうからね」
「は、はぁ、よろしくお願いします」
あまりにも気さくで、ざっくばらんな雰囲気に士郎は戸惑いながらも桃子と握手をする。それに桃子の言葉も少しだけ士郎は気になったようだ。だから、何て言って良いのか、分からなくって来た士郎に対して福寿が桃子について説明を付け加えてきた。
「世話焼きでお節介、うっとうしいぐらいに人の世話を焼くのが大好きな人さ。そして、君は覚えてないかもしれないが、書いてもらった後見人変更届に記載されていた、後見人の一人でもある。それに世話焼きが趣味だからね、その延長で相談になり、私への依頼に変化をする事もある、つまり、依頼を持ち込んでくる一人というわけさ。そして、事務所で読んでもらった書類にも書いていた事だが、今回の依頼は、そのパターンで来たというワケさ。それに、私の世話も焼きたがるのでね。こうして夕飯が遅くなって、自分でやるのが億劫になった時には私も世話になっている。だから、こんな時間でも、ここに来れば食事を用意してくれるってワケさ。それに、駆け出しの君を充分にサポートをしてくれるからね。君もいろいろと世話になる人さ」
そんな福寿の説明に桃子は一つだけ訂正を入れてくるのだった。
「別に趣味で人の世話を焼いているワケじゃないよ。それが私の生きがいだからね」
「なら、尚更性質が悪いと言えるから性質が悪い」
「まあ、そんな訳だから、気軽に私へと相談を持ち込んできな。いつでも、相談に乗るからね。あぁ、さすがに福寿のスリーサイズまでは教えられないけどね」
「いや、そこまで聞いていませんし、聞きたいと思いません」
はっきりと、そして平然と否定の言葉を口にする士郎。そんな士郎の足に痛みが走って顔をゆがめる。痛い場所といい、こっちに顔を向けていないといい、どうやら福寿が蹴ってきたのは確かなようだ。まあ、それ以外に足に痛みが走る原因がないのも確かである。
だからか、士郎は怪訝な顔を見せるが、福寿の顔が見えないものの、確実に不機嫌なオーラが出ている事を士郎はしっかりと目にするのだった。そして……こんな話をし始めた桃子は楽しそうに笑っていた。
そのためか、士郎は桃子に向かって不機嫌な顔を向けるが、桃子は持ち前の明るさで、そんな士郎の不機嫌さを流してしまうのだった。そんな桃子が笑いを止めると明らかに楽しそうに言うのだった。
「まあ、福寿もしっかりしているようで子供っぽいところもあるからね。それにお年頃だからさ。まあ、その辺は君も覚えててくれればいいさ。……ところで……君の名前って何だっけ?」
いきなりでそんな内容の質問に士郎は少し呆れた顔をする。なにしろ、桃子は士郎の後見人になるのだ。それなのに、今になって名前を聞いてくるとは思っていなかった士郎。だが、桃子は士郎の名前を覚えていない理由を当然のように、思いっきり楽しそうに笑いながら話すのだった。
「いやね、君の事は福寿から聞いているけど、一回だけしか聞いていないからね。だから、すっかり忘れちゃったよ。という訳で、自己紹介をどうぞ」
あまりにも気さく、というよりは無神経? まあ、そこまで酷くは無いが、ざっくばらんな事は確実だと士郎は何かを諦めたかのように自分の事を話すのだった。
「思川士郎です」
短く、名前だけを口にする士郎。そんな士郎に対しても桃子の態度は変わる事が無く、明るい声で会話を続けてくるのだった。
「ああ、そうそう、士郎君だっけか。というか、めんどいから士郎って呼び捨てにして良いよね。という事で決定。そんな訳で、改めてよろしく、士郎」
あまりにも気さくで、ドンドンと話を進めて行く桃子に士郎はどうしたものかと福寿の方へと顔を向けると、福寿もいつまでも不機嫌ではなかったようで、今では、つい先程までの無表情になっていた。そんな福寿が士郎に向かって口を開く。
「まあ、こんな人でも私達の後見人だからね。そこは諦めてもらうしかないし、考えたら負けだと思っていたまえ。それに、いろいろ相談に乗ってくれたり、頼りになるもの確かなのさ。まあ、その辺はおいおい実感するだろうね。それよりも、そろそろ食事を作ってくれるとありがたいのだが」
「お~、そういや、そうだね」
すっかり忘れていたのだろう。福寿の言葉を聞いて桃子は士郎に店のメニューを差し出してきた。それを受け取った士郎はメニューに目を通すのだが、福寿はメニューを目にしていない。そんな福寿に向かって桃子は確認するかのように話す。
「福寿はいつもので良いかい?」
「ええ、構わない」
「本当、それが好きだよね~」
それだけの会話をして調理に取り掛かる桃子。どうやら、ここで福寿が頼むメニューは既に決まっているようだし、メニューを見なくても分かるのだろう。いわゆる常連なのだ。そんな福寿とは違って士郎はメニューに目を通す。そして、桃子は調理をしながらも士郎に話し掛けるのだった。
「そういやさ、士郎」
「何ですか?」
既に桃子の明るさに慣れてしまっているのだろう。士郎は呼び捨てにされても気分を害する事は無かった。それどころか、それが当たり前のように士郎は感じていた。そして、その理由が桃子が持っている明るさ故だろうと士郎は感じるのだった。そんな桃子から思い掛けない言葉が士郎に向けられるのだった。
「士郎は……残留思念について、どこまで知ってるんだい?」
「えっ? ……えっと」
まさか、いきなり残留思念について聞かれるとは思っていなかった士郎は頭を整理しながらも残留思念についてまとめていると、隣に居る福寿から士郎に代わって桃子に話すのだった。
「必要最低限と捜査に関する一部の事だけさ。まあ、詳しい事はおいおい分かるだろう思ったから、それぐらいしか話してはいない」
そんな言葉を聞いた桃子が少し、声のトーンを落として会話を続けるのだった。
「そうかい。ならあたしからも一つだけ言っておくとしようかね」
「是非、そうしてくれたまえ」
士郎からではなく、福寿が答えて勝手に話が進んで行く。まあ、士郎としても答えに戸惑っていたのだから、正直、福寿が助け舟を出してくれて助かったというものだろう。けど、桃子は士郎に対して、背中を向けながらも、先程とは違った暗い声で話を続けてくるのだった。
「士郎、私も残留思念が見える。けどさ、残留思念が見える人に対して、決して忘れられない想い出を聞くのはマナー違反だからね。だから残留思念が見える人が居たとしても、特別な理由がない限りは、絶対に聞かない事。それだけは守ってくれないかい」
「えっと、どうして?」
そんな質問を返すとすぐに桃子は答えなかった。話し辛いのか、自分で考えろという理由なのかは士郎には分からないが、士郎は隣に居る福寿に目をやると、それを思い出して、何となく桃子が言いたい事が分かったような気がした。
そう、士郎と福寿は似ている。つまり、お互いに過去の記憶、決して忘れられない想い出は話したくはないのだ。もし、それを口にしてしまえば、強制的に想い出を思い出さないといけないからだ。
つまり、決して忘れられない想い出を聞くという事は、相手が話したくない事を聞くのと同じだと士郎は思った……のだが、桃子からは少しだけ違った答えが返ってきた。
「あたしはね、決して忘れられない想い出は心の傷だと思っているからね」
「心の、傷?」
「あぁ、人は楽しかった事、嬉しかった事、そうした想い出は時間と共に消えて行く。想い出なんて消えて当然だからね。だから、それは自然の成り行きと言えるからね。けど……決して忘れられない想い出は違う。簡単に忘れることなんて出来やしない。簡単に忘れない記憶ほど、過去の想い出ほど……辛いものはないからね。けど、辛くない想い出ほど、簡単に忘れてしまう。皮肉なもんだね、過去の想い出が辛ければ辛いほど、それを忘れる事が出来ないんだからね」
……そうか、言われてみれば、そうかもしれない。桃子の言葉を聞いて士郎は納得したような、桃子の言葉が正しいと思えてきた。
そう、人は楽しかった事、嬉しかった事、感動した事、そうした楽しい想い出は時間と共に消えていく。だからこそ、人は写真や日記なんかで想い出を形にして残すのかもしれない。楽しかった事を思い出せるように。
けど、辛い想い出ほど忘れられないものはない。その想い出が辛ければ辛いほど、人は辛い想い出を心に留めて置く事が出来る。そんな事を望んでいないのに、忘れてしまいたいのに、どうしても忘れられない。
だからこそ、桃子は皮肉なものと言ったのだろう。そう、残留思念が見えるという事は、今現在で決して忘れられない想い出があるという事だ。そして……忘れられない想い出ほど……辛いものはない。つまり、決して忘れられない想い出とは、過去に自分の心に刻まれた記憶。忘れたくても、なかなか忘れられない想い出なのだろう。
少なくとも士郎には、そんな風に感じられた。だからか、士郎も声を暗くして答えるのだった。
「決して忘れられない想い出を持っている人は……皆、過去に辛い記憶があるって事ですね。そして、残留思念が見えるって事は、かなり辛い想い出を持っているって事ですか」
「まあ、そういう事だね。残留思念が見える士郎なら分かるだろうよ。過去の記憶が、決して忘れられない想い出が、どれだけ辛いものかを。少なくとも、あたしが知っている残留思念が見える人は皆、そうだった。過去に辛い想い出を宿している。皆……後悔や懺悔をしたくなるほどの想い出を持っていた。だから、残留思念が見えるって事はさ。心に治り難い傷を持っているという事だと、あたしは思っているわけよ」
「はい、分かると思います」
短く返事をする士郎。それは桃子が何を言いたいのかを士郎が完全に分かった事を示していたと言えるだろう。
士郎の中にある決して忘れられない想い出。それは自分が母親を殺したという記憶、そして少年院で後悔の日々を送った想い出。それは辛く、思い出すのもためらうほどの想い出だ。そして、そんな決して忘れられない想い出を持っているからこそ、士郎は残留思念が見える。それは……福寿や桃子も同じだおろう。
心の傷とは良く言ったものだと士郎は思った。楽しい想い出や嬉しかった想い出は、全然心に刻まれないのに、辛い想い出はしっかりと心に刻まれる。その刻まれた想い出が深ければ深いほど、心が傷つけば傷つくほど、人は、その記憶、想い出を忘れる事が出来なくなってしまう。つまり、心の傷が深ければ深いほど、その想い出は忘れられないものなのだろう。そして、残留思念が見えるという事は、そうした深い心の傷を持っているのと同じなのだろう。外見では分かりはしないが、残留思念が見える人は皆、心に傷を持っている。そんな風に士郎は理解したようだ。
そして、士郎が深い息を付くと、それだけで桃子は士郎達に背中を向けながらも自分が言いたかった事を理解してもらえたと分かったのだろう。再び、明るい雰囲気を出すと、話題を切り替えて士郎に話し掛けるのだった。
「さて、そろそろ注文は決まったかい? 今日は福寿の助手になったお祝いだろう? あたしからも腕によりを掛けて作らせてもらうよ。だから、何でも注文しな」
急に話し声が明るくなったので、士郎は慌ててメニューに目を落とす。まあ、先程まで少し暗く、真面目な話をしていたのだから仕方ないだろう。それにしても、どんなに暗い話をしていたとしても、すぐに明るい雰囲気に切り替える事が出来る桃子だからこそ、打ち解けやすいと士郎は感じたようだ。
そんな士郎がメニューの中から、これぞという一品を選び出す。それに、今回は福寿の奢りである。だからこそ、士郎も値段を気にせずに注文するのだった。
「じゃあ、ステーキセットで」
「おっ、さっすが男の子、やっぱり肉が好きだね。今日は特別に肉を厚く切ってやるよ、ついでにご飯も大盛りだ」
「ありがとうございますっ!」
久しぶりに贅沢な夕飯となったので士郎は素直に元気良く、お礼を言うのだった。だが、それと同じくして、先程まで考えていた事と実際の出来事にギャップを感じた士郎が隣に居る福寿に向かって話し掛けた。
「というか、福寿は最初、俺に決して忘れられない想い出を聞いてきたよな。それは良いのか」
士郎が、そんな言葉を口にする。そう、福寿は士郎と出会った時に決して忘れられない想い出について聞いている。だが、先程の話で、それがマナー違反だと士郎には思えたのだ。そして、そんな士郎の言葉を聞いた福寿は呆れた顔を向けて、桃子は調理をしながら笑うのだった。そして、福寿は溜息をついてから、それについて話してきた。
「君は先程の話を聞いていなかったのかい。彼女は『特別な理由』がない限りは、聞くなと言ったのさ。だが、私は君に残留思念について教えるために、君に聞いただけの事なのさ。つまり、私には、そんな理由があったからこそ君に尋ねたのさ。それに、私はしっかりと言ったのだが、話したくなければ話さなくて良いと」
「あぁ~、そういえば、そうだな」
「君は昨日の事も覚えていないのかい」
「まあ、いろいろとあったからな。それに福寿からは思いっきり意地悪をされたから、俺のガラス細工で出来ているハートは福寿の所為で粉々に砕けたからな」
「なら安心したまえ。君が使えなくなったら捨てるから。もちろん、一円たりとも給料は払わないけどね」
「いや、それは払えよっ!」
そんな漫才みたいな士郎と福寿の会話を聞いていた桃子は、その調子だと言わんばかりに明るく笑うのだった。そして、その桃子から次なる話題が出てくるのだった。
「そういばさ、士郎はどこに住んでるんだっけ?」
「えっ、ここから少し行った所のアパートだけど」
「そっか、ならさ。丁度、福寿の上が空いてるんだよね。という事で士郎も、このビルに住んじまいなよ。このビルは私の物だから気兼ねしなくて良いし。それに福寿の助手をやるのなら、近くに住んでた方が楽だろう。福寿もここに住んでるんだからね」
「いや、いきなり、そんな事を言われても……んっ? って! 福寿はここに住んでるのか?」
あまりにも思い掛けない桃子の言葉に士郎は疑問と驚きが一気に来た。まあ、確かに、ここのビルは上に続く階段は狭く、ちょっと入り辛い感じがするビルだが、まさか、そんなビルが桃子の物であり、しかも福寿まで住んでいるとは思っていなかったようだ。そんな士郎の反応を見て、福寿は当然とばかりに言うのだった。
「捨て去り探偵事務所は私の仕事場兼自宅。事務所の奥に続いているドアが私の部屋への入口。だから君は勝手に入って来ないように。もっとも、私が事務所に居る時も鍵は掛けてあるし、私が居ない場合は自宅を訪ねてきたまえ、ドアの隣にしっかりとチャイムがあるね。それから、後で事務所の鍵も渡しておこう」
「それに後見人の立場としても、あんたらを見守る立場としても近い方が良いし。ここなら、いろいろと便利だよ。なにしろ、あたしが居るからね」
「いや、そんな事を言われても」
さすがにいきなり過ぎて戸惑う士郎。そんな士郎が隣に居る福寿へと視線を向ける。この場合は答えを求めているというよりは、もう少し話をして欲しいという視線を士郎は福寿に向けたのだ。そして、そんな視線を見た福寿がいつもの無表情で桃子を指差す。
「先程も言っただろう、彼女は世話好きのお節介だと。だから私が仕事で遅くなって、夕食を作るのがめんどうと感じた時はここに食べにくる。ここなら食事代も経費で落ちるし、支払いも一ヶ月の一括で清算が出来るからね。だから、ここでの食事は便利なのさ。それだけではなく、彼女のお節介で時々、作った惣菜なんかを差し入れてくる。まあ、それだけ人の世話を焼くのが大好きだって事さ。それに、後見人になっている私達だから余計に世話が焼きたいのだろうね。更に言えば、夜遅くに、ここで食事に来ると、彼女に相談を持ち掛けている人物とも出会う。そこから依頼に発展するケースも多いからね。そうした意味では、私にとってもいろいろと便利なのさ」
「あぁ、だから、こんな時間でも福寿はここで食事が出来るんだ」
「まあ、凝った物は作らないけど、簡単なやつならいつでも作ってやるのさ」
そんな補足を入れてくる桃子。確かに、福寿も桃子には相当、世話を焼いてもらっているらしい。それに桃子も後見人の一人である。つまり、ここでの食事代は全て経費で落とせるし、なにより時間が遅くなっても、食事を提供してくれるらしい。そうした意味では本当に便利だし、頼りになると言えるだろう。
だから福寿も桃子に対しては言葉遣いが何気に穏やかになっている。そう、士郎に対するように偉そうな態度は桃子に対しては取っていないのだ。まあ、言葉遣いは、いつものように感じるのだが、福寿の声は桃子に対しては穏やかになっているのを士郎は気が付いた。
あの福寿がここまで穏やかに接している人物である。だから、かなり世話になっているだろうと士郎は何となく察する事が出来た。それに……士郎も桃子の人柄には魅力的な物がある。まるで全てを話してしまいそうなほどに。それこそが桃子が持っている器量であり、だからこそ、いろいろな人が桃子に対して相談を持ち掛けてくるのだろうと士郎は何気なく分かったような気がしたのだった。
だからか、士郎は自然と言葉を口にしていた。
「まあ、そのうち、引っ越してくるのも良いかもしれない」
そんな言葉を聞いた桃子が嬉しそうな声を返し、福寿からは「物好きだね」という言葉が返ってきた。けど、士郎も桃子に対しては何となくだが、すぐに打ち解けて、本当に頼ってしまいそうな、そんな感じがしていたのだった。
そんな話をしているうちに料理が出来上がったのだろう。まずは先に注文した福寿の料理が出される。
「ほいよ、いつものチーズ乗せハンバーグセット」
と、福寿の前に出てきたのは、メニューどおりに上にチーズを乗せてって、デミグラスソースが掛かったハンバーグにライスとスープにサラダだった。士郎は正直に意外だと思った。福寿の雰囲気なら和風な物を頼みそうなのだが、士郎は子供っぽいと思ってしまった。
そんな士郎の思った事が顔に出ていたのだろう。福寿は士郎に視線に気付いて、不機嫌な顔を士郎に向けると、やっぱり不機嫌な声を出すのだった。
「なんだね、私の注文に文句でもあるのかい?」
「いや、意外というか……子供っぽい」
「手を出したまえ、思いっきりホークで刺してあげよう」
「あははっ、やっぱり、そう思ったかい。でも、好物なんて人それぞれだからね。雰囲気にあってない物を頼むのも意外でもないのさ」
笑いながらも、そんなフォローを入れてきた桃子。けど、桃子がそう言うと士郎は、そういうものなのかと納得してしまった。何となくだが、桃子の言葉には優しさと頼れる強さがあるのだと士郎は自然と無意識のうちに感じたようだ。
そうこうしている間に士郎が頼んだ料理も出てきたので、士郎は出された料理にがっつくのだった。それを見ていた桃子が嬉しそうに言うのだった。
「さすが男の子だね、良い食いっぷりだよ」
そんな言葉を発した桃子がどこからか灰皿を取り出すとカウンターの向こうにあるキッチンにおいてタバコに火を付けた。そんな桃子が少しだけ明るさを無くして福寿に話し掛けるのだった。
「そういや、あたしが持ち込んだ件を捜査してたんだろ。どんな感じだい?」
やはり、福寿へ依頼をするように話を転がしただけに、桃子も今回の件が気になっていたのだろう。そんな桃子の質問に対して、福寿は口の中にある物をしっかりと噛んでから飲み込み、それから答えたのだった。
「安全無事息災って感じではなくなったね。少なからずも事件の被害者になっているのは、確かだろうね。後はどんな形で終わりを迎えるのかだね」
そんな福寿の意見を聞くと桃子は何かやりきれないような顔をしながらも、タバコの灰を灰皿に落としてから言うのだった。
「そうかい……そんな事を聞いても、せめて……って思っちまうのは仕方ないんだろうね。後はどうなっているのか」
「私見だが、見つけるというよりも発見になる可能性が高いね」
「……そうかい。また、福寿に辛い思いをさせちまいそうだね」
「別に構わない。それが私の仕事だからね。だから、そういう事は私達に押し付ければ良い。あなたはあなたらしくいる事が私達の救いにもなる。それに、士郎にとっては初めての仕事だ。それが、私が考えている結末を迎えるのだとしたら……支えが必要なのは私では無い。だから……支えて欲しい」
「……あいよ。なら、あたしはあたしらしくしておきますか。さて、食事中に、こんな暗い雰囲気になるのもつまらないからね。ちょっとは羽目を外そうとするか」
そんな会話を聞いていた士郎。だが、二人がどんな想いで、どんな事を話していたのかまでは察する事が士郎には出来なった。ただ、一つだけ気になったのは自分の名前が出てきた事だけだった。福寿は士郎の事を『君』と呼んでいた。それなのに桃子に対しては士郎と名指して呼んだ事に少しだけ驚きながらも、その後の言葉が少しだけ気になった。
だから、士郎は口の中が空になったら言葉を出そうとしたのだが、その前に桃子が、またしても、どこから出してきた一升瓶をカウンターに置くのだった。
「まあ、こんな時は一杯やるのが一番だね。という事で、あんた達も飲むかい?」
「未成年に酒を進める時点で、後見人としてはどうかと思われるのだがね」
「あははっ、まあ、そのうち付き合ってもらえば良いさね」
そんな事を言って一升瓶の栓を空けると、そこからはビールの匂いが漂ってきた。
……ここって喫茶店だよな? ビールの匂いを嗅いで、そんな事を思ってしまった士郎。まあ、居酒屋ならビールぐらいは普通だろうが、まさか夜の喫茶店で、そんな物が出てくるとは予想外も良いところだ。それどころか、桃子はビールをコップに注ぐと、そのまま自分で呑んでしまったのだ。まあ、さすがに自分が呑む訳にはいかなと士郎は思っているのだが、自分達の目の前で呑み出すとは思っていなかったようだ。
そんな桃子を目の前に、そして隣では黙々と食事を再開させた福寿。両者の会話が終わった事で士郎は質問をしそびれてしまった。けど『まあ、いいか』と気にしない事にした士郎。さすがに、先程までの暗い雰囲気に戻すには気が引けたようだ。だからこそ、自分も目の前の料理をたいらげる事に専念するのだった。
「ごちそうさま」
「ごちそうさん」
「おう、おそまつさま」
そんな言葉で食事が終わると時間は既に十一時半を過ぎていた。そのため、士郎は桃子からも早く帰るように言われてしまった。まあ、さすがにこんな時間に学生がうろうろしていては、何かと厄介だし、どこかに厄介になると後見人に迷惑を掛ける。今のところは桃子達が後見人では無いのだが、今の後見人にも厄介を掛ける事は士郎も気が引けるので、早々に桃源喫茶を後にする士郎と福寿だった。
それから、士郎は捨て去り探偵事務所に置いてあった鞄を手に取ると、すぐに捨て去り探偵事務所を福寿にドアの前まで見送られながら後にするのだった。
これで、士郎にとっては長い、初日の捜査は終わりを告げるのだった。