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その四

 翌日、士郎は放課後になると、すぐに教室を飛び出し、そのまま昇降口、校門と一気に進んで辿り着いた。そのドアには昨日と同じく記されていた『捨て去り探偵事務所』と。更に視線を下げると『依頼、受け付けます』という看板が下がっていた。どうやら福寿が事務所の中に居るのは確かなようだ。

 それでも少しは緊張しているのだろう。士郎は捨て去り探偵事務所の前で数回ほど深呼吸をして心を静めると、覚悟を決めてノックをした後に捨て去り探偵事務所のドアを開いた。

 そこは昨日と同じ風景だった。まあ、当たり前といえば当たり前だ。士郎は捨て去り探偵事務所に入ると、ドアを閉めて、そのまま奥に向かおうとしたが、その前に福寿が顔を出してきた。そんな福寿が昨日と同じく無表情のまま士郎に向かって言うのだった。

「誰かと思ったら君か。まあいい、奥にきたまえ。とりあえずは話を聞こうじゃないか」

 そんな言葉だけを残してさっさと奥に引っ込む福寿。士郎は初めて踏み込む探偵事務所に緊張と期待を持って福寿が言ったように奥へと進むのだった。そして入口からは仕切りで見えなかった事務所の奥を目にする士郎。

 なんだろう……思いっきり普通な気がする。そんな感想を抱いた士郎。まあ、仕方ないだろう。なにしろ、仕切りの奥は業務用のデスクが四つ、向かい合うように並べてあり、デスクの奥にはファイルを収める棚が並んでおり、見ただけで分かるように鍵が掛けられるようになっている。そんな棚に並んで、その隣にはドアがあるのだが、なぜかドアの横にはチャイムと思われる物が付いていた。そんな捨て去り探偵事務所の中核とも言える作業場、そこに居る福寿は士郎に一番奥の左側にあるデスクを指差した。どうやら、そこに座れという事だろう。

 そして福寿は、いつも使っているのだろう。パソコンが置かれたデスク。士郎の席から見て、右斜め前にあるデスクに腰を下ろした。それから福寿は少し意地悪な笑みを浮かべながら士郎に話し掛けてくるのだった。

「君が、そんな顔をして、ここに来る事は分っていたけど。まさか翌日に訪れるとはね。どうやら昨日は遅くまで考えていたようだね。さて、それでは聞かせてもらおうか、君の答えと覚悟をね」

 そんな事を言って来た福寿に対して士郎は真剣な眼差しを福寿に向けて言葉を口にする。

「その前に尋ねたい事がある」

 唐突に士郎の口から出た質問に福寿は口元に笑みを浮かべた。士郎は、そんな福寿の変化を気にする事無く、福寿からの返答を待つと、福寿は意地悪な笑みを浮かべた顔を両手の甲で支えるような姿勢を取ると士郎に向かって返答するのだった。

「良いだろう。とりあえずは、聞かせてもらおうか」

 そんな福寿の言葉に士郎は一番気になっていた事を尋ねる。

「昨日の話しで一つだけ明確な答えをもらってない。それを答えて欲しい」

「ほぉ、それで、君が聞きたい明確な答えとはなんだい?」

「福寿は昨日、自分には俺に残留思念を見なくて済む方法があると言った。けど、具体的に、どうやって見えなくさせるのかを知りたい」

「…………」

 士郎の言葉に沈黙で答える福寿。そんな福寿があまり見せない、かなり意地の悪い笑みを浮かべながら言うのだった。

「その疑問が浮かんだという事は、既に答えも考えてあるのだろう。なら、私から答える必要は無いだろうね。けど、確認をしたいというのなら答えるけど。さあ、どうする?」

 やっぱり、そうなのか。福寿の返答に確信を得る士郎。そうなると、昨日の晩に出した答えが正しいと改めて実感する士郎。そして、その答えが士郎の思ったとおりなら、士郎には一つしか道は無い。だからこそ、そこをはっきりさせるために福寿に向かって言うのだった。

「なら確認したい。俺は、その方法を決して忘れられない想い出を忘れさせる。そんな矛盾した方法しか無い思ってる。だから、俺に残留思念を見せなくするためには、俺に決して忘れられない想い出を忘れさせるしかない。そんな方法が有るとは思えない。この考えが正しければ、俺に残された道は一つだけになる。これが俺の出した答えだ」

 そんな士郎の言葉を聞くと、福寿は今までの意地悪な笑みを消すと、いつもの無表情に戻って椅子の背もたれに寄り掛かる。それから士郎の答えに対して言うのだった。

「その通りとも言える、私が昨日の話で明確に示さなかったのは、それを考えて欲しかったからさ。さて、ここからが問題だ。何で私は君に、それを考えさせたと思うのか、それを答えてもらおうか」

 まさか、ここで福寿から更に問題に似た質問が出てくるとは士郎も思ってはいなかったのだろう。だから戸惑いはしたものの、すぐに福寿の質問に対して思考を巡らすが、その答えは容易に出た。なにしろ、それも昨日の晩に出した結論の一つなのだから。だからこそ、士郎は自分の考えを福寿にぶつける。

「昨日の話では俺に二つの道があると示した。けど、本当は道は一つしか無い。俺は、俺の中にある決して忘れられない想い出を忘れる事なんて出来ない。それに決して忘れられない想い出は絶対に忘れられない想い出とも言える、だから俺は残留思念も決して忘れられない想い出も受け入れる事にした。けど、そのためには覚悟が必要だった。その覚悟を持って欲しいからこそ、福寿は俺に考えるように言った。それが俺の出した結論だ」

 士郎がそのような答えを口にすると、福寿は瞳を閉じて思い耽るように見えるが、福寿はそのままの体勢で口を開いてきた。

「それが君の出した答えかい?」

「あぁ」

「なら、一つだけ訂正しておこう。道は確かに二つあった。決して忘れられない想い出も、想い出なのさ。だから絶対に忘れられないワケじゃない。重要なのは、その想い出に対して、どれだけの想いが有るか、という事なのさ」

 福寿はそんな事を言って来たのだが、士郎には今一つ、福寿の言葉が理解が出来てはいなかったのだろう。だから福寿の答えに士郎はハテナマークを頭の上に浮かべていた。士郎が理解を出来ていないと分かったのだろう。福寿はやっと姿勢を戻すと、士郎に向かって言うのだった。

「なら簡単に言おう。君が昨日の晩に必至になって考えた答えが普通の日常に戻りたい、というものだったら、という事を想像してみたまえ」

「……う~ん」

 そう言われても答えを出してしまったのだから、士郎にはもう一つを選んだら、どうなるかなんて、まったく想像が出来なかった。そんな士郎に向かって、福寿は無機質ながらも真っ直ぐな瞳を士郎に向けて言うのだった。

「君は一つの結論を出した。それは残留思念を見なくて済む方法は、自分の中にある、決して忘れられない想い出を忘れれば良いという答えを。なら、君が日常に戻るには、やるべき事は一つだけだ。自分の中にある決して忘れられない想い出を忘れれば良い。私は決して忘れられない想い出を、絶対に忘れる事が出来ないと一言も言ってはいない。決して忘れられない想い出も想い出なのさ。想い出というのが時と共に色褪せて行くように、決して忘れられない想い出も少しずつだが消えて行く事もある。それは自分の中にある決して忘れられない想い出が、その程度の価値しかなかったという事なのさ」

 福寿はそこで言葉を区切ると席を立って、すぐ後ろにあるポットからお湯を急須に入れた。そして急須からはお茶の匂いが漂って来ると、福寿はお茶を二つの湯飲みに淹れると、一つは士郎の前に、一つは自分の前に置いた。

 どうやら福寿は、その間に考えておけ、と言いたいのだろう。けど、士郎は言われるまでもなく、福寿の言葉を理解しようと思考を巡らしていた。そして思いついた事を口にする。

「つまり、決して忘れられない想い出も、やり方や時間が経つに連れて忘れて行くという事なのか?」

 士郎がそんな答えと質問をすると福寿は無表情な顔を士郎に向けながら言うのだった。

「君は、これから何十年先も今のままで居られると思っているのかい?」

「……へっ」

「つまりだ、人は何かの切っ掛け、または時間の経過で変わっていく。そうした人の変化によっては、決して忘れない想い出も、ただの想い出になっていくのさ。つまり、決して忘れられない想い出とは、現時点、つまり今、この時をもっての決して忘れられない想い出を差している。けど、人は変わる。価値観、人間性、器とも言う。その変化によっては決して忘れられない想い出が、ただの想い出に変化する事がある。それは、その決して忘れられない想い出が、その人にとって、それだけの想い、価値、そして質とも言える。それだけの質しかなかった、という事さ」

 またしても長い説明に士郎は必死になって思考を巡らして、福寿の言葉を理解しようとする。まあ、これだけ長い説明をすぐに理解しろと言われても無理があるというものだろう。だからこそ、福寿も時々、お茶を口にして士郎に考える時間を与えているのだ。そんな時間を貰って、士郎は先程の言葉が意味している事を口に出してみる。

「えっと、決して忘れられない想い出も人によっては想い出の価値……というか質が違っていて。軽いだけの決して忘れられない想い出なら、簡単に、ただの想い出に変化させる事が出来る……と理解して良いのか?」

「そう理解しても構わない。つまり、君が日常に戻りたい、という道を選んだとしたら。君の中にある決して忘れられない想い出は、切っ掛け次第でただの想い出に出来るだけの価値しかなかった、という事なのさ。決して忘れられない想い出に、どれだけの想いを込める事が出来るか、それで道が別れると言っても良い。つまり、私は君の中にある決して忘れられない想い出が、どれだけ君にとって価値があるものか。それを確かめるために考えさせた、と思ってもらって良い。実際に私は君を試したのは変わりがないからね」

「要は俺が自分の中にある決して忘れられない想い出をどれだけ想っているか。それを確かめたかったと考えて良いか?」

「まあ、大体はそんなところだね。けれども、君は決して忘れられない想い出を、絶対に忘れる事が出来ない想い出という答えを出した。つまり、君の中にある決して忘れられない想い出は、君にとっては絶対に忘れる事が出来ないほどの価値を持っている。私は、それを見たかったのだよ」

「何で?」

 またしても質問する士郎。まあ、この場合は福寿の意図が分からない、と言った感じだろう。福寿が士郎を試した事は士郎にも理解は出来た。けど、何を根拠にして試したのか? そして福寿は何を見たかったのか? それが士郎には分からなかったのだ。

 そんな士郎に向かって、今度はすぐに答える福寿。どうやら、これは考え込まなくても良いみたいだ。だからこそ、福寿は士郎に向かって答えるのだった。

「私が見たかったのは、君が自分の中にある決して忘れられない想い出を、どれだけ想っているかという点だ。その問い掛けに君は絶対に忘れられないと答えた。つまり、現時点では、君の中にある決して忘れられない想い出は絶対に忘れる事が出来ない。逆に、決して忘れられない想い出を軽んじる答えを出せば、君の中にある決して忘れられない想い出は何かを切っ掛けに想い出に変わるという事だ。つまり、決して忘れられない想い出に対する想い。それが重要なのだよ」

「その重要性が分からないんだけど」

「それは私の助手になった時に関わってくる。昨日も言ったように残留思念は人の記憶、そして私は探偵。つまり、犯罪に関わる残留思念を見る事が多い。人の醜さを目にして耳にする、その影響は精神を破壊するほどに大きいと言ったはずだ。つまり、自分の中にある決して忘れられない想い出を軽んじる答えを出すようなら、私の助手なんて出来はしない。逃げ出すか、精神に異常をきたすかのどちらかだ。でも、決して忘れられない想い出に強い想いが籠もっているのなら耐えられるのだよ。君が人の醜態を目にし、人の醜言を耳にしても、君は自分を自分として保っていられる。そして、数をこなせば、人の醜さに慣れてしまい、それが日常になる。つまり、君が一線を越えて、こちらに来られる人物かどうか。その判断材料として君に考えてもらったのさ、君が決して忘れられない想い出に、どれだけの想いを持っているのをね」

 またもや長い説明に士郎は理解するために頭をフル回転させる。その間にも、福寿はお茶を口にし、いつの間にか取り出していた、甘いお茶菓子を口にするのだった。そして、福寿が甘さを堪能している時だった。やっと士郎が口を開いてきた。

「要するに、俺が決して忘れられない想い出を軽んじる答えを出して、福寿の助手にしてくれと言っても、福寿は断った、という事か?」

「その通りだね。更に言えば、その場合は私は三つ目の道を提示しただろうね」

「三つ目って?」

「それは現状維持。決して忘れられない想い出を軽んじる答えを出しておいて、犯罪に関わる残留思念に触れるのが一番危険だ。その結果としては先に上げた二つの結果になるだろう。それはつまり、君の中にある決して忘れられない想い出に込められた想いが、簡単に忘れる事は出来ないけど、私の助手が務まるほどの強さを持ってはいない。つまり、中途半端という事さ。けど、それが悪いというワケじゃない。中には中途半端に残留思念を目にしながら、普通に生活をしている人も居る。それこそが三つ目の道。つまり、今のように残留思念を見ながらも関わらない。そんな道を提示していただろう」

 そんな福寿の言葉を聞いて士郎が思う。確かに、福寿が示した道って極論だよな。一つは決して忘れられない想い出を捨て去る。もう一つは決して忘れられない想い出を抱えながら、残留思念に関わっていく。今になって考えてみれば、その真ん中、つまり残留思念を見ながらも関わらない日常も作れたって事だよな。……あれっ? でも、昨日は現状が悪影響だと言ってたよな。それなのに今更になって現状維持を提示するなんて変じゃないか?

 そんな疑問が士郎の頭に浮かんでくると、福寿は士郎が何を考えているのかが分かったのだろう。再び意地悪な笑みを浮かべて士郎が言葉を発するのを待っていた。そして、士郎が疑問に思った事を口にする。

「なあ、昨日は今の状態が悪影響だって……いや、やっぱいいわ、何となく分かったような気がするから」

「人の顔を見てから、そんな事を言うのは失礼だとは思わないのかい?」

「そういう福寿だって、俺がこの答えを出す事が分ってたんだろう。理由は今一つ分からないけど、福寿には分ってたんだろう。俺がこっちの道を選ぶって。少なくとも大きな可能性、と思ってたはずだ。だから、かなり意地の悪い笑みを浮かべてるんだろう」

「最後の言葉は失礼だが、否定はしないよ」

 そんな事を言って軽く笑い出す福寿。そんな福寿を見て、士郎は少しバカバカしくなってきた。というよりも、自分のバカさ加減に嫌気が差した、と言ったところだろう。まあ、この場合は士郎がバカというワケではない。なにしろ、全ては福寿の思惑通りだったのだから。だから士郎は福寿の手の平で踊っている自分に気が付いて、そんな自分がバカではないかと嫌気が差したようだ。簡単に言ってしまえば、福寿の方が一枚上手だった。という事である。

 そんな状況に気付いたからこそ、士郎は自分の鈍感さがバカバカしくなり、福寿はそんな士郎を笑っているのである。

 それは士郎が三つ目の道を知っていたとしても、士郎の言葉通りに福寿には士郎がどちらを選ぶのかが分っていたのだ。士郎が自分の助手となる道を選ぶと。それは、士郎の状態が悪影響だという事が関係している。それは士郎が紅に惹かれるからだ。紅が意味するもの、士郎には、それが何となくだが分かったのだ。それは士郎も過去に行った事だから。だからこそ士郎は紅に惹かれる、何らかの形で自分の過去に決着をつけない限りは。

 そこで重要なのが福寿が示した助手となる道。士郎の中にある決して忘れられない想い出は、士郎にとっては絶対に忘れられない想い出である。その想い出に、過去の出来事に何かしらの行為をしない限りは、士郎はずっと紅の影響を受け続ける。また、過去の記憶に苦しむ事になる。だからこそ、士郎は過去の記憶に何かしらの決着をつけるために福寿の助手になる事を決意したのだ。そうする事で、過去の行動に贖罪が出来ると判断したのだから。

 だからと言って、士郎の気分が良いワケがなかった。まあ、福寿に試された、いや、福寿の手で踊っていたようなものだ。だから昨晩、あれだけ必死になって考えた事が少しだけバカらしくなったのだ。だから士郎の機嫌が悪くなるのも当然だと言えるだろう。

 それから士郎は不機嫌な顔で湯飲みを取ると、注いであるお茶を口にする。それから、やっと笑いを止めた福寿に質問するのだった。

「それで」

「それでとは?」

「そろそろ、何で俺が、福寿の助手になる事を選ぶって分っていたのか。それを説明してくれ」

「随分と失礼な聞き方だね。それほど、私に一杯食わされた事が気に障ったのかい?」

「そんな事をされて上機嫌になる奴が居るなら見てみたいわ」

「ふふふ、まあ、そうだろうね。なら、話を戻すとしよう。昨日も言ったように私と君は似ている、それが答えさ」

 ……それは答えなのか? 福寿の言葉に思わず、そんな事を思ってしまう士郎。まあ、そんな事を士郎が思っても不思議では無いだろう。なにしろ、昨日の話でも、その部分に関しては何も言わなかったのだ。それなのに、勝手に考えろと言っているようなものである。だから、士郎が不機嫌な顔で、そんな事を思っても不思議では、というよりも、当たり前と言えるだろう。

 いつまでも不機嫌な顔をしている士郎に福寿は大きく息を吐いた。どうやら、やっと、まともに話をする気になったらしい。まあ、福寿としては、もう少し、不機嫌な士郎の顔を見ていたかったのだろうけど、いつまでも不機嫌にしておくと本気で怒りそうだったから、福寿もやっと話す気になったのだ。そんな福寿が急に真剣な瞳で、慎重な声で言葉を出す。

「昨日、君が自分で口にした事を覚えてるかい。君は紅に惹かれた、そう言ったね。君が決して忘れられない想い出に紅が関するように、私にも惹かれる色をした残留思念がある。残留思念は人の記憶、つまり、あまり関わりたくない残留思念に惹かれるという事は、過去に似たような事を自分がした、という事なのさ。だから私は君が、そんな顔をして、再びここを訪れる事に察しが付いた。まあ、予想ができた、と言った方が確実だろうね」

「それって」

「そう、私も君のように絶対に忘れてはいけない想い出を抱えているのさ。思い出そうとすれば、いつでも想い出のステージに立てて、絶対に忘れられない想い出、愚かな行為をした過去。私は自分の愚行で自分の家族を失った。まあ、それは事故として処理されたが、私の中では絶対に忘れられない想い出になっている。だからこそ、私は自分の過ちを忘れないために本名を捨てた。そして探偵という仕事をやっているのさ」

「……一つだけ聞いて良いか?」

 士郎がそんな言葉を口すると福寿は真剣な眼差しを士郎に向けながら、士郎が何を聞きたいのかが分っているのだろう。士郎が質問する前に答えるのだった。

「その答えは拒否する。理由は君になら分かるだろう。君にも過去に行った愚かな行為、それが絶対に忘れられない想い出として残っている。なら、君は自ら、その想い出について語りたいと思うかい? 私が君の中にある紅の想い出について聞いても、君は素直に口に出す事が出来るのかい? それと覚えておくと良い、残留思念が見える人に対して、決して忘れられない想い出を聞くのはマナー違反だ。それも君なら分かるはずだろう、決して忘れられない想い出が君の口から語られないのだから」

「…………」

 福寿の言葉に黙り込む士郎。そんな士郎がすぐに思う。

 やっぱり……福寿も語りたくはないんだ。それもそうだ、俺だって、あの時の記憶を、想い出を進んで口にする気にはなれない。母さんを殺した時の記憶なんて。それは、福寿も同じだって事か。

 そんな事を考えると士郎には福寿が自分の決断を予想できたのかが自然と分かった。そう、二人に共通する点。それは、自分の中に絶対に忘れられない想い出があり、過去の愚行で二人とも自分の所為で家族を亡くしている。言い返れば、自分で家族を殺したとも言える。何にしても、福寿の過去にも犯罪、または、それに近い行為を行った事があるのだと士郎には分かった。

 だからこそ、福寿は士郎が自分の助手となるという決断をする事が分かったのだ。それはかつての自分であり、自分に、この道を示してくれた人が居たからこそ、福寿は探偵という仕事をしながら贖罪をしているのかもしれない。士郎には、そう思えた。

 それでも、士郎には一つだけ分からない事があったので、それを福寿に尋ねてみる。

「さっき、本名を捨てたって言ったよな。それって、何のために?」

 そんな士郎の質問に福寿は先程と同じように真剣な眼差しを士郎に向けながら答えるのだった。

「決意と覚悟のためさ。私に探偵という道を示してくれた人は、探偵に近い事を副業としていたのさ。けど、私は過去の愚行を償うために探偵という道を選んだ。その気持ちは君にも分かるだろう。依頼人が託した依頼を遂行する事で誰かを救えると私も思った。それは君も、そう考えたはずだ。そして、依頼をこなす事が贖罪に繋がると、いつかは自分を許す事が出来ると。けど、私は一番最初にこなした依頼で思い知ったのさ。人の醜態と醜言が、どれだけのものかを、それは私の過去よりも酷かった。それでも犯罪を犯した者は平然としている。自分よりも酷い事をしたのに、まったく気に掛ける様子がなかった。だから私は決意したのさ。ずっと探偵という道を歩み続けると、そして、その決意と覚悟を残すために私は本名を捨てた。それは一つの区切りと言っても良い。本名を捨てた事を思い出すだけで、私はその時の決意と覚悟を思い出す事が出来る。本名を捨て去る事で、私は新たに強く生まれ変われると感じたから。だから私は本名を捨てて、今では福寿と名乗っているのさ」

 相変わらず長い説明である。けど、士郎には今一つ分からなかった。昨日、福寿が言ったように、福寿の助手になるという事は、それだけ人の醜い部分を見る事になるのだろう。だからこそ、福寿は覚悟を決めろと言ったのだ。そして、それを見せ付けられた時の衝撃も……。だから覚悟が必要なのは士郎にも分かった。けど、そこまでする理由が士郎には分からなかったのだ。

 だからと言って士郎は更に追及しようとはしなかった。それは福寿が発した言葉の中に一つの区切りという言葉があったからだ。だから、士郎は福寿が本名を捨てたのは自分の中に区切りを付けるため。そして福寿が言ったように、強い自分に生まれ変わるため、そう考えれば福寿の想いが少しだけ分かったような気がする士郎だった。

 士郎が、そんな事を考えて結論が出たかのように黙り込むと、福寿の表情が先程までの無表情に戻ってから士郎に話し掛けるのだった。

「さて、他に聞いておきたい事はあるかい?」

 福寿が急に、そんな事を言って来たので、士郎は急いで頭の中を整理する。けど、昨日と先程までの会話で全てが分かったような気がした士郎は、もう何も聞く事が無いと判断を下す。

「いや、聞くべき事は全部聞いたと思う」

「なら確認をしておこう。君はこれから私の助手となって、ここで働く。君は、そう決断した。君は人の醜態を目にし、人の醜言を耳にする覚悟がある、それに間違いはないかい?」

「あぁ、それが、俺の中にある決して忘れられない想い出に決着を付ける方法だと判断したから決意する事が出来た、覚悟をする事が出来た。だから俺は福寿の助手になる、それが俺の出した答えだ」

「懸命……とは言わないよ。この道は過酷だからね。でも、君が私と一緒の道を歩く事で君が君自身に決着が付けられると判断したのなら、私が口を出す事ではない。それに、その提案は私が示した事だからね。なら、君を歓迎しよう。そうと決まったからには、これを確認してもらおうか」

 そう言って福寿は自分のデスクに置いてあった書類と思われる茶封筒を士郎に差し出してきた。そんな福寿の行為に士郎は首を傾げながらも書類を手にすると、福寿は中を確認しろと言わんばかりに士郎を見詰めるので、士郎は中にある書類を出してみた。

「ッ!」

 書類を見た士郎は声にもならない驚きを示す。そんな士郎を見て、福寿は既に書類を暗記しているのだろう。書類に記載されている事を口に出すのだった。

「思川士郎、現在一六歳。七年前に母親を殺害、だが当時は精神に異常をきたしており、まだ幼いという理由から事件だけは報道されたが、君の事が公になる事はなかった。その後は欠席裁判で有罪を受けるが、当時の状況から情状酌量、少年院での矯正教育を受ける事になる。少年院での成績は優秀、精神異常と思われていたのも回復。幼年期ならではの情緒不安定が犯行に及ばせたと判断。そのため、成長して精神が安定したと判断され、再犯の可能性が無いと判断された。そうした理由から、公立の高校に進学する事が決まり、後見人が決定され、三ヶ月前に出所。現在では一人暮らしをしており、同学年と変わりない学生生活を送っている。現在のところ、問題をまったく起こしてはいない事から、後見人も安心して君を見守っている。さて、何か記載に間違いがあったら言ってくれたまえ」

 淡々と書類に記載されている事を、そのまま口に出した福寿は相変わらず無表情のままに士郎を見詰めてくる。一方の士郎は驚きを隠せないようだ。まあ、それも仕方ないだろう。なにしろ福寿と出会ったのは昨日の事だ。それなのに、既にここまで調べられているなんて思いもしなかったのだ。

 けど、書類に間違った記載は一切無かった。最初の書類には福寿が口にした概要だけが書かれており、二枚目からは更に詳細な事が書かれていた。そこには、当時に精神状態やら、動機と思われる家族関係やら、少年院での様子などが書かれていた。その、どれも間違いは無い、それどころか士郎が知らない事までも記載されていた。だから士郎にとっては、どう見られていたか、そんな事を初めて知ったとも言えるような記載もあった。

 そして全部を確認した士郎はただ黙って書類を机の上に置くのだった。そんな士郎を見ていた福寿が再度問い掛ける。

「確認が終わったようだね。それで、何か間違った所はあったかい?」

「……いや、というか、こんな風に思われてたんだって初めて知った」

「まあ、教育や監視をする人間にとっては当人に知らせてはいけない事も多いのだろうね。さて、書類に間違いが無いのなら返してくれたまえ、そして、これにサインと拇印を押してもらおうか」

 そう言って福寿が手を差し出してきたので士郎は書類を茶封筒に戻すと福寿に返した。そして、すぐに福寿から二枚の紙と朱肉にティッシュ箱が新たに寄こされた。

「これって……ウチの学校に出すアルバイト許可証と……後見人変更届け?」

 一枚目は士郎が通っている学校の生徒がアルバイトをする時に学校に届けだす、アルバイトの許可証だ。こんな物をどこから手に入れたのかは分からないが、まさか、ここで目にするとは士郎は思いもしなかった。けど、それ以上に困惑させたのが二枚目の後見人変更届けだった。

 二枚目は関係各所に届け出る物であり、普通なら縁の無い書類なのだが、既に少年院から出所して保護者とも言える後見人が居る士郎にとっては縁がある書類だった。けど、後見人を変更する理由が士郎には分からなかった。なにしろ、今の後見人も士郎には優しかったし、士郎の事を理解しようとしてくれていた。そんな人を変更する意味があるのかと士郎は疑問に思ったのだ。

 だから士郎は二枚目の書類である後見人変更届けについて福寿に聞いてみる。

「後見人の変更って、俺は今の後見人に不満があるワケじゃないし、わざわざ変更する意味ってあるのか?」

 士郎が、そんな質問をすると福寿は相変わらずの無表情で、その事を説明し始めた。

「もちろん、大いに理由がある。君は、この事務所に対しての第一印象はどうだったかい?」

「怪しい」

「即答でありがとう。まあ、私が言うのもあれだが、確かに見た目は怪しいだろうね」

 って、自分でも、そこは認めるんだな。思わず心の中で、そんなツッコミのような事を思ってしまった士郎。まあ、場所と名前があれだけに、福寿も自ら、こんな認識をしていてもおかしくは無いだろう。だが、そんな事を放っておいて福寿は更に話を進める。

「更に言えばアルバイトで探偵の助手なんて聞いた事があるかい?」

「無いな」

「当然だ、そもそも探偵家業にアルバイトなんて必要が無い。それに、探偵には依頼や依頼人などの情報が非公開なのは鉄則だからね。情報が漏れそうな人物を入れたり、雇ったりはしないのさ。それに、そもそも学校側がそんなアルバイトを認めるワケがないからね」

 なら、アルバイト許可証も必要ないだろ。福寿の言葉にまたしてもツッコミに似た事を心で思う士郎。別に口に出しても良いのだが、何となくだが、軽く一蹴で終わってしまいそうなので士郎は黙っている事にした。まあ、ここまで福寿とは内容の濃い会話をしただけに福寿が言いそうな事は少しだけ分かるのだろう。そして福寿の説明は続く。

「そこで必要になってくるのが後見人の変更なのさ。その書類には二人の後見人が記載されている。その二人とも私達と同様に残留思念を見る事が出来る。更に言えば、一人は私に残留思念や探偵の基礎を教えてくれた師匠とも言える人だ。そして、この捨て去り探偵事務所のオーナーでもある。最も、実際には今まで私一人でやっていたのだがね。それに、その人は高齢なのさ、だから、いつ死んでもおかしくは無い。そこでもう一人、後見人を用意する必要があるワケなのさ。そちらは世話焼きでおせっかいだからね。いろいろと面倒を見てくれる。さて、ここで重要なのが何か、それが君には分かるかい?」

「つまり、二人とも、この探偵事務所の裏事情を知っており、残留思念の事も理解しているから俺達の事を一番に理解が出来る人達、という事か」

「そういう事だね。この二人の後見人が居るからこそ、私は捨て去り探偵事務所を営む事が出来るし、君がここで働くための許可を取るためにいろいろとしてくれる。私も捨て去り探偵事務所を営んでいると言っても、未成年である事には変わりない。だから、どうしても保護者、つまり後見人が必要な時がある。そんな時に私達の事や捨て去り探偵事務所の事を一番に理解している後見人が居た方が良いとは思わないかい?」

「あぁ、確かに、そうだな」

 そう言って士郎は改めて福寿を見詰める。福寿は昨日とは違った、緑の生地にアヤメが描かれている着物を着ている。昨日も感じた事だが、どう見ても福寿は年下に見える。それは福寿に少しだけ幼さが見て取れるからだろう。まあ、少なくとも士郎には同年代には見えないというワケであり、福寿も自ら年下と言っていた。

 更に言えば士郎は高校生、今年になって高校に入ったばかりだ。つまり、士郎も未成年だからこそ後見人が付いたわけだし、年下の福寿も当然、未成年である。そんな福寿が問題無く、この捨て去り探偵事務所を営んでいるのだ。そこには、やはり、後見人の力が大きいのだろうと、士郎はやっと福寿が出してきた、後見人変更が意味する事を理解できた。

 そんな士郎に福寿が更に説明を追加してきた。

「更に理由を挙げれば、依頼は二人の後見人を通して来るケースも少なくは無い。なにしろ、一人は私に探偵としての技術を教えて引退した人物だ。未だに人脈は生きており、そこから依頼が来る場合がある。もう一人も世話焼きのおせっかいだ、だから、相談から私への依頼に変わるケースもある。つまり、二人の後見人は私達の保護者でもあり、依頼を持ち込んでくるルートでもあるのだよ」

「つまり、この二人を後見人にすれば、俺達の行動に制限は掛からない。そして、そこから依頼が来るから依頼にも事欠かない。という事か?」

「そういう事だね。分かったら、さっさとサインしてしまいたまえ。君の後見人を変えない限りは、君の行動に関して今の後見人が口を出してくる可能性がある。それを阻止するためにも必要なのさ。君がここで私の助手になるためにはね」

 そんな言葉で締め括った福寿は、すぐに話す事は無いと言わんばかりに再び自分のデスクと向き合う。士郎の角度からは見えないが、福寿がキーボードを叩いているからには何かしらの仕事をしてるのだろう。そんな風に理解した士郎は念のために書類をチェックする。けど、何の不備も無かった。

 まあ、福寿としては近いうちに士郎が自分の助手になる事が分っていたのだから、これぐらいの準備をしておいても不思議ではないだろう。士郎としても、既にあそこまで調べられたのだ、だから福寿の能力を高く評価している。だから、こんな物を用意しておいても不思議は無いと理解する事にした。そんな士郎が書類にサインをして、印鑑を押すところに親指に朱肉をつけて拇印を押すと、ティッシュを一枚だけ取り出すと、親指に付いた朱肉を拭きながら、立ち上がって書類を福寿に渡すのだった。

 書類を受け取った福寿は一応、チェックだけをすると仕舞い込み。今度は別なところにおいてあった書類の束を士郎に差し出して、当然のように士郎に向かって言うのだった。

「さて、これで君は私の助手だ。早速だが初仕事だ。これを一枚ずつコピーを取りたまえ、それに今回の依頼内容が記載されている。ついでに言うとコピー機はあそこだ。もちろん、使い方は分かるだろうね。分からないと言ったら今回の仕事から外して一から教えなければいけない」

「それぐらいは分かるって」

 士郎は当たり前のように言うと福寿が指差した方へと向いた、そこには確かに窓の下に事務用のコピー機があった。事務用と言っても、コンビニに置いてあるコピー機と同じような物だし、少年院では教育の一環としてパソコンから英語まで、社会に復帰して必要だと思われる常識は完全に叩き込まれている。だからコピー機ごときで士郎は困る事無く、福寿が言ったように渡された書類を一枚ずつコピーし続け、それが終わると元の書類とコピーした書類に分けて、その二つを福寿に向かって差し出した。

 差し出された書類を見て、福寿は最初に渡した書類だけを手に取ると士郎に向かって言うのだった。

「先程も言ったが、これは今回の依頼内容について書かれている。だから、君はそちらの書類に目を通しておきたまえ。それが終わったら、説明しながら捜査に出る。捜査方法は向かいながら説明する。なに、君にとっては初めての捜査だからね、君は私に従ってれば良い。それに君は私の助手なのだからね」

 最後だけ少し声を上げて主張する福寿。そんな福寿に士郎は思わず、額に怒りのマークを五個ぐらい浮かべるが、確かに福寿が言っている事は正しいと怒りを静めるのだった。自分が福寿の助手になったという事は、福寿の方が格上なのである。つまり、士郎は福寿の命令や指示には絶対に従わないといけない。それが士郎の立場なのだから。

 かと言って、福寿は年下である。別に士郎は年下の福寿に偉そうに言われたから怒りを感じたのではない。福寿が偉そうに士郎をからかうように言ったから怒りを感じたのだ。もっとも、それは福寿なりに士郎で遊んだのであり、士郎も自分が遊ばれたと思ったからこそ、怒りは感じたものの、すぐに静める事が出来た。

 そんな士郎の態度に福寿は楽しそうに笑いながら言うのだった。

「ふふふ、さすが一晩で答えを出しただけあるようだね。だから君は優秀だと言えるのさ。もっとも、この程度で表情を表に出すようなら、それはそれで遊びがい、もとい、鍛えがいがあると言えるのだがね」

 そんな福寿に対して士郎は平静に言い返すのだった。

「部下や格下の人間を玩具にしてからかうのは上に立つ人間として、最も最低な行為だとは思わないか」

「別にそこまで酷い事はしてないさ。私としては、これぐらいの冗談が分かる人間の方が面白いからね。君も少しは冗談に対して冗談で返せるようになりたまえ。そうでないと、人生の三分の一ぐらいは楽しさが減るというものさ」

「悪かったな、冗談が通じなくて。けど、今更になって、この性格は直せはしない。なにしろ、少年院での矯正教育は厳しかったからな。自分でも固い性格をしていると思うほどだよ」

「まあ、そんな性格だからこそ、君は一晩で答えが出せたんだろうね。後は、その知恵と理解力を仕事に活かしてくれれば、私は今の君でも充分すぎるほど、君で遊べるから、別に君に性格を直せとは言わないよ」

 やっぱり、こいつの性格はかなり悪いだろ。福寿の言葉に、そんな事を思ってしまった士郎だが、これ以上の会話に意味が無いと察した。そんな士郎は先程まで座っていたデスクに座ると、福寿が目を通せと言った、コピーを取った方の書類に目を落とすのだった。

 そして、書類には、こんな事が書かれていた。



 依頼内容、人物捜索。依頼人、折笠礼二おりかされいじ。捜索対象、折笠彩乃おりかさあやの。両者の関係、親子。概要、三週間前から娘の彩乃が行方不明。父親である礼二は警察に捜索願を出すも、警察の行動が遅滞だったために、警察に迅速な捜査を要求するも行方不明者の捜索には時間が掛かるものだと説明される。手詰まりになった礼二は業を煮やすが、そんな礼二にお節介を焼いたのが、この捨て去り探偵事務所の下にある喫茶店、桃源喫茶を経営している、清川桃子きよかわももこだ。相変わらずの世話焼きには変わりはない。そんな桃子から上に居る私に依頼するように言われたそうだ。そのため、礼二は桃子の言葉を信じて、藁にもすがる思いで捨て去り探偵事務所を訪れて、そのまま依頼契約をした。



 折笠彩乃



 普段から家に帰る事が無く、友達の家を泊まり歩いてるらしい。友人の話では二十四時間営業の軽食店やマンガ喫茶にも泊まってらしい。そのため、自宅に帰るのは二、三日に一度という場合が多かったようだ。そのため、礼二も彩乃の足取りが掴めなくなってから一週間が経過して、そうしてやっと彩乃が行方不明になっている事に気付いたようだ。

 その原因として金銭が関係している。彩乃が自宅に帰るのはお金が無くなった時だけだったようだ。そして母親からお金を貰うと、また遊びに出かけるらしい。礼二も母親も彩乃に家に帰るように言っていたのだが、遅い反抗期なのか、それとも何かしらの不満があったのか、あるいは年頃による行動なのか。何にしても彩乃が自宅に対して嫌がっていたのは簡単に察しが付くというものだろう。

 話を聞く限りでは、友達の家にも泊まるだけであり、ほとんどの時間を遊びで使っていたらしい。そのため、自宅または友人宅に残留思念が残っている可能性は低い。残留思念があるとすれば、遊びまわっていたアーケード街が一番の可能性を持っているだろう。その理由として、彩乃の年齢は十八歳という事もあり、アーケード街には、若い女性をターゲットとした店舗が多数存在している。カラオケ、ゲームセンター、喫茶店からショップまで、あのアーケード街は若い女性が集りやすい。そのため、彩乃もそれらの店を回っていたとすれば、アーケード街に何かしらの残留思念が残っているだろう。

 故に、今回の捜査は、そのアーケード街から始める事にする。



 そんな依頼に関する概要とこれからの方針が書かれていた書類に士郎が目を通した後、最後の紙にはカラー写真が大きく印刷されており、その下には『折笠彩乃』という名前まで入っていた。だから士郎にも、この最後の紙に掲載されている写真の人物が、捜索する彩乃だという事が簡単に分かった。

 まあ、写真はA4の紙にほとんどと言って良いほど、大きく印刷されており、写真の下に書かれていた名前もしっかりと太字で書かれていた。まあ、ここまで、あからさまに捜索する人物の写真と名前が記載されているのだ。誰にだって、この人物が彩乃だという事が分かる、というものだろう。

 それに概要に書かれていた事から、福寿が未だに捜査には出かけていない事も分かった。もし、少しでも捜査が進んでいれば、福寿ならば、そこをしっかりと明記した書類を渡してくるはずだ。つまり、この依頼は受けたばかりであり、未だに捜査を開始はしていないという事は簡単に推測が出来るものだ。

 そんな士郎が概要を読んで思った。捜索という事は家出か。まあ、年頃が年頃だから、家出の一回や二回はあっても当然だろう。それに滅多に家にも帰らないぐらいだし、家出した事に気付くのが遅れても当然か。という事は、俺達は家出をした、この彩乃って子を探しに行くわけだ。

 そんな推論を立てて一通り書類に目を通した士郎が書類を机に置いてから福寿に話し掛けようとするのだが、福寿から言葉が飛んできた。

「どうやら読み終わったようだね。まさかとは思うけど、今の時点で質問があるかい?」

 顔はいつも通りに無表情だが、声にはしっかりと意地悪な気持ちが込められている事には、しっかりと気付いていた士郎だった。まあ、福寿なりに士郎で遊ぶ事を踏まえた確認なのだろう。だからこそ、士郎も福寿の遊びに付き合う事無く、普通に答えるだけだった。

「何も無い。ただ、気になったのは、依頼を受けてから、そんなに時間が経っていないという点だけだな。この依頼は、いつ頃に来たものなんだ?」

「君が来る数時間前さ」

 士郎の質問にあっさりと答える福寿。まあ、依頼を受けた時間なんて、今後の捜査には影響が無い。ただ、士郎は確認をしたかっただけなのだから。その事は福寿にも分っているのだろう。だから、福寿はそれから何も言わずに立ち上がると士郎の所にやって来て、士郎にも立つように指示するのだった。

 そんな福寿に士郎は首を傾げながらも言われたとおりにすると、福寿は唐突な質問を士郎にぶつけるのだった。

「さて、少しだが残留思念について勉強してもらおうか。君は私の事をどう思っている? 口には出さなくて良い。そのまま心で思ったり、考えるだけで良い」

 福寿の質問に士郎はますますワケが分からないという顔をしながらも福寿を見ながら、福寿について考えるのだった。

 どうと言われてもな。う~ん、黙ってれば可愛いんだけど、口と性格は最悪だな。もう少し愛敬があれば普通に可愛いのに、まったくもって勿体無いな。そんな事を考えた士郎は自分自身でも自分の考えに納得したように一回だけ頷くのだった。そして、それを見ていた福寿が次の指示を出す。

「では、二歩ほど下がりたまえ」

 またしても意味の分からない指示。それでも士郎は、とりあえず二歩だけ下がると、福寿は今まで士郎が居た場所に手を伸ばすと、そのまま数秒ほど同じ体勢を維持する。すると、急に頭に怒りマークを浮かべた福寿が士郎に近づくと、そのまま士郎の脛を思いっきり蹴るのだった。

「って~~~~っ! というか脛、弁慶の泣き所っ! なんで、いきなり蹴られなければいけないんだよっ!」

 あまりにも突然な出来事に士郎は脛を抱えながら、少しだけ涙目になりながら福寿に文句を言うのだった。どうやら、思いっきり蹴られたらしく、士郎はかなりの痛みを感じたようだ。そして、蹴った方の福寿は不機嫌な顔で士郎を見下ろしながら言うのだった。

「それはすまなかったね。そして口と性格が最悪で悪くて残念だったね。口と性格が最悪じゃなかったら私は君好みの女性だったかもしれないね。だが、私も今になって口と性格を直す事が出来ないのさ。そこは諦めたまえ」

 そんな福寿の言葉を聞いて、士郎は驚きの眼差しを福寿に向ける。なにしろ、福寿が口にした言葉は、先程の指示で士郎が考えた事に対する返答に近かったのだから。いや、正確に言えば士郎が思った事に対する福寿の反応だと言えるだろう。少なくとも、士郎には、そう思えた。

 そんな士郎が脛を擦って痛みが引くと立ち上がって、とりあえずは何も言わずに福寿の言葉を待った。それは先程、福寿は残留思念について勉強してもらう、と言ったのだ。だから、これが福寿の示しかった事だという事は士郎には簡単に察しが付いた。だからこそ、余計な事を言わずに士郎は黙って福寿からの言葉を待つのだった。

 そんな士郎に福寿は面白く無い、という顔をしながらも、大きく、そしてワザとらしく溜息をついた後に口を開いてきた。

「本当、君は面白味が無いな。高杉警部なら、それなりのリアクションを返してくれるというのに。まあ、良いだろう。私が示したかったのは三点。一つは自分自身の残留思念は自分では見る事が出来ないが、残留思念が見える者には見えるという点。二つ目は、人の残留思念、それも残留思念が見える者が残した残留思念を見るのはマナー違反だ。だから、誰かが残留思念を残す現場を見ても、絶対に、その残留思念を見ないように。三つ目は、実証だ。人はこんな事でも残留思念を残す。先程の質問は君が想い出にするまでも無い記憶だ、だから考えた事も残っているから聞く事が出来た。置き去りにした想い出とは、残留思念はこんな事でも残るって事なのさ」

 そんな福寿の説明を受けて士郎は、福寿の言いたい事を確認するかのように福寿に向かって言うのだった。

「つまり、取り留めも無い事でも人は残留思念を残すし、自分も例外では無い、という事で良いか? それと人が残した残留思念を見るのはマナーに反するという事は分かった。こんな感じで理解して良いか?」

「あぁ、それで構わない」

 相変わらず無表情で素っ気無い答えを返す福寿。そんな福寿を見て、士郎はある事を思い付いた。まあ、簡単に言えば先程の仕返しと言っても良いだろう。更に嫌味を付けるために、士郎はわざわざ言葉に出して福寿に尋ねるのだった。

「なら、福寿も簡単に残留思念を残すって事だよな。だから、俺が間違って見てしまっても仕方ないよな」

 そんな言葉を発した士郎に対して福寿は先程の表情とは一変。また意地悪な笑みを浮かべると士郎に向かって言うのだった。

「残念ながら君は私の残留思念を見る事が出来ない。私は残留思念について訓練を受けているからね。だから、私の残留思念は残した瞬間に消えるのさ。だから君が先程の仕返しに私の残留思念を見る事は出来ないのだよ」

 あっさりと士郎の逆襲を見破って踏みにじった福寿。そんな福寿が放った言葉に対して士郎は疑念を抱くが、それ以上に福寿の言葉が正しいと感じていた。なにしろ、福寿がわざわざ実行して見せた事だ。そんな福寿がこんな事で嘘を付くとは思えないし、福寿の性格から言っても、意地悪な笑みを浮かべる時は必ず上からの物言いで、その言葉は正しい。まだ、短い付き合いだというのに士郎には、そこだけは分かるようになったようだ。

 だから士郎は福寿の言葉を聞いて、つまらなそうな顔をする。そんな士郎を見た福寿が、士郎を軽く笑いながら言葉を続けるのだった。

「ふふふ、まあ、そう不貞腐れる事では無いのさ。今は知っておいて欲しい、とりあえず、それだけだ。君が成長したら、その時は君にも、この方法を教えよう」

 そんな福寿の言葉を聞いても士郎の機嫌が直る事は無かった。まあ、それは、それはそうだろう。なにしろ、今の状態では士郎の残留思念は福寿には見える。つまり、士郎が思った事や考えた事は福寿には丸分かりなのだ。そんな状態だからこそ、士郎は不機嫌なのだが、福寿は未だに不機嫌な士郎を笑い続けながら言うのだった。

「ふふふ、君がそんな顔をしている理由は分っている。だからこそ、私は先程の説明における二点目で、事の重大さを知って欲しかったのさ」

「……そういう事か」

 福寿の言葉を聞いて、やっと福寿が何を言いたかったのかが分かった士郎は、すぐにいつもの表情に戻った。それと同時に機嫌も直ったようだ。それは福寿が言った通りに、先程の説明で二つ目に説明された事が関係してくる。

 つまり、目の前で残留思念を残される。それは自分に対しての気持ちであり、相手が自分をどう思い、どう感じたかという記録でもある。そんなプライバシー以上に値するものを勝手に見られて喜ぶ人間なんていない。逆に先程の士郎みたいに誰もが不機嫌になり、ケースによっては人間関係が壊れるだろう。

 それだけ、人が残した残留思念を勝手に見るという事。しかも、目の前で残された残留思念は自分に対して向けられたものが多い。だからこそ、福寿はマナー違反だと言ったのだ。確かに、考えてみれば、人の記憶や考えや思いを勝手に見たり聞いたりして良い訳が無い。その相手が残留思念を見る事が出来る者ならば、確実に相手との関係が壊れるだろう。なにしろ、残留思念はプライバシー以上の事を聞いたり見たり出来るのだから。

 誰だって、心の中までは自分の物にしておきたい。それは誰しもが同じであり、士郎にも勝手に自分の残留思念を見られる、という事の重大さが先程の福寿が取った行動により、やっと分かったのだ。

 士郎の不機嫌が直ったところで福寿は士郎の机に置いてあった書類の中から一番下の書類を引き抜くと、それを士郎に差し出すのだった。またしても、説明が無い行動に士郎はすっかり諦めて大人しく差し出された書類を手に取るのだった。

 その書類は士郎が一番最後に見た書類。今回の捜索で探すべき対象である折笠彩乃の写真と名前がはっきりと大きく明記されている書類だった。士郎に、その書類を渡した福寿は自分の机に戻りながら、そして士郎と同じ書類を手にしながら言うのだった。

「さて、早速だが、これから私と一緒に捜査に出てもらおうか。詳しい捜査方法は現場に向かいながら説明するとしよう。それでは、君も出かける準備をしたまえ。それから、今手にしている書類は絶対に持っていくように。君の来訪で捜査が遅れてしまったが、君が今から手伝ってくれれば充分に挽回が出来るというものだ。さて、それでは行くとしようか」

 話しながらも既に出かける準備を整えた福寿。そんな福寿を見て、士郎は慌てて、手に持っている書類を折りたたむとズボンのポケットに突っ込み、すぐに福寿の後を追うのだった。その福寿はというと、既に捨て去り探偵事務所の玄関ドアを開いており、士郎を待っていた。そんな福寿の横を通り抜けて、やっと一息付く士郎。その間にも福寿はドアを閉めると、ドアに垂れ下がっている看板をひっくり返して『外出中』と書かれた面を表にすると狭い階段だから、士郎が先に下りるようにいうと、福寿と士郎は捨て去り探偵事務所が入っているビルから出るのだった。

 それからは福寿と並びながら歩き出す士郎。とは言っても、士郎には行き先の検討は、あまり付いてはいなかった。先程の書類では福寿はアーケード街を対象に捜査をするつもりらしいが、詳しい事はまだ聞いて無いし、どこのアーケード街に行くかは分からなかった。

 そんな福寿が袂から携帯電話を取り出すと士郎にも携帯電話を出すように言うのだった。

「現場に着いたら別れて捜査を行う。そして、そのためにはお互いに連絡を取った方が早いからね。とりあえずは君の携帯にある情報と私の番号を交換しておこう」

 何かしら言葉に突っ掛かりを感じる士郎だが、何しろ福寿の言った言葉である。無理に考える必要は無いと判断したのだろう。だから福寿が差し出してきた携帯から赤外線が出る部分と自分の携帯から赤外線が出る所を近づけ、お互いの番号を登録する。それが終わると、今度は先程の書類を取り出す福寿。その書類を見せつつ、再び歩き出した福寿が歩きながら、その紙が意味する事を説明し始めるのだった。

「さて、私の捜査方法については何かしらの察しが付いているのだろう。なら、私がこれから何をするかも察しが付くというものだ。どうかね?」

 そんな質問をされて士郎は、とりあえず頭に浮かんだ事を口に出す。

「残留思念を使って推理する?」

 最後は疑問系だが、士郎には、それだけしか思い浮かばなかった事は確かだ。なにしろ、昨日から福寿とは残留思念について語り合う、というよりも一方的に説明されただけなのだが、それだけでも福寿が残留思念を使って何かをしている事だけは分かった。だからこそ、士郎は推理小説みたいに、福寿が残留思念を使って事件の謎を解く、そんな風に解釈したようだ。

 そんな士郎の言葉を聞いて、福寿は士郎を笑いながら訂正するのだった。

「ふふふ、残念ながら、私は小説やドラマに出ている名探偵みたいに、鋭い観察力や大量の知識を持っているワケではない。だから推理小説みたいに推理で犯人を特定が出来るだけの力は無いのさ。どちらかと言えば、それらはまったく私に備わっていないと言った方が良いだろう。それでも、私は幾多の難事件を解決に導いた。その答えが君には分かるかい?」

「……いや」

 福寿の質問を少しだけ考える士郎だが、やっぱり解答が思い浮かばなかったのだろう。だからこそ否定を言葉にしたのだ。そんな士郎に対して福寿は目線を前に、そして歩きながら説明を続けるのだった。

「既に君にも理解が出来ているだろうが、残留思念は人の記憶だ。そして、私達は残留思念を見る事が出来る。推理小説なんかで『まるで現場を見てたかのように』という表現が使われるのは知っているだろう?」

「あぁ、少しぐらいなら読んだ事があるからな。っで、それが何の関係があるんだ?」

 そんな士郎の問い掛けに福寿は軽く溜息を付いた。少しは考えろという事なのだろう。けれども、士郎としては、これからの捜査が気になって仕方ない状態だ。だから思考、というよりも気分がそちらに向いているから、思考が働いていないと言えるだろう。簡単に言えば、少しだけ浮かれている状態だ。

 まあ、士郎としては初めての捜査であり、これから未知の世界に足を踏み入れるのと同じなのだから浮かれ気分なのは仕方ないだろう。福寿も士郎の態度から、そんな気配を読み取ると、少しだけ先行きが不安という気持ちを抱くが、福寿も一番最初の捜査、というよりも手伝いでは同じ気分だったのを思い出して、士郎の気持ちが分かったのだろう。

 だからこそ、士郎に不安な気持ちを抱きながらも、自分は気を引き締めて福寿は士郎に向かって説明を続けるのだった。

「その、まるで現場を見ていたかのように、それが出来るからこそ、私は難事件を解決に導けたのだよ。そう、その現場を見たのだからね。つまり、依頼または犯罪に関わる残留思念に触れる事によって、私達は本当に現場を見る事が出来るのだよ。そして、先も説明したように残留思念は人の記憶。思った事や考えた事、つまり人の本心が勝手に聞こえる。つまり相手が何を考えていたのかも分かるのだろう。後は簡単だ、それを辿っていけば、私達は真相を目にして耳にするだけだ」

 相変わらず長い福寿の説明をしっかり聞いていた士郎が確認するかのように、隣を歩いている福寿に向かって言葉を放つのだった。

「つまり残留思念を見る、という事は、犯行現場を見るのと同じって事なのか? 残留思念が人の記憶なら、実際に犯行現場を目にするのは当たり前だし、次に何をしようとしてるのかも分かるって事で良いのか?」

「まあ、そんなところだろうね。だが、今回の依頼は行方不明になった折笠彩乃の捜索だからね。だから私達が探すのは、折笠彩乃の残留思念だ。彼女の残留思念を見つけて、それを追っていけば、必ず彼女にぶつかるだろうね。なにしろ残留思念は人の本心を聞ける。つまり、次の行動も聞けるって事なのさ」

「なるほど、確かに、そうすればいずれは、この彩乃って子に辿り着くだろうけど……ここだけでも数え切れないほどの残留思念があるのに、どうやって彩乃の残留思念を見極めるんだ? 一つ一つを調べていたら時間は無くなるし、下手をしたら、次に依頼に必要になる残留思念も消しちまうんじゃないか?」

 士郎はそんな疑問を福寿にぶつける。確かに、士郎が言ったとおりに、この辺りを見回しただけでも、かなりの残留思念が道の端々に存在している。その中から彩乃の残留思念を見つけるのは砂漠で一粒の砂を見つけるのと同じ。これも良く使われる表現だけあって、士郎の心情を表すのには最適だろう。そして福寿はやっと士郎の方へと顔を向ける。その表情から、やっとその質問が出たか、という少しだけ呆れた顔をすると、先程から見せている紙。そう、捨て去り探偵事務所で士郎に持ってくるように言った最後の書類だ。福寿はそれをひらひらと士郎に見せ付ける。どうやら、それを取り出せという事なのだろう。

 そんな福寿の意図が分かった士郎は歩きながらもズボンのポケットに手を突っ込むと、そこに仕舞い込んだ書類を取り出すと、開いてみる。当然、そこには折笠彩乃の大きな顔写真と名前がしっかりと明記されていた。士郎が、その紙を出した事により、福寿も歩きながら説明をするのだった。

「確かに君の言うとおりなのさ。だから私達は折笠彩乃の残留思念だけを探す。そこで、重要になってくるのが、私達が手にしている紙という事だね。これには依頼人から借りていた折笠彩乃の顔写真と名前が明記されている。残留思念というのは使い方によっては便利でね。やり方次第では残留思念を見ただけで、相手の顔を名前が分かるぐらいだ。けど、それは高等技術だからね、君には早すぎるだろう。だから、今の君には必要が無い。そして、これからやるのは、その逆の事の作業なのさ」

「逆って?」

「それは実際にやった方が早いだろうね。まずは紙に記されている顔と名前をしっかりと暗記したまえ。目を瞑ってもはっきりと覚えていられるぐらいにね。それから目を閉じて、覚えた顔を名前を思い出しながら目を開ける。さあ、やってみたまえ」

 相変わらず一方的に指示を出してくる福寿。まあ、立場上では士郎は福寿の助手。つまり福寿の方が立場が上なのだから、当然と言えば当然だろう。士郎もそれぐらいは分っている。まあ、士郎は残留思念の事を知ったばかりと言えるのだから、福寿からの指示や説明が多くても当然だと思っているようだ。だからこそ、士郎は足を止めると福寿も同じく足を止めてくれてから、福寿から指示された事を実行する。

 えっと、まずは顔と名前の暗記、というよりも記憶するって感じかな。まあ、これぐらいなら簡単に記憶が出来るし、そんなに難しい事じゃないな。というか、これをやるとどうなるんだ?

 そんな疑問を覚えながらも福寿に言われた通りの事をやってみる士郎。そして士郎が彩乃の顔と名前を記憶して、すぐに思い出せるぐらい記憶してから士郎は瞳を開けるのだった。そして士郎は驚き、福寿はそんな士郎を見て楽しんでいるようだ。

 士郎が驚いても不思議ではない。なにしろ、今まで道の端々に、対向車線の向こう側の歩道にもあった。つまり、今まで見ていた全ての残留思念が全て見えなくなったのだから。つい先程までは普通に見えていた物が急に見えなくなったのだ。だから士郎が驚くのも無理はない。それに士郎には急に残留思念が見えなくなった事で不安を覚えたのだろう。だからこそ、驚きの眼差しで福寿の方を向くが、そんな福寿は軽く笑ってから答えるのだった。

「ふふふ、別に心配する必要は無い。言っただろう、残留思念は使い方によっては便利だとね。今の君は記憶した、つまり折笠彩乃の残留思念しか見る事が出来ない。それは記憶の波長が合っているからなのさ。要するに、顔と名前を記憶してから目を開けると、記憶した人物以外の残留思念は見えなくなる。つまり、記憶した人物の残留思念を特定が出来るというわけさ。それが生者でも死者でもね」

 そんな福寿の説明を聞いて士郎は福寿の説明に頭をフル回転させると、すぐに福寿の言いたい事を理解して、それを確認するかのように福寿に尋ねるのだった。

「つまり、俺が彩乃の顔と名前を記憶している時は、彩乃の残留思念しか見る事が出来ないって事なのか?」

「そういう事だね。そして、分っていると思うが、記憶は時と共に消えていく。まだ慣れていない君だ。そろそろ元の状態に戻っても不思議では無いだろう。さあ、周りを見てみたまえ。そろそろ元のように全ての残留思念が見えてくる頃だろう」

「……あっ、本当だ」

 福寿に言われて周りを見渡す士郎。辺りには最初は薄っすらだが、次第に元のように見えてくる残留思念。それは士郎の記憶から彩乃の事が消え去り、元の状態に戻った事を意味していた。

 けれども、これで士郎にも、これからやる事が理解できたようだ。そんな士郎が彩乃の写真が写されている紙を見ながら福寿に尋ねるのだった。

「つまり、この紙で彩乃の顔と名前を確認しながら、彩乃の残留思念を探せって事か?」

「まあ、そういう事だね。もっとも、慣れれば一回だけ見ただけで、長時間は記憶した状態を維持が出来るし、状況によっては元に戻す事も自由自在だ。だが、君にとっては初めての捜査だからね。長時間は記憶が出来ないだろう。だから、残留思念が見え始めたら、逐一確認をしたまえ。それから、彩乃の残留思念を見つけた時にも紙を見て確認してから私に連絡をしたまえ。最後に、勝手に残留思念を見ない事。だから彩乃の残留思念を見つけた時はしっかりと確認をしたうえで私に連絡をしたまえ。その後は、その時になってから説明しよう」

「了解」

 ともあれ、長い福寿の説明を聞いて、これからやる事を確認した士郎は了承した言葉だけを返して紙をズボンのポケットに戻すと、福寿も同じように紙を袂に戻す。それから二人は、また捜査現場に向かって歩き出すのだった。



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