その三
士郎が住んでいたのは八畳のワンルームである。そこはアパートだが、あそこから指定された寮とも言えるべき場所であり、ここに住んでいる限りは、士郎の保護者兼後見人がいろいろとやってくれる。だから士郎は特に難しい手続きはしないままに、ここに入る事が出来た。
それに、あそこでは一人暮らしに必要な知識もしっかりと叩き込んでくれた。おかげで士郎は一人暮らしを始めても不自由はしなかった。しかも、炊事と洗濯、そうした家事も徹底的に教えてもらった。だから士郎が作れる料理のレパートリーは多いだろう。
だが今日はいろいろと有り過ぎた。紅の残留思念に惹かれるし、福寿から難しい話を理解させらるし、極め付けは士郎が想い出のステージに立たされた事だ。そのため、士郎は未だに気分が沈んだままだ。だから今日は近くのコンビニで弁当を買ってくると、それで夕飯を済ませた。さすがに今は食事を作る気力も無い、と言ったところだろう。
そんな状態の士郎だからこそ、夕飯を済ませると、すぐにベットの上に横になり、電気を消すのだった。別に寝るわけじゃない。ただ、士郎にとっては暗い方が考える、という事がやり易いのだろう。だからこそ、士郎は部屋の明かりを消して微かに窓から差し込んで来る光を横目にしながら、天井を見詰めつつ考え始める。
あれって、残留思念という人の記憶だったんだ。そして、それが見えるのは、俺の中に決して忘れられない想い出があるから。……今に思えば、あそこを出たのが一つの区切りだったのかもしれないな。あそこ……そう、少年院から出たのが想い出の一区切りと言えるんだろうな。
その通りだった……士郎は最近まで少年院で過ごしており、そこで矯正教育を受けていた。士郎が少年院に入る結果が出たのは、士郎がまだ九歳の時だった。なにしろ、士郎が罪を犯した時には、まだ幼すぎた。そのため、少年院で矯正教育を受ければ充分に更生が出来ると判断されたのだ。
そのため、士郎は最近まで少年院で過ごしていたのだが、犯行当時が幼かったという理由と少年院での士郎の態度から見ても、充分に社会に適合できると判断された。そのため、士郎は公立高校への進学が決まり、これを機に少年院から出たのだ。もちろん、出るときには、しっかりと保護者兼後見人が付く事になった。なので、社会的な手続きとかは後見人がしてくれるので、士郎は今まで普通に高校生活を営む事が出来ていた。
けど、士郎が考えたとおりに、少年院を出た事が想い出の終わりであり、新たなる想い出の始まりだと言えるだろう。つまり、士郎は少年院を出るまで、ずっと想い出の終わりを迎える事が出来なかったのだ。けど、少年院を出て高校に通う。そんな、一つの区切りが付いたからこそ、昔の事も少年院の事も一つの想い出として終わりを迎えたのだ。罪の発生と罪の償い、どんな形だろうと、それらが士郎の中では一つの想い出となっているのだろう。だからこそ、士郎が残留思念を見れるようになったのは、少年院を出てからなのだ。
時期的にもピタリと一致する。つまり、士郎の中にある紅の想い出は少年院を出る事で終わりを迎えて、それは想い出となった。だが、士郎は未だに、その想い出を捨て去る事が出来ない。忘れる事と言っても良いだろう。決して忘れられない想い出、決して消し去る事が出来ない記憶、それらが士郎の中に、未だに鮮明に残っていあるからこそ残留思念が見えているのだ。
ならば、どうすれば良いか。このまま……というのは、さすがに士郎も勘弁してもらいたいと思っていた。やはり、人には見えないものが見えてしまう。そんな状況がいつまでも続くと、また自分が狂ってしまいそうだし、それに……あの紅の残留思念。もう一度、あれを見たら、また惹かれて、触れてしまいそうで怖かった。
士郎が、そう感じたのは、やはり福寿の影響なのだろう。福寿は言葉だけで士郎が紅の前に立った時の感覚を思い出させ、そして、紅に触れた結果を最悪な形で士郎に見せ付けたのだ。いや、福寿から見れば、そうなる事は当然だったのだろう。けど、士郎から見れば最悪の一言だった。だが、福寿が言った事を信じるのなら、士郎が紅に触れれば、福寿から思い出させられた最悪な事よりも酷い事になったかもしれない。そう考えると、やはり、あそこで紅に触れないのが正しかったと士郎も思うようになっていた。
そう考えると士郎は福寿の話を丸ごと信じるしかないと結論を出した。確かに福寿の話はオカルトとも言えるほど信じ難い。でも、士郎には残留思念が見えているし、福寿には士郎が紅に触れれば、どうなるのかも分っていた。そのうえ、福寿は士郎が紅に触れた時に起こるであろう事をシュミレートして見せたのだ。それに話にも筋が通っている。つまり福寿の話には疑う余地が無いという事になる。
それを踏まえた上で士郎は今後の事を考えなければいけない。そんな士郎が今後の仮定を思ってみた。それは、もし、福寿の助手になった場合の物だ。
……って! 助手って言っても、具体的に何をするのかを聞いてなかったぞっ! だ~、くそっ! こんな状態で、どうやって今後の事を考えろって言うんだよ。まったくっ! これだと俺に助手をさせる気が最初から無いと思った方が良いんじゃないか。
怒り半ばにして、そんな結論を出す士郎。まあ、確かに士郎が、そう考えるのも仕方ないだろう。なにしろ、福寿は自分の助手となれと言ったが、具体的な未来図を示したわけではない。だから、福寿の助手になった場合は、どうなるのかが士郎にはまったく想像が出来なかった。そうなると、次に考えるのは、もう一方の結論である。
紅に関する想い出を捨てるか……まあ、それが無難かもしれない。俺だって、望んで残留思念が見えるようになったワケじゃない。ただ、結果的に残留思念が見えるようになっただけなんだからな。だから今を続ければ良い、いつものように学校に行って、普通に高校生活を営み、卒業後は社会に溶け込めば良い。それで……良いんだよ……な。
そうは思うが、やっぱり心のどこかで引っ掛かりを感じているのだろう。士郎は、そちらの結論を肯定するものの、やっぱり否定したい部分もあるのだろう。だから、士郎は安易に、そちらの結論を受け入れる事が出来なかった。
それは普通の生活、誰も営んでいる工程。誰しも、学校を卒業すると、それぞれの進路に進み、最後には社会に出て、大人になって社会に溶け込み、その中で恋愛をして、結婚して、家庭を持つ。それは士郎だけではなく、学校での友人達も皆、最終的には、そうなっているだろう。それが大人になるという事だし、社会に出る事。少なくとも士郎は少年院で、そう教わっている。
だから自分も、そんな人生を送るものだと思っていた。進路はそれぞれだろうが、士郎は高校生活で自分が進むべき道を見つけて、後は、ひたすら、その進路に向かって頑張ろうと思っていたのだ。だが、福寿との出会いで士郎は、こんな場所で自分の人生において、重要な決断を迫られていたのだ。
一つは、普通の生活に戻って、自分のやりたい進路を見つけ、それを進むか。もう一つは、福寿の助手として社会に出て、探偵としての道を歩むか。残留思念が見えている限りは、士郎は、そのどちらかに決めないといけない。
もちろん、今すぐ決めなくても良いと福寿は言った。けど……それは問題を先延ばしにしているだけで何の解決にもならない、と士郎は考えていた。つまり、この選択は必ず答えを出さないといけない。先延ばしにして、忘れ去る事なんて許されない。それが分っているからこそ、士郎は懸命に自分で答えを出そうとするが、どちらの選択も決断するのには何かが欠けている。士郎には、そう思えた。
そうなると、その欠けた部分を自分で見つけなければいけないんだろうか? 士郎はそんな疑問を持つものの、その欠けた部分が何なのかなんて、どんなに考えていても答えどころか、何も思い浮かばなかった。
「…………はぁ」
大きく溜息を付いた士郎はベットの上から起き上がると、微かな明かりで照らされている室内を移動する。まあ、元々は八畳のワンルームだ。そんなに広いってワケじゃない。だから、士郎は暗い中でも、簡単に冷蔵庫の場所が分かり、その中から買い置きのジュースを手にすると、めんどくさいので、大きなペットボトルにそのまま口をつけて、ジュースで喉を潤す。まあ、他に気兼ねしなくて良いのは一人暮らしの醍醐味と言えるだろう。それに、一旦は思考を中断するのも大事な事だと、士郎は気分転換にジュースを口にしたのだ。
それから士郎はペットボトルの蓋を閉めると冷蔵庫に戻し、自分もベットに戻り、また寝転がるのだった。何にしても、これで気分転換を出来たのは間違いではないだろう。なら、次は何を考えれば良いのか? 士郎はその事を考えてると次第に頭の中が暗くなって行き、士郎は気付かない間に暗闇へと入っていくのだった。
認めない、そんな事は認めたくないっ! 幼かった日の、あの日、士郎はその事で頭の中がいっぱいだった。話は数日前へと遡る。
事の始まりは士郎の母親がとある男性を連れてきた事に始まる。士郎の父親は早くに亡くなっており、士郎は写真で父親の事を見て、母親から聞かされていた父親の話を聞いて、いつの間にか亡くなった父親を尊敬していた。そんな士郎の心にも気付かないまま、母親は、そろそろ区切りを付けた方が良いと思ったのだろう。士郎が学校に行っている間に、父親に関する物を全て処分してしまったのだ。
そして、士郎が学校から帰ってくると、母親は楽しそうに、その男性と話していた。それから母親は、その男性が新しいお父さんだと言って来た。いきなり、そんな事を言われても、幼い士郎は戸惑うばかりで、何一つとして理解できていなかった。ただ、一つだけ分かった事は、母親が、その男性に取られてしまう、という思い込みという名の誤解。
幼い士郎が、そんな事を感じても仕方がないと言えるだろう。それでも、母親と男性は時間を掛けて、ゆっくり士郎に理解させれば良いと思っていたようだ。だから、その日から母親は士郎に男性の事を話し、これからの事を何度も言い聞かせたのだ。
けど、士郎にとっては亡くなった父親こそが唯一の父親であり、新しい父親が出来る事なんて理解が出来なかった。それなのに、母親は新しい父親の事ばかり話す。その結果、士郎の中に歪んだ理解と愛情が芽生える。
あの人は僕からお母さんを取ろうとしてるんだ。だから、お母さんにお父さんを忘れるように言ったんだ。だからお母さんは……お父さんに関する物を全部捨てたんだ。そうやってお母さんを取ろうとしてるんだ。でも……そんなのは絶対にヤダっ! なら、どうすれば? どうすればお母さんは僕だけの物になるんだろう。ずっと一緒に……お母さんを。
士郎は自然とそんな事を考えるようになっていた。そして……士郎は一つの結論を出してしまう。
そうだっ! お母さんをお父さんの所に行かせれば良いんだ。そうすれば、お母さんは僕達のものだし、また、しっかりと僕を見てくれる。それに、お父さんも居るんだから、絶対に取られたりはしない。だから……お母さんをお父さんのところに行かせば、二人ともずっと僕のお父さんとお母さんでいてくれる。
……悲しき結論。でも、幼い士郎には、それこそが家族が再び揃い、今度は父親も居る、しっかりとした家庭になると思い込んだ結果なのだ。だから、士郎は自分の考えが名案だと思い、そうする事で永遠に崩れない家族を手に入れようとしたのだ。父親と母親と自分が……楽しく暮らせている永遠を……。
そう、そんなものは士郎の思い込みに過ぎない。けど、幼い士郎には、その思い込みこそが光明に見えたし、それしか母親を取り返す手段が無いと思っても無理はない。だから、士郎は決して新しい父親なんて認めなかったし、その男性に懐く事もなかった。そんな日々に士郎は焦りだけを覚えるのだった。
なにしろ、母親は、その男性と日に日に仲良くなっていくように見えた。士郎は段々と自分が置いてけぼりになり、自分だけが取り残されるように感じていた。もちろん、母親と男性もしっかりと士郎の理解を得ようと努力したが、二人が仲良く士郎を納得させようとするからこそ、士郎は余計に男性を拒み、焦りを感じた。そして……士郎はついに決断すると、今まで自分が思っていた事を……実行に移してしまった。
深夜の暗がり、いつもなら寝ている時間だが、決断した士郎は深夜になっても眠気がまったく無かった。そして、そんな士郎が手にしているのは、先の尖った包丁。その包丁が夜の微かな明かりに冷たい光を放つ。それは母親がいつも台所で使っているやつだ。母一人、子一人の家族だから。士郎は言われるまでも無く、自然と母親の手伝いをしていた。だからこそ、士郎は台所に包丁があるのを知っていた。
士郎の手には余りある包丁だが、士郎はそれを手にし、静かに母親の寝室へと向かう。ゆっくりと寝室の襖を開ける士郎。そして時期が夏というのもあったのだろう。母親は薄いタオルケットを一枚だけ掛けて寝ていた。そんな母親に近づく士郎。それから、士郎はゆっくりと腹の辺りを跨ぐと、そのまま母親に乗っかる事無く、静かに包丁を上に上げる。
母親は未だに静かな寝息を立てている。そして……士郎は一気に包丁を振り下ろした。一回だけ、思いっきり振り下ろした事で、微かに飛び散る、赤よりも赤い、紅の血。けど、士郎は、そこで止まる事が出来なかった。狂ったように、何度も何度も包丁を振り下ろす士郎。その度に、母親の身体から吹き出た紅の血が自分を染めていく。
何で、何度も刺したかなんて自分でも分からない。ただ、母親を守るため、取り返すため、そして、他の家族と同じように、自分も父親と母親に大事にされたいと思ったからこそ、士郎は必至になって、やった事かもしれない。
死ぬ事で死んだ父親と同格にする。そんな歪んだ結論が、本能が何度も刺せと士郎に訴えたのかもしれない。母親の確実な死こそが、幼い士郎が導き出した答えなのだ。そして、今になっても、その時に何度刺したかなんて覚えてはいない。ただ、はっきりと思い出せるのは……母親を刺した時の感触と飛び散る血の温もり、赤よりも赤い、紅に染まっていく自分自身と母親。そして……最後には、母親の命を奪った、冷たい刃を紅で染め上げた包丁と、それを強く握り締めている紅に染まった自分自身の手……だけである。
残念というべきか、それとも必然というべきか、士郎は、その後の事もしっかりと思い出せる。動かなくなった母親。これで母親が永遠に自分のものになったという満足感。それと同時に、その後は、どうすれば良いかの戸惑いである。
だから士郎は、これから、どうするべきなのかはまったく分からなかった。だからこそ、士郎は母親に尋ねる。これから、どうしたら良いのかと。だが、睡眠時に何度も刺されたので、母親は目が覚める前に死んだようだ。そのため、母親の瞳は閉じたままだ。そんな母親を起こそうと、士郎は母親の身体をゆすって起こそうとする。当然、母親の瞳が開く事は無かった。当然と言えば当然である。
それから士郎は、まったく動かなくなった母親に何が出来るのか。それを考えると答えは簡単に出た。母親がおかしいのは確かだ。だったら病院に連れて行けば良い。けど、士郎が母親を運べるはずも無く。士郎は母親をそのままにして、部屋を出ると居間にある電話を手に取る。それからつたない言葉で救急車を何とか呼ぶ事が出来た。
それで一安心したのだろう。士郎は、そこからの記憶が薄れていた。いや、正確には把握できていなかったのだろう。それは、そうだ。救急車が家の前に止まると、出て来たのは紅の血に染まった士郎が未だに包丁を手にしている姿なのだから。
そんな士郎が救急隊員に訴える「お母さんが動かない」と。それから救急隊員の一人が士郎から包丁を取り上げ、それから士郎に怪我が無いかと尋ねてきたが、士郎は黙って首を縦に振るだけだった。それから、家の奥を見てきた救急隊員が寝室で血まみれになっている女性が居る事を報告。そうなると、これからは警察の分野だ。それに士郎が血まみれの包丁を手にしていたのも気になったのだろう。それから警察が来るまで、そんなに時間は要さなかった。
それから先は士郎も覚えていない。ただ、大人達が難しい話をしていて、近所の人達も何事かと深夜だというのに表に出てきて、そんな中で士郎は一時、警察に保護される事になった。
士郎が成長してから耳した話だが、当初は警察でも混乱したらしい。それは、そうだろう。何しろ九歳の子供が母親を殺したのだ。そのうえ、士郎から聞いた話は確実に精神が尋常では無い事を示していた。警察としては戸惑うのも当たり前だ。そして、士郎の口から決定的な言葉が口にされると、士郎の話を聞いていた警察官も驚きを見せたという。そう、士郎が母親を何度も刺したと……まあ、そんな事を、まだ子供の士郎から聞かされれば驚くのも当然だろう。
そのうえ、凶器は救急隊員が士郎から取り上げた包丁だと判明。そのうえ、その包丁からは士郎と母親の指紋しか検出されなかった。救急隊員からの当時の状況、血染めの士郎、凶器から出た指紋、更には士郎からの言葉。一応、警察は外部犯の可能性も考えて調査したが、何も出ては来なかった。当然と言えば当然である。そうなると警察も信じるしかなかったのだ、士郎が自分の母親を殺したという事実に。
まさか、こんな子供がと誰もが疑っただろう。だが、士郎の話から精神が異常なのは確かであり、周囲の話からも、士郎が異常な精神状態になってもおかしくないと判断された。そんな調査が行われ、士郎が殺人を起こした事が判明した。士郎も最初から自分が言っている通りだと主張していたので、士郎はその事に対しても平然としていた。
それから行われたのは欠席裁判である。まさか、こんな子供を被告人として裁判に立たせるワケにもいかないし。士郎が幼すぎる事もあり、事件は一時的に騒がれたものの、士郎の名前が表に出る事は決してなかった。
そして、欠席裁判での判決は有罪。士郎が少年院への入居が決められたのだ。なにしろ、士郎は幼すぎた。自分がやった事の意味すら分かっていない。ただ、子供らしい言い分だけで犯行を行っただけである。だから、少年院に入った士郎は、まず、自分が行った事を理解させられる事から始まった。
それからである。士郎がやっと、自分の行いが、どれだけ酷い事かを理解したのは。それを理解した時から始まったのである、士郎の犯行が想い出として形作られたのは。だからか、少年院に入って、理解した当初は、毎晩のように、その時の事が悪夢として夢で思い返されるようになった。
……酷かった。士郎は今でも、そう思っている。自分が行った事もそうだが、それが毎晩のように夢で思い出されるのである。つまり、毎晩のように母親を何度も殺しているのと同じだ。それを繰り返した結果。士郎は、母親を殺した時の事を鮮明に覚えており、今でも鮮明に思い出す事が出来るのである。
……赤よりも赤い、紅の想い出を……。
士郎が瞳を開けると、そこには、まだ見慣れていない天井が映った。そして天井を見詰めていると、やっと気が付いた。自分がいつの間にか眠っていた事を、しかも、少年院に入った当初と同じく、悪夢として記憶を蘇らせていた事を。その結果として、士郎の息は荒くなっており、全身からは汗が吹き出している。
そんな士郎が起き上がると、汗で肌にくっ付いてくるシャツの感触に嫌気を覚えながらも、ベットに腰を掛けると、先程の事を思う。
……久しぶりだな、あの時の事を思い出すなんて。……だ――――っ! これも全て、昼間にあんな事を思い出した所為だっ! あれが無ければ、あの時の事を夢で見る事なんてなかったのにっ! まったく、迷惑にもほどがあるっ!
勢いだけで、そんな事を思った士郎だが。士郎はすぐに立ち上がると、コップを手にとって再び冷蔵庫に向かうと、今度は冷やしてあったミネラルウォーターをコップに注ぐと一気に飲み干した。そして、士郎はコップを置くと、そのまま考え込む。
よく考えたら……俺、何もしてなかったよな。そんな事を思う士郎。冷えた水を飲んだからか、身体だけでなく、すっかり頭も冷やされたのだろう。先程までの怒りにも似た勢いが無くなり、今では氷のような、冷静な頭で考えてみる。
一応、少年院に入る事で……罪の償い、という事になってるけど。本当に……俺は罪を償ったのかな? 幼かったとはいえ、俺は自分の手で母さんを殺した。いろいろな人のおかげで、その事が表に出なかったから、普通に社会復帰が出来たけど……本当なら石をぶつけられても文句は言えないんだよな。けど、母さんを殺したのは事実だから……俺は……未だに母さんの墓参りにも行けない。どのツラ下げて行けば良いのか、俺にはまったく分からない。俺は……殺した母さんに対して……何をしたんだろう?
そんな事を考えてみるが、答えは簡単に出た。それはそうだろう、何しろ、士郎は最近まで少年院で過ごしていたのだ。そんな士郎が、自分で殺した母親に対して何かが出来るワケでは無い。いや、むしろ自分の事を考えるだけで精一杯だったのだろう。だからこそ、今になって、そんな事を考え出しても不思議では無い。けど、やっぱり、先程の悪夢が士郎に、そんな事を考えさせているのも確かだろう。
士郎にも、そんな実感があったのだろう。だからか、士郎はミネラルウォーターを冷蔵庫に戻すと、そのまま風呂場に向かった。さすがに汗でシャツが肌に張り付く感触が気持ち悪いのだろう。だからか、湯船に入らなくてもシャワーを浴びるだけでも気分転換になると思って、士郎は風呂場に向かうのだった。
それから数分後、士郎は風呂場から出てきた。身体は未だに熱を持っているが、服を着替えたために、先程のように気持ち悪い感触は無い。まあ、軽く汗を流してきただけである。それに……男の風呂なんて短いものである。だから士郎はシャワーで汗だけを流すと、さっさと身体を拭いて、風呂場から出てきたワケである。
そんな士郎が冷蔵庫の中からジュースを取り出すと、今度はコップに注いで、そのままワンルームの中心に置いてあるテーブルの上に置くと、ベットを背もたれにして、疲れたように溜息を付くのだった。
まあ、実際に疲れているわけではなく。さすがに、あの時の事をまたしても思い出したものだから疲労感が士郎を包み込んでいるのだろう。だからこそ、士郎はもう何も考えたくないと、とばかりに考える事を放棄して、身体中の力を抜いて、だらけるのであった。疲労感に包まれている士郎にとって、身体の力を抜いて、だらけるのは気持ち良いと感じるほどの心地良かった。
そんな心地良さを感じていると、士郎の頭は勝手に今日の事を最初から思い出している。福寿との出会い、いきなり事件に巻き込まれたかのように警察に囲まれ、最後には福寿の事務所でオカルトに近い話を信じさせられ、最後には夢でも思い出してしまった。
「今日は昔を振り返る日かよ」
誰に言うワケでもなく、士郎はそんなツッコミにも似た言葉を口にする。まあ、今日の出来事を振り返ってみれば、そんな日とも言えなくもない。それぐらい、今日一日で士郎は昔の事を何度も思い出している。そんな士郎が、ふと時計を見てみると、既に日付が変わっている時間だった。
だから、このまま寝てしまおうかと士郎は考えたが、先程まで寝ていたためか、すっかり目が覚めてしまった。だから今から寝る気分にもなれなかった。なら、気晴らしにゲームでもしようかと思ったが、そんな気分でもない事を知る。なら、どうしようかと、士郎は考えてみる。けれども、やっぱり思考は自然と福寿が言った言葉を考えてしまう。
決して忘れられない想い出……か。確かに、母さんを殺した事が、決して忘れられない想い出になってるんだろうな。そして、それを持っているからには、俺には残留思念が見え続ける。どうすれば良い? 母さんを殺した事、それは俺自身が決して忘れてはいけないと、ずっと覚えておかないといけない記憶だと思ってる。俺は……自分自身が犯した罪に対して何も償いをしていない。出来る事と言えば、その事を忘れない事だけだ。
そう、それこそが士郎が自らに課した贖罪。母親に対する罪滅ぼしの一環に過ぎない。ただ覚えているという事。それだけでも、士郎は母親に対して謝罪の気持ちを持ち続ける事が出来るのだし、それだけが母親に対して出来る事だからだ。
だが、それを忘れてしまっては? 確かに、それを忘れれば残留思念を見る事は無いだろう。そうすれば、残留思念について思い悩む必要は無い。後は普通に暮らせば良いだけだ。でも……そんな事をすれば士郎の中にある母親に対する思いはどうなる? 酷い事をしてしまったと覚えている記憶を消してしまえば、士郎はどうやって母親に謝れば良い? これから先、士郎はどうやって自分自身の罪を償い、母親への贖罪をどうすれば良い? 士郎に、そのような過去があるからこそ、今更になって全てを忘れたり、消したりする事は出来ないのだ。
だから、士郎に言わせれば、その想い出は、決して忘れられない想い出ではない、決して忘れてはいけない想い出なのだ。その想い出を持っている限り、士郎は母親に対して贖罪が出来るのだから。
……んっ?
と、そんな事を考えていると士郎は何かに気付いたようだ。だからこそ、士郎は気付いた事を考えてみる。
確か、福寿は決して忘れられない想い出を持っているからこそ、残留思念が見えるって言ってたよな。ちょっと待て……決して忘れられない想い出……それってつまり、別の言い方にも出来るんじゃないか? 決して忘れられない想い出、つまり、絶対に忘れる事が出来ない想い出……意味的には一緒じゃんっ!
そんな事を考えた士郎は自分のバカさ加減に頭を抱えたくなってきた。まあ、今日一日で、いろいろとあったからこそ、その点に気付かなくても仕方ないといえば仕方ないだろう。だからこそ、士郎は決して忘れられない想い出の意味を考えるのだった。
というか、福寿は話題がそれになると、俺に決して忘れられない想い出を思い出させて一気に話を進めたよな。それって……もしかして俺に決して忘れられない想い出が本当に意味をしている事を質問させないためじゃないのか? そもそも決して忘れられない想い出という言葉が出てきた時点で気づけよ俺。決して忘れられない、つまり、絶対に忘れる事が出来ない、忘れたり、消したりする事が出来ない想い出って意味だよなっ!
そんな結論を出す士郎。けど、士郎が考えたとおりの意味ならば、福寿の行動も納得が行くというものだ。福寿は士郎を想い出のステージに立たせる事で自分の話を信じさせようとした。もちろん、その一面を含んではいるだろう。けど、それだけとは限らない。他にも意味があり、その意味を悟らせないために、そのような事をしたと考えれば納得が行く。
更には、福寿はそこから一気に話を進めてきた。士郎が想い出のステージに立ったのを良い事に、すっかり心に余裕を無くした士郎に対して、二つの提案を示してきた。けど、考えようによっては、士郎に一つの話を信じさせて、自分が言っている事が真実であり、これから言う事も真実だと信じ込ませる事が出来る。更に士郎は想い出のステージに立った事で福寿の言葉を信じて、そのうえ心に余裕を無くしている。そんな状態の士郎に福寿は二つの道を示してきた。けど、その二つの道については正しいと確認をしたワケでは無い。むしろ、今になれば怪しいと言えるだろう。
そんな事を思い付いた士郎が更に思考を巡らす。
福寿は俺に残留思念が見えないようにする事が出来るって言ったよな……どうやって? 俺の中に決して忘れられない想い出、つまり絶対に忘れたり、消したりする事が出来ない想い出があるわけだ。残留思念を見る条件は、そんな想い出を持つ事。なら、残留思念を見えなくするためには、その条件を消せば良い。つまり、絶対に忘れたり、消したりする事が出来ない想い出を忘れさせる、または消す。思いっきり矛盾してるじゃないかっ! というか、今頃になって、そこに気が付くなんて、相当のバカなのか俺。……いやいや、考え込むと自分が本当にバカだと思えてしまうからやめよう。
そんな事を考えると、士郎はテーブルに置いてあったジュースを口にして、一度頭の中をリセットする。それでも害された気分が戻る事は無かった。
まあ、それも仕方ないといえば仕方ないだろう。そもそも、前提がおかしいのだ。福寿の言葉を借りれば、福寿は決して忘れられない想い出を持っている士郎に、決して忘れられない想い出を忘れさせる。そもそも決して忘れられないのだから、忘れる事なんて不可能なのだ。更に言えば、福寿はどうやって残留思念を見えなくする方法を示してはいない。つまり、現時点では、そんな方法が無い可能性がある、という考えを士郎は持ったのだ。
だからと言って否定は出来ない。なにしろ福寿は残留思念を見えなくする方法を示していないからには、その方法があるとも言える。つまり、今のところは不確定要素と言える事なのだ。だからこそ、士郎も一概に有るとも無いとも言えない状態なのだ。どちらにしても、福寿は、その点を明確に示さなかった。それだけは確かに言える事だ。
ならば、何故? という疑問が次に士郎の中に芽生えた。何故、福寿は、その点を明確に示さなかったのか。けど、士郎には何となく分かったような気がした。それが福寿の言葉にあったからだ。福寿は確かに言った。『じっくりと考えると良い』と、つまり福寿は士郎に考えさせたいのだろう。明確に示していない部分に、どんな答えで埋めるのか、どんな決断を下すのかを。
そんな事を考えていると、士郎はまたしても福寿の言った言葉を思い出していた。それは事務所に向かう前、福寿と出会った場所で福寿が言った言葉だ。士郎は、その言葉を自分なりに言い換えて口に出してみる。
「ここで出会ったのは、偶然か、必然かは俺次第。これからの事は俺が自分自身で決める事……だからか」
つまり福寿と出会った事、残留思念の事、そして……これからの事。そう、現時点では何も決まってはいない。福寿と出会ったのが偶然か必然か、残留思念について教えてもらった事を記憶するか忘れるか、そして、これからどちらを選ぶのか。それは、まだ決まってはいない。だが、一つだけ明確に分かっていることがある。
それは、福寿は全ての決断を、結論を下す権利を、全て士郎に任せたのだ。言い返れば、全部士郎が決めて良い事とも言えるだろう。福寿や誰かの意思を気にする事無く、自分が行きたい道を自分で決めて良いのだ。
だからと言って、そう易々と答えが出るわけではなかった。そこにもやっぱり、福寿が問い掛けてきた言葉が関係してくる。だからか、士郎は自分に問い掛けるように言葉を口に出すのだった。
「俺は、人の醜態を目にし、人の醜言を耳にする覚悟はあるのか?」
その問い掛けに対しては何て答えれば良いのかは未だに分っていない。そもそも、何で福寿が、その質問にこだわったかも分ってはいないのだ。けど、福寿は、この質問を何度と繰り返した。それはつまり、この問い掛けこそ一番重要だという事だろう。けど、士郎には、この質問が意味している事が分からなかった。
そもそも人の醜態とは? 人の醜言とは? そんな風に自分が福寿に問いたいぐらいだ。けど、士郎には何となくだが、察しは付いていた。けど、それから目を背けたい、そんな気持ちがあるのも確かだった。だからこそ、福寿は言ったのだ。
「覚悟はあるのか?」
言葉を口に出してみても何も分からなかった。ならば、目を背けている事、見たくはないものを見るしかない。そんな風に考えると士郎には何となくだが、少しだけ分かったような気がした。だからこそ、それについて考えてみる。
人の醜態、人の醜言、それはかつての俺だ。母さんを殺した時の……俺だ。幼い俺は子供の言い分で母さんを殺した。その時は、それが正しいと思ったから。でも、後になって気付かされた。それが、どれだけ酷い事かと。だから今なら思える、あの時に行ったのが人の醜態、あの時に心に思った事、言葉に出した事が人の醜言だと……。あぁ~、ははっ、もう笑うしかないな、確かに、あの時の俺は酷いほどに醜かっただろう。俺は……俺のように、行った、それを再び目にしてみ、耳にする覚悟があるのか?
そんな問い掛けをしてみたものの、答えは出なかった。自分が行った事ですら目を背けたいのに、人が行った事まで見ないといけないのか。そんな事を考えると気分が沈んでいくのを士郎は感じていた。だからこそ、士郎には分かったのだ。人の醜態を目にし、人の醜言を耳にした時に自分が平静はいられないと。
だから福寿は言ったのだろう。あまり進めはしないが、こっちに来る事も出来る、と。士郎は今になって、その言葉が意味している事が分かった。福寿は探偵を生業にしている、だから犯罪の残留思念を見る事が多い。つまり、福寿は何度も目にして耳にしているのだ。人の醜態と人の醜言を。福寿の助手になるという事は、士郎もそれらを目して耳にしなくてはいけない。それらに慣れなければいけない。だからこそ士郎は自分に問うてみる、自分にそんな事が出来るのか? と。
正直な気持ちを言えば嫌だ、の一言だろう。なら、もう一方の道。つまり、自分の中にある紅の記憶を消し去る事が出来るのか? そっちも嫌だと士郎はすぐに答えを出した。そうなると士郎は自分自身を笑いたくなってきた。自分がここまで我が侭だとは思わなかったし、今になって思い知らされた気がするからだ。
そんな気分を一蹴するために、士郎はテーブルに置かれたジュースを一気に飲み干した。冷たい感覚が喉を通り、頭を冷やしていくようだった。そんな士郎が一つの結論を導き出す。
このままだと堂々繰り、延々とループするだけじゃないか。
そう、士郎は自分の中にある紅の記憶を消す事は出来ない。消せば母親への想い、自分が犯した罪、そしてこれからの生き方を失ってしまいそうだったからだ。それからもう一つの道、人の醜態を目にし、人の醜言を耳にする覚悟があるわけじゃない。つまり士郎は、どちらも嫌だと拒絶し、どちらも選べない状態なのだ。だから考えれば考えるほど、同じ事を考えると分かったからだ。
ならばどうすれば良い? それが次に士郎が考えた事だった。道は二つ、紅の記憶を消すか、残留思念に関わるかの二択である。だが、どちらを選ぶにしても覚悟がいる。紅の記憶を消しても生きていけるのか? それとも人の醜態を目にし、人の醜言を耳にするのか? そのどちらかである。
紅の想い出。それは罪の記憶、母への贖罪、罪の償いという生き方そのもの。そんな紅の想い出を失っても、士郎はこれからを普通に生きていけるのか? そもそも自分が犯した罪を綺麗に忘れる事が出来るのか? 紅の想い出、赤より赤い想い出、それこそが今の士郎を形成しているのだ。それらを忘れて、士郎は何を基盤に生きていけば良いのか? そもそも、全てを忘れて許されるものなのか、自分自身を許せるのか?
ならば、もう一方。自分には人の醜態を目にし、人の醜言を耳にする覚悟があるのか? 残留思念が人の記憶ならば、置き去りにされた想い出を見るという事は、文字通りに犯罪を目にするのと同じだ。そんなものを見るだけの、聞くだけの、覚悟は有るのか? そもそも、そんな事に関わってどうなる? 人の醜態を目にし、人の醜言を耳にした後に何がある? それにどんな意味がある? 全ては記憶、つまり過去の出来事。そんなものを見て何が出来る?
どちらの道も疑問だらけである。それもそうだ、そもそも未来なんて不確定要素の枝である。起点から幾重にも不確定要素の枝があり、どれかを選ばないといけない。選択しだいでは枝は切り落とされる事もある。または花を咲かせる事もある。それは選んでみないと分からない事だ。だから疑問だらけの不確定要素なのは当たり前だと言えるだろう。
それでも士郎は選ばなければいけない。今の状態が悪影響なのは福寿によって示された。それに士郎は残留思念についても知ってしまった。あのまま知らなければ迷わなくて済んだだろう。けど、それは選択の先送りに過ぎない。残留思念が見えている限り、いつかは選ばなくてはいけないのだ。それが士郎の人生における分岐点とも言える事だから。
だから知ってしまったからには選ばないといけない。両方の道が嫌でも、必ずどちらかに進まないといけない。その結果なんて想像も出来ない。なら、今の状況で、今の位置で、どちらを選ぶべきか。それが今の士郎である。
先送りなんてしてはいられない、これは必ず出すべき答えなのだから。そう考えると、士郎は自然と自覚していた。自分が人生における分岐点に居る事を。ならば、どちらを選ぶか、いや、どちらを捨てるかとも言える。想い出を捨てて日常に戻るか、日常を捨てて想い出に関わる道を進むか。その二つである。
日常と想い出、普通なら共有できるものだが、今の士郎には共有が許されていない。それは士郎の中にある想い出が強すぎるのだ。強すぎる想い出は悪影響しか生み出さない。ならば、それを捨てるか、その悪影響に慣れるかのどちらかである。
だから福寿は言ったのだ。残留思念に慣れて、残留思念が見える事が普通に、日常になると。そんな事を考えている時だった。士郎はある事に気付いた。
「って! ちょっと待て!」
気付いた時のバカバカしさに士郎は誰も聞いてはいないのに声を上げてしまった。それから士郎は自らの頭を抱え込む。そんな士郎がこんな事を考えていた。
まったく、何なんだよ。今日ほど自分がバカだと感じた事は無いぞ。そもそも少年院では成績が良かったからな。って! それも違う! ここで大事なのは日常っていう点だろ! そもそも俺は少年院を出てから数ヶ月しか経ってない。つまり、日常といえる普通を得てはいない。つまり、未だに日常がどんなものか形勢されていないんじゃないか。言い返れば、残留思念に関わり、人の醜さ、犯罪を見る事を日常に出来る……って、事じゃないか! 確かに、あまり進められる事ではない。けど……俺は、その犯罪、もっとも重い罪を犯してる。
そこまで思考を進めると士郎は、またある一点に気付いた。
少年院の事や少年院を出た事で忘れてたけど、俺って犯罪者なんだよな。つまり、俺の中にある紅の想い出は犯罪の記憶。最も犯罪に近い位置に居るって事になる。そんな俺が作り出す日常ってなんだ? あ~、そんなのは決まってる、後悔とそれに連なる事じゃないか。つまり、俺の日常には常に過去の犯罪が関わってくる。過去に犯した罪を背負いながら進むしかないじゃないか。でも……贖罪、とまではいかないけど、少しでも罪を償う方法があるとしたら? 少年院を出たという形式じゃなく。自分自身で罪を償う方法があるとしたら。それはもしかしたら、人の醜態を目にし、人の醜言を耳にする事なのかもしれない。
そんな事を考えた士郎。まあ、士郎がそう考えるのも不思議ではないだろう。少年院を出た事で、士郎の罪は償われた。けど、それは法律上、もしくは社会のルールとしての形式に近い形での方法だ。士郎には未だに罪を償ったという実感は無いし、過去に犯罪を犯した意識があるからこそ、今でも想い出のステージに立てるほど、鮮明に紅の想い出を持っている。つまり、士郎の中では罪の清算が終わってはいないのだ。
なら、どうやって罪を清算すれば良い? それは二つの選択、その一方にあった。人の醜態を目にし、人の醜言を耳にする事で事件を解決に導ける。少なくとも、今日、福寿は紅の残留思念を見て、一つの事件を解決に導いた。士郎と同じ犯罪者を暴き、裁判に立たせる事が出来た。もし、それが士郎にも出来る事だとしたら。
探偵として人々の依頼をこなし、解決に導く事で依頼人を救う事が出来るのではないのか? どんな依頼でも、解決に導けば誰かを救う事が出来るんじゃないのか? 既に遅いかもしれないけど、隠されている事を白日の下に晒す事で誰かを救えるんじゃないか? そうした行為が……自分自身を許すための、贖罪への道なんじゃないのか?
士郎はそんな風に考えるようになっていた。確かに士郎は過去に犯罪を犯しているが、それは少年院で清算された。けど、それは法律や社会のルールであり、士郎は未だに自分自身を許す事が出来て無い。だからこそ、士郎はいつまでも紅の想い出を捨て去る事が出来ないし、母親の墓参りにも行けない。
そう考えると士郎は一つの答えを導き出す。人の醜態を、人の醜言を聞く覚悟を持って、依頼をこなす事で士郎は自分を許せるんじゃないのかと。そして、いつかは紅の想い出を抱えながらも、士郎は母親の墓参りに行けるんじゃないのか。福寿の下で働く事で、士郎は自分自身への贖罪が出来るのではないのかと考えていた。
そんな結論を出すと士郎は一つの決断と大きな覚悟を決める事が出来た。後は、その覚悟を持って、自ら決めた道を進むだけだ。紅の想い出を抱えながらも、自分自身を許せる、その日まで。