アトモスフェール
今日は娘夫婦が帰ってくる日だ。
ついこの前結婚したと思っていたんだが、双子の兄妹として生まれた二人の孫は、この春からは小学生になった。
お祖父ちゃんと呼ばれるのもまあ、なんだ。悪くはないもんだよ。
「そろそろゴミ燃しは切り上げて汗を流したら? そろそろ来るわよ」
「おいおい、来るのは昼過ぎだろう。ちょっと早くないか?」
「最後のサービスエリアを出発するって電話があったのよ」
「ほう? 盆休みの時期なのに、えらく順調に来たもんだなぁ」
あそこからなら、30分もあれば来るだろう。じゃあ、一段落しないとな。
「それにあなた、汗かいてるでしょ? ちびちゃんたちに嫌われるわよ」
「わかった。じゃあ、一服つけたら戻るよ」
母屋に帰る妻の背中を見ながら、煙草をくわえる。紫煙を燻らせながら、それなりに片付けの終わった栗畑を見渡してみた。
その一角にある畑からは、農協に出せるほどではないものの、買わなくてもいい程度には野菜がとれる。
今度は秋まきのジャガイモでも作ってみるか……
ぽんっ! と音を立てて火の粉が上がる。収穫しそこなった栗の実が爆ぜたか。
……去年は利平がよく取れたなあ。
こいつは、皮が厚くて剥きにくいのだ。売っているものに比べると、黒みがかったそれは、見た目が良くないので商品価値も低い。
そのうえ育てるのに手間がかかるので、最近では作る人も減っている。
だが、こいつは旨いんだ。
栗に限ったことではないが、大地からの恵みを実感するのに大切なことが3つある。
収穫する時期を間違えない事。
ちゃんと世話をしてやること。
食べすぎないこと。
ただそれだけの事だ。
そういや去年の夏は孫たちと、トウモロコシを食ったなぁ。
『収穫したら、すぐに茹でて、食べなきゃダメだ。30分も放っておいたら味が落ちて食えたもんじゃない……』
気が付いたら、俺も親父の言ってた事と同じ言葉を口にしてた。
子供たちは夢中になって食べていたが……
あいつらも、食べすぎで腹を壊したんだったなぁ。ははは、俺と一緒だ。
…… いかんいかん。一番の目的を忘れるところだった。
息子たちが帰ってくる前にこいつを処分しなくては……
懐から取り出したのは、一冊の大学ノートだった。
こいつを書き始めたのは中学生になったころだろうか……
1年というタイムリミットの中で、地球を救うために出撃した伝説の戦艦や、孫可愛さのあまりに、祖父が作り上げた無敵のロボット。
そんな世界に夢中になっていた平和な時代の産物だ。
いや、だからこそ誰にも見せる訳にはいかん。こういうモノこそ早々に灰にしておかんと色々とヤバい事になりそうだ……
しばらくノートが炎の中に消えてゆくさまを見ていたが、いつのまにか火の消えた煙草も放り込んだ。こういう時は両切り煙草は便利だ。とにかく臭くない。フィルターが燃える臭いというものは、悪臭の一言だからな。
「さて、そろそろ行くか」
吸殻をたき火に放り込んだ俺は、ゆっくり立ち上がると母屋に向かって歩き始めた。
……母屋に向かっていた筈なんだが……
歩いているうちに、奇妙なことに気が付いた。
栗畑と母屋の間には、何本かの巨木がある。爺さんが子供のころには生えていた2本の山桜をはじめ、樹齢は100年を下らない古木が何本か残っている。
市役所に気が付かれると、史跡だとか天然記念物とか煩いのだが……
山桜を回り込むと、母屋は目のま、え……
「おぉ?」
そこは廊下のような空間だった。
新幹線の車内から、椅子などの内装をすべて取り除いたような細長い空間だ。
壁も天井も、床さえもがプラスチックで覆われている。畑の中にあっても良いようなシロモノではない。
そして、この風景には何故か、見覚えがある。
「……見覚えというか『識って』いるんだよなぁ、ここ……」
そうだ。
俺の目の前にあるのは、決して現実にはあってはならない光景だからだ。
後ろを振り返ると、今までいたはずの畑は見えない。
扉の向こうにあるものは――おそらくは格納庫だ。そして、この先にあるのは……
――あれ? なんで俺は冷静? ここはパ二くる局面じゃないのか?
「ま、目が覚めたら病室、ってトコだろうな」
無意識のうちに口について出た言葉に、ふと安心してしまった俺がいる。
ああそうか。これは夢なのかもしれないな。
立ち上がろうとしたときに、ちょいと足元がふらついたような気がする。
日射病かなんか、ってところか。
じゃあ、とりあえず奥に進んでみるとしようか……
ええと、この先の隔壁を抜けたらトラベルチューブの駅があるはずだ。コムロックは腰にぶら下げて…… あったあった。
ようし、行ってみるとしようか……
◆ ◆ ◆
「おじーちゃーん! どこー?」
「おじーちゃん、どこにもいないよ?」
「案外と義父さん、近くのコンビニに行ってんじゃないか?」
「煙草を買いに行ったかもね。あれだけは自分で買いに行っていたから…」
栗畑の一角では、たき火の跡から一筋の煙がたなびいていた。