歌う少女、爪弾く少年
「あれ? 誰かいるや」
そこは学校の四階の隅にある第三音楽室。音楽室とは名ばかりのただの器材置場と化していて生徒と併せて先生も立ち寄ることはほとんどない。
だけど僕は授業が終わった放課後、週に数回、多くても三回はこの第三音楽室へと足を運んでいた。そしてそこにあるアコースティックギター、ドラム、大きなコントラバス、バイオリン、フルート、などを適当に触って遊んでいた。ただ僕がまともに弾けるのはアコースティックギターだけだ。今日も主にギターを弾いて遊ぼうと思っていた。
だが今日は珍しく先客がいるようだ。
第三音楽室は防音だが微かに音が漏れている。どうやらCDを流してそれに合わせて歌っているようだった。
小さな窓からそっと中を窺ってみた。肩より少し長い少し茶色がかった後ろ髪。前髪は黒いのに後ろ髪だけが微妙に茶色がかっている珍しいその後ろ姿には見覚えがあった。名前までは覚えていないが確か同学年の女子だ。同じクラスの友だちが学期の初めに三組に可愛い転校生が来たとかで騒いでいた。確かに何度か廊下ですれ違った時、彼女は回りかより一際目立つ整った顔立ちをしていた。
彼女の歌っている歌はビートルズのHEY JUDEだった。中学の時音楽の授業でやったが、好き好んでビートルズを歌うのは僕等ほどの年代では珍しいと思った。
中に入って声をかける勇気もないのでしかたなくその日はすぐに下校した。
次の日。
僕は再び第三音楽室に足を運んでいた。窓から中を窺ってみるも人がいる様子はなく、安心して中へ入った。
さて、今日は何を弾こうかなと丸椅子に座りながら考えた。
そういえば。昨日彼女が歌っていたHEY JUDEが頭をよぎった。確かビートルズの楽譜ならいくつか棚の中にあったはずだ。
埃のたまった棚を開けると予想通り埃が舞いあがり思わず咳こんだ。がさごそと目的のものがないかと探す事数十秒、すぐにそれは見つかった。
「どれどれ」
表示されているギターコードを別冊のギターコード表で確認しつつ楽譜全体を見回してみる。それほど難しくはなさそうだ。
「へい、じゅー」
Fコードを抑えながら軽く最初のさわり部分を歌ってみた
三十分ほど練習するとなんとか一番までは弾けるようになった。しかしまだ弾きながら歌う―――弾き語りは難しいな。
彼女はCDをかけながら歌っていたな。
辺りを見回してCDがないか探してみる。CDは見当たらなかったが古いコンポが目に入った。ビートルズのCDはその中にあった。『ザ・ビートルズ1』のアルバムだった。
早速二十一曲目のHEY JUDEを流した。ギターの音量に負けないくらいに音量を上げてポール・マッカートニーの歌声に合わせて僕はギターを弾いた。
それにしても長い曲だな。後半三分ほどはほとんど『ダダダーダー』しか言ってないけど。
再生も五回目ともなると歌詞カードを見ながらだけど僕は自然に歌えるようになっていた。ここは防音だからアコースティックギターの音ぐらいじゃ外には音は漏れないだろう。思いっきりギターをかき鳴らし、思いっきり声を張り上げて歌った。ああ、音楽はこんなにも気持ちのいいものだったのか。
その日は左手の握力がなくなるまで弾き続けた。
♪
「あれ? 誰かいる」
この学校に転校してきて早二週間。二年生の夏休み明け、高校生活の折り返し地点に親の都合で転校してきたこの私。まあなんとかクラスとも打ち解けてきて、遅れていた授業もなんとかおいついて順風満杯な転向生活(こんな言葉あるのかどうかしらないけど)なのだが、問題が一つ、放課後が暇だ!
仲のいい友達は皆部活動に所属していて放課後は一緒に過ごす友だちがいない。かといってこんな微妙な時期に部活に入るのもなんだか気後れした。バイト………、は校則で禁止されている。こっそりやってる子もいるって話だけど。
しかしやっぱり暇だ。
てなわけでちょっと失礼だけど、それほど活動に力を入れていない、入りやすい部活はないものかとあちこち遠目から見学して回った。
運動部はどこも掛け声をかけあったりして何処も真剣そのもの。次に回った文化部も意外に、なんて失礼だけど真剣にやっていた。最初入ろうと思った合唱部は全国に行くとかで気合入りまくりだし、演劇部はなんか自分が演技してるのなんて想像できなかったし、文芸部は苦手な活字の本ばっかりよんでたし、軽音楽部はなんかすごい髪型のすごい怖そうな人いたし、写真部は女の子いなかったしと、私が我儘なだけなのかもしれないけどすんなり入れそうな部活はなかった。
しかし先週、使われていない教室が多い四階の校舎を探索しているといい部屋を見つけた。そこがこの第三音楽室。
鍵もかかってなかったし古いけど良いコンポもマイクもアンプも置いてあった。もうその瞬間ここを私だけのたまり場に決めた。
一応防音みたいだし、好きな歌を好きなだけ歌おう。カラオケと違って一人で入りにくいわけでもないし無料だし。
第三音楽室を使用し始めて七回目、いままで四階でも人と鉢合わせになることがなかったのにどうやら今日は先に使用者がいる模様だ。
窓から堂々と中を覗いてみた。
私が昨日熱唱していたのと同じHEY JUDEを少年がギターを弾きながら歌っている。
「へえ。ギターうまい。歌は……普通だけど。もしかして軽音楽部の人かな?」
ものすごく楽しそうにしているので扉を開けて声をかけるのはためらわれた。そういえば私のCD勝手にかけてる。コンポに入れっぱなしにしておいた私が悪いのだけれど。
明日少し彼のことについて調べてみるか。そう思って取り敢えず今日は帰ることにした。
♪
「よ、蓑原。何シリアスな顔で自分の左手眺めてんだ?」
後ろから話しかけてきたのは同じクラスの束田伸彦。通称ノブ。
「いや、別になんでもないよ」
昨日ギターを弾きすぎたせいで指が少しひび割れていたのを見ていただけだ。
「そういや昨日何してたんだ? 部活終わって帰る途中お前みかけたぞ」
「本屋とかCD屋とか見て回ってただけだよ……」
「なんだ、つまらん」
ノブに嘘をつくのは多少心苦しいが第三音楽室のことは誰にも話したくなかった。だけど、もう一人にはばれてるんだよなあ。
あの転校生……、名前なんだっけ。
「汐見奏だ」
そうそう、汐見奏だった………! なぜノブに心が見透かされているんだ? 顔に出てた? どんな顔だよ。
「ほら、あこ」
「ん?」
教室の前の入口の方に汐見奏の姿があった。どうやら心を読んでいたわけではないようだ。当たり前か。
「何の用だろうな」
「さあ……」
クラスの女子数人と何なら話しているが一番後ろの僕達には何を話しているかはさっぱり聞こえない。
「おい、なんかこっち見てないか!?」
「気のせいだって……」
と言いつつ、クラスの彼女の周りのクラスの女子がちらちらとこちらを窺っているような気がしないでもないような。
やがて彼女は周りの女の子たちに手を振って教室を出るそぶりを見せた。しかし教室を出る直前、彼女はしっかりとこちらを見据え、その視線は確かに僕を捉えていたように思う。
「おい蓑原、今確かに汐見奏と目があったぞ! さては俺に気があるな」
「……だといいね」
たしかにノブは三年生が引退した後のサッカー部のキャプテンになり、実力もありそれなりに容貌もいいので結構もてる。放課後のグラウンドには見学している女生徒を時たま見かける。しかし今回ばかりは違うと思う。
「よし、何話してたかクラスの女子に聞いてこよう」
「やめろって。もう授業始まるぞ」
「大丈夫、大丈夫」
「おいっ!」
制止も聞かずノブはずんずん先ほど彼女の周りにいた女生徒へと歩み寄る。しかし到達す前に教室のドアが開き教師が入ってきた。クラスで立ち歩いていた生徒は慌てて自分の席へと戻った。ノブも軽く舌打ちしておとなしく戻ってきた。
いつも 眠気を誘う授業しかしない物理教師でも今回ばかりは少し感謝した。
「しかたない。昼休みだな」
ああ言っていたノブだったが、現在昼休み。
ノブは授業中爆睡していたせいか今朝のことはすっかり忘れている様だった。何事もなく弁当を食べて、トイレに行くといって教室を出て行った。
「ねえ、蓑原君」
「……何?」
話しかけてきたのは今朝汐見さんの周りにいた女生徒の一人の岬美代子さん。できれば来てほしくなかったがノブがいない間に来たことは幸いだった。やはり半分予想していたが今朝は僕のことで何やら話していたようだ。
「朝、汐見さんが蓑原君のこと訊いてきたけどなんかあったの?」
「いや、何もないと思うけど」
「ふーん。本当になんの心当たりもないの?」
「ないよ……。なんで僕のことなんて訊くのか汐見さんに訊かなかったの?」
「うん、なんかはぐらかされた」
「そう……」
「まあいいや、じゃね」
そう言って岬さんは女子のグループの輪の中へと戻って行った。
心当たりが全くない、というわけでもなかった。
僕と彼女の接点と言ったらあの第三音楽室意外にはない。昨日、もしくはそれ以前に僕が先に使っているところを彼女が見掛けたのかもしれない。一昨日僕がそうであったように。でもそれだけでわざわざ僕のクラスまで来るなんてすごい行動力だな。それとも僕の考えが消極的なだけかな。
♪
「ねえ、あの後ろの彼、名前なんて言うの?」
朝、私は一組の教室に来ていた。運よく唯一の一組にいる知り合いの岬さんが教室を覗いてすぐの所にいたので軽く挨拶してそう訊いた。
「背の高くて長髪の子? あれは束田でサッカー部のキャプテンだよ。……もしかして狙ってる?」
岬さんはにやにやしながらそう言ったが、軽く否定した。
「違う、違う。その横で座ってる前髪の長い子」
うん。確かに彼だ。第三音楽室でギターを弾いていたのは。
「蓑原修一? あいつがどうしたの?」
「ううん、別に……。彼、部活って何かやってる?」
「いやぁ、帰宅部だと思うよ。そんな話は聞いたことないし」
「ふーん」
いつの間にか周りを数人の女の子に囲まれていた。
もう二週間もたったのに転校生の私がそんなに珍しいのだろうか。名前も知らない彼女たちは矢継ぎ早に様々な質問を投げかけてくる。
もう用は済んだので慣れない違う教室からは早々と立ち去りたかったのだがどうもそうはいかないようだ。
暫くは適当に応えてきたがそろそろ疲れてきたので授業の準備があるからといって教室を出た。
放課後、私はいち早く教室を出て第三音楽室へと向かった。
昼休みにでも直接蓑原修一を訪ねてみようかとも思ったが、また囲まれてはやっかいだし変な噂をたてられたりしたら向こうにも迷惑だろう。だから先にここ、第三音楽室で彼を待ち構えることにした。
待つこと十五分。
まだ彼は現れない。
うん。どうせなら隠れて待とう。
入口からは死角になる木琴の下へ潜り込んだところで「なぜ隠れる?」と理性的な疑問が浮かんだがテンションに任せて無視した。
待つこと数分。彼が現れた。
少し顔を出して様子を窺う。
おどおどと周りを見回しながら部屋に入ってきた。誰もいないことを確認した彼は一息ついて丸椅子に座りギターを持った。Dコードをスローテンポでストローク。これは、リンダリンダ?
もういいかと思い私は躍り出た。
「やあ」
♪
「―――っ!」
誰もいないと思って入った第三音楽室。なのにいきなり誰かが後ろから声をかけてきた。あまりの驚きに声も出ずただ息を詰まらせた。椅子から転げ落ち、ギターも床に転がって部屋に鈍い音が響いた。
尻もちをつく僕の目の前に立っていたのは汐見さんだった。
驚かした向こうの方も呆気にとられたような表情をしている。僕のお時からが大げさだったからだろうか? そして、
「あはははははははっ」
咳を切ったようにお腹を抱えて笑い始めた。
「あははっ、驚きすぎでしょ! はははっ、何も椅子から落ちなくても」
まだ止まない彼女の笑い声。
取り敢えず僕は椅子に座り直し、居住まいを正した。
「何、してるの?」
落ち着きを見せた彼女に至極当然の疑問をぶつけた。
「いやいや、最初は普通に待ってたんだけどね。君が遅いから隠れて入ってきたときに驚かしてやろうという結論に」
僕が想像していた汐見さん像とはどこか違った。もっと凛としているイメージだったけど、お茶目というかなんというか。
「なんで、待ってたの?」
「この前ギター弾いてたでしょ。ここで」
「ああ、うん」
「勝手に私のCD使って」
「あれ汐見さんのだったの? ……ごめん」
「いやいや、別にいいんだけどね。私のこと知ってたの?」
「それは、まあ、うん」
「まあいいや。いつぐらいからここ使ってるの?」
あれ、いつだったかな。確か二年生になったばかりぐらいのときに見つけたから。
「今年度になってぐらいかな」
「じゃあ結構長いんだね。私はつい最近知ったんだけど……、私もここ使っていい? 毎日じゃなくていいから」
「僕も許可取ってるわけじゃないから。汐見さんの自由にしたらいいと思うよ」
「うーん、そういんじゃなくてさ、秘密基地って見つけた人のもんでしょ?」
なつかしい遊びだ。しかし女の子で秘密基地って……。
「それに、私が来るようになったら君はこなくなるんじゃない?」
「………」
確かにそうかもしれない。人見知りの僕には、そう親しくない人と顔を合わすのは苦手だ。気まずいのも嫌いだし。
「ねえ、じゃあいっしょにやらない?」
「……何を?」
「えーと、バンド? 二人でもバンドっていうのかな」
「一応B’zとかゆずとかは二人だね」
「うん、じゃあバンドだね。どう?」
どう? と、いきなりそんなこと言われても。だけど一人より二人で音を奏でる方がなんだか楽しそうだと思った。
僕は無言で頷いた。
「よし、決定!」
この瞬間僕の彼女だけのバンドが結成された。
♪
よしよし、うまくいった。
一人で歌うのもそれはそれでいいけど、ただCDに合わせて歌うだけじゃなんだか味気ない。やっぱり、生の伴奏が欲しかった。
でもあまり他の人にはこの場所を教えたくなかったし、女の子なら特に言い広められそうだし。
見たところ蓑原君は言っちゃ失礼だがあまり交友関係は広そうではない。その点ではこの場所を人に嗅ぎ付けられることはあまりないだろう。あとはギターがうまい。ルックスも良く見るとまあまあ。
「じゃあ、記念すべき第一回の練習と行きますか。HEY JUDE弾けたよね」
「うん」
彼は確かめるようにギターの弦を抑えながらうなずいた。
「ではいきましょう」
私はいつも通りマイクをアンプにつないだ。あーあー、と軽く声を出してみる。視線を彼に向けて「いくよ」と合図をした。
私の歌いだしと共にアコースティックギターのクリーンな音が部屋に響いた。初めてにしてはつまることなく音が合っている。
気持ちいい。
やはりCDに合わせて歌うのとでは何かが違う。
最後の繰り返し部分は少し省略して桐の良い所で曲を終わらせた。
私たちは顔を見合わせて笑った。彼も些か高揚しているようだ。
「初めてにしては結構いいんじゃない?」
「そうだね。人と合わせたのは初めてだからよくわからないけど」
「いやいや良かったと思うよ私は。ただちょっとギターの音小さくない?」
「うーん、確かにちょっと小さいかも」
私はアンプを使っているからそれなりに音量が出せるが、生の音だけのアコースティックギターでは限界があった。
「エレキとか持ってないの?」
「持ってない……。家にもアコギしか……」
「うーん、ギターは高いしなあ……、そうだエレアコに改造とかできないの?」
「ああ、アコギ用のピックアップなら安い奴も売ってると思うけど」
「よし、買いに行こうか」
私は立ちあがりそう言った。
「い、今から」
「思い立ったが吉日、何か予定あるの?」
「いや、別に……」
「じゃあいこー」
私はすぐ支度を整え彼をせかした。
♪
「ちょっと待ってよ……」
本当に唐突だな汐見さんは。いきなりバンド結成させられるわ、今から楽器屋に行こうというわ。
ああ、もう身支度済ましてるし。なんて行動が早いんだ。
「さあ、急いだ急いだ」
急かすのでできる限り迅速に支度をすました。
「よし、行こうか」
準備が終わった僕を見て汐見さんはすぐさま部屋を出て行った。僕は急いでそのあとに続いた。
「……なんで後ろ歩いてるの?」
僕は汐見さんの一歩後ろを歩いていた。
「いや、特に理由は……」
「横歩きなよ。話しにくいし」
「……」
僕は無言で彼女の横まで進んだ。
校舎の中には人が少なくてよかった。同じクラスの誰かに見られたらまた囃したてられるに違いない。
「えーと、蓑原君。楽器屋って遠い?」
「知らないの?」
「うん」
「駅の方向に自転車で十分ぐらいだけど。汐見さんは自転車?」
「ううん、バス」
「じゃあ、どうしようか……」
「歩いていこ。二十分ぐらいで着くでしょ。なんなら私走るけど?」
「いや、歩きでいいです」
そうして僕たちは学校を出て歩き始めた。
女の子と横に並んで歩くなんて、かなり久しい……、もしかしたら初めてかもしれない。
「それ、ニルヴァーナだっけ?」
「え?」
一瞬何を言われているのか理解できなかったが、彼女の視線が僕のメッセンジャーバックに向けられていて合点がいった。
「うん、ニルヴァーナのマークだよ」
僕のメッセンジャーバックには目がバツになっているスマイルマーク―――ニルヴァーナのマークの缶バッチが付けられていた。
「好きなの?」
「うん。そんなに曲しらないけど」
「ふーん……、そうだ! 名前決めないとね」
バンド名? と言おうとしたが、どうやら違ったらしい。
「呼び名! なんかバンドのアーティストってローマ字でHIROとかNAOKIとかGacktとか格好いいのがあるじゃない」
「そうだね……」
ガクトはどうなんだろう……。
「私は奏だから……、KANADEね。
「英語にしただけ?」
間髪いれず僕は突っ込んだ。
「いいの、いいの。KANAってなんかいそうだし。で、蓑原君は……、名前なんだっけ?」
「修一、だけど」
「うむ、じゃあSYUだね」
SYUのほうがいそうだけど……。
「これからは互いにそう呼び合うこと」
「えぇっ!」
「わかった?」
凄味のある眼で睨まれては黙って頷くしかなかった。
「よしよし」
そんなことを話しているうちに楽器屋に到着した。
目的のもの、アコギ用のピックアップは案外すぐに見つかった。結構種類があり数千円から五万円近くするものもありピン切りだ。
「そもそもピックアップって何?」
品物を眺めていた汐見さん………カナデが徐に呟いた。
「ギターの弦の振動を電気信号に変えるもので主な種類はシングルコイルやハムバッカ―があって―――」
「あーもういい、もういい。で、どれがいいの?」
「それは高やつのほうがいいと思うけど、そんなにお金ないし……」
「んー、じゃあこれ」
カナデはそう言って適当に一つ手に取った。価格は3980円。何とかぎりぎり買える。ギターに穴をあけたりする必要はなく、ただサウンドホールに取りつけるだけでいいものだった。
「じゃあ買ってくるね」
「あ、はい」
カナデは財布から二千円取り出し僕に差し出した。
「え、でも。僕の楽器だし」
「学校のでしょ。それに二人にとって必要なものだから」
そう言って強引に僕の手の中に押し付けた。
仕方なく受け取って手短にレジを済ました。
「ん」
「ん?」
カナデが手を突き出していた。
「十円」
しっかり公平だった。
「あっ……」
「どしたの?」
「いや、なんでも」
僕は重大なことに気付いた。
ピックアップだけでは音が出ない。アンプにつなぐシールドも買わないと。
一旦学校に帰ってカナデと別れた後、僕は再び楽器屋に訪れてシールドを購入した。
情けない……。
♪
「や、シュウ。さて、行こうか」
放課後、私は早くピックアップとやらを付けたアコースティックギターの音を聴きたくて一組までシュウを呼びに来た。
「汐見さん……」
「んん?」
睨みを利かして言葉を制した。
まったく、KANADEと呼べと言っておいたのに。
「わざわざ来なくても……」
「なんで?」
「目立つから」
そういえば教室が何やらざわついている様にも思う。
放課後なので教室には普段の半分ほどの生徒。そして教室に入る時もさりげなく入ったつもりだったけど、はて、何か目立つことをしただろうか。
転校生にしたってもう一月以上たったのに。この教室だけが順応が遅いのかな。
「まいいや、いこいこ」
シュウを急かして第三音楽室へと二人して向かった。
シュウは早速昨日購入したピックアップを取り出してギターへの取り付け作業を開始した。何やらギターに開いている丸い穴の所に長方形の板を取り付けている。
「そんなんで音出るの?」
「うん、大丈夫」
板に続いていたコードを裏に回してその先をギターの下の付き出ている所に固定した。
そして鞄から黒い線を取り出した。
「何それ?」
「ん? シールド。ギターとアンプを繋ぐ線」
「へー、いつ買ったの?」
「家に、あったから……」
「そう、よかった、よかった」
私ってば楽器のことさっぱりだなあ。やっぱり少しぐらいは知っておいたほうがいいのだろうか。今度シュウに色々教えてもらおう。詳しそうだし。
「準備オーケー?」
「うん」
シュウがギターを軽く叩いてカウントをとる。
そのテンポに合わせて私は歌いだした。
最初は『HEY JUDE』いつのまにかそれが暗黙の了解になっていた。
少しざらついているけどギターの音がしっかりときこえる。思いっきり声を出してもギターが潰れない。うん、あのピックアップと言うものを買ったのは正解だった。
歌い終わった後はいつもより声を出したせいか軽く息切れした。
「いいね、ピックアップ」
「そうだね。ちょっと音が悪いけど」
「そう?」
「生の音に比べるとちょっとね」
「確かにちょっとざらついた感じがするね」
「まあ、それほど高い奴じゃないから」
「でも十分、十分」
シュウが立ちあがりアンプやスピーカーの周りを見回っている。
「どしたの?」
「イコライザーないかなと思って」
「イコライザー?」
「音の低音、中音、高音の設定というか、整えるというか……。ギター用とかのアンプにはついてるけど、これにはないみたい」
「ふーん」
よくわかんない。
その後、次の新しい曲をやろうということになり、私とシュウは楽譜を漁り始めた。
「何か良いのある?」
「うーん、合唱曲とか童謡とかばっかだね。それとなぜかビートルズがたくさん」
結局またビートルズをすることにした。
私の持っているCD、『ビートルズ1』の中の『ALL YOU NEED IS LOVE(愛こそは全て)』に決まった。CMとかでも良く流れているので親しみのなる曲だった。
原曲を聴いてみて初めて気がついたけどこの曲にはほとんどギター使われていなかった。
「これどうやって弾くの?」
「まあ、コードなぞるだけになるね」
「コード?」
「ほらこのGとかCとか」
シュウはそう言って楽譜を指さした。
確かにそこにはローマ字のGやらCやらが記されてあった。ただそれだけじゃなくAm7やCmaj7があった。……なんだこれは。
「それはコードってことは分かったけど……コードって何?」
恥ずかしげに私は訊いた。
「和音のことだよ。Cならドミソ、Fならファラドとか」
「その横に着いてるmとかは?」
「それは種類がたくさんあって僕も全部覚えてないけど、例えばCmならドミソの真ん中のミの音を半音下げるって意味。読み方はシーマイナー。日本語で言うと短三和音だったかな」
「はあ……」
音楽ってやっぱ難しいみたい……。
音楽講座はこれぐらいにして私たちはそれぞれ数十分の個人練習に入った。
私はただひたすら歌詞を見ながら原曲を聴くだけ。シュウは違う本と見比べながらいかにも『練習』という練習をしていた。
やく二十分後、個人練習もそこそこに早速合わせることにした。
始めはCDをかけながら、やがてCDは消してギターと歌だけで。
それは原曲とはまったくイメージが違う『ALL YOU NEED IS LOVE(愛こそは全て)』だった。
―――作れないものは作れない。救えない人は救えない。
―――君は無力だ。
―――だけど今にも自分らしさを知ることができるさ。
―――愛こそは全て。
ギターと歌だけのせいか、私の歌い方のせいか、原曲の明るい感じと打って変わってどこか物悲しく聞こえるのは私だけだろうか。
歌い終わった後、『HEY JUDE』のときとはどこか違う達成感と興奮があった。
♪
それから数週間、彼女との部活動? は続いた。
僕とカナデはほとんど毎日、授業が終わり放課後になると第三音楽室に足を運んでいた。カナデは最初以来僕を呼びに教室に来ることはなくなった。僕が頼んだせいもあるし自分でも目立つと感じたのかもしれない。
第三音楽室に先に来るのはもっぱら僕の方がさきだった。カナデは女子との付き合いとかで色々あるだろからいつもたいてい十五分から三十分は遅れてくる。
今日もまた、僕の方が先についた。
木琴の上には今までコピーした曲の楽譜が積み重ねてある。
今までだいたい一日一曲のペースで曲をコピーしてきた。
棚の中にあったビートルズの曲はもう全部コピーした。だから、シャボン玉、仰げば尊し、などの童謡や翼をください、風になりたい、などの合唱曲にもチャレンジした。
プロではないので歌のうまい下手なんて明確に判断できるわけではないけど。少なくとも彼女はうまい部類に入るだろう。
ただ一言にうまいといっても、彼女の歌にはどこか人を惹きつけるところがある。時にはか細く透明感のある歌声、時には活発で力強く。冷たい悲しみに満ちた歌い方、喜びに満ち溢れた歌い方、暖かく人を包み込むような歌い方。彼女は様々な色を見せる。
以前彼女が、
「ねえ、もう一回いい?」
「え? うん」
その日もビートルズをコピーしていた。曲は『From Me To You』。ジョンとポールがバスでの移動中に暇つぶしに作った曲とのこと。そのせいかどうかは分からないが二分にも満たない短い曲だ。
―――dadada-dadada-da-da-
と彼女が歌い始める。
思わずストロークが止まりそうになった。
先ほど歌った『From Me To You』は原曲と似た雰囲気の明るい感じだった。
しかし今はどうだ。
悲しみや憂いが入り混じった寂しげな声というより空気。
音程が違うわけではない、それでも一曲目とは180度違う曲になっていた。
ギターの方も彼女に合わせてセブンスコードを織り交ぜたりと悲しげなイメージにした方がより一層様になっただろうが残念ながらそこまでの器量を僕は持ち合わせていなかった。
「どう?」
歌い終わった彼女が言った。
「すごいね。同じ曲でも歌い方一つでここまで変わるんだね」
僕はすぐさま賛辞を述べた。
「えへへ……」
彼女は嬉しそうに頬を少し染めた。
そんな騙し打ちの様な笑顔に僕の頬も熱を持った、だから俯いて長い前髪で隠した。
「や、ごめん、ごめん」
そんな頃、彼女がやってきた。
「や、少し遅かったね」
「いやー、友だちにカラオケ行こうって誘われてさ」
「たまには友だちに付き合ったほうがいいんじゃない?」
「んー、でもここで歌ってた方が楽しいしさ。でも休日とかはちゃんと友だちとも遊んでるよ」
「そ、そう……」
友だちと行くより此処にいた方がいいとか、そんなこと言われると嬉しいやらこそばゆいやら。
「それで、今日は何やる?」
「此処にある楽譜はもうほとんどやり尽くしたね……」
伽藍堂になった棚を見て溜め息をつく。
「何か楽譜なしでも弾ける曲ある?」
「……ブルーハーツなら少し」
「また古いアーティストを……。私たちの両親の世代じゃん」
「ビートルズと同じく父さんの影響で」
「かくいう私も親の影響なんだけどね」
ビートルズ、ブルーハーツ、僕達と同じ世代では名前こそ知っていても彼らについて詳しい人、ましてや好きと言う人はあまりいないだろう。
そう考えるとカナデとの出会いは運命的なものかもしれない。
「ねえ、何弾ける? やっぱブール―ハーツと言えばリンダリンダ? 個人的には青空が好きなんだけど」
「両方いけるよ。青空のソロ部分は少し微妙だけど」
「私も歌詞うろ覚え。ちょっと調べる」
そう言ってカナデは自分の携帯電話で歌詞を調べ始めた。
僕もどんな感じの曲だったから思い返す。
「よし、いいよー」
「うん。こっちも」
「じゃあ、まずリンダリンダからいこうか」
僕はゆっくりとDコードを鳴らし始めた。
五回目のストロークからカナデの歌がゆっくりと入ってくる。
最初のメロディが終わりサビに入る。
そこから一気にテンポを上げ、弦を盛大にかき鳴らした。
彼女の歌も悲しげな雰囲気から一気に反旗を翻すような爆発的な声を出す。
僕も一緒になって叫んだ。
―――リンダリンダリンダー。
それに気付いた彼女が僕の口にマイクを当てた。目が合い彼女は「歌ってしまえ」と言っていた。余りうまくはないけれど僕は思いっきり歌った。
彼女も一緒になって歌った。
すぐ横にカナデの顔があった。
二人とも顔が赤いのはきっとのっているから
―――愛の意味を知ってください。
甲本ヒロトの言葉には不思議な力があると思う。実際にブルーハーツの詩は文学的にも高く評価されていると聞いたことがある。
続いて青空を歌った。
次は静かにゆったりと。
途中アルペジオを混ぜたりした。
窓の外はもう日が傾きかけ、空を茜色に染まろうとしていた。だけど僕と彼女にとってはまぶしいほどの青空だった。
「ふーっ。最高!」
歌い終わった彼女が歓喜の声を上げた。
「やっぱカラオケなんかより生の音だね」
「僕はカラオケ行ったことないからわかんないけど」
「え? ないの? カラオケはまあ、カラオケで楽しいよ。今度行こうよ」
「え……」
いきなりの誘いに固まってしまった。
「何? カラオケ嫌い?」
「いや、人前で歌うのとか、恥ずかしいから……」
「さっき歌ってたじゃん」
「それはカナデだから」
「え……、ええと」
あれ、なんか変なこと言ったかな。
「じゃあ今度二人でいこ。それなら大丈夫なんでしょ?」
「……うん」
「よし決定。じゃあ今週の土曜日ね。って明日だね。今日金曜日だからね。集合場所は……学校でいいや。わかった? 学校ね。あ、一時で。それでは」
カナデは一気にそう捲し立てて部屋から出て行った。
「うん……」
誰にともなく返事した。
♪
それにしてもこの間のカラオケは楽しかった。いろんな意味で。
シュウときたら会うなりいきなり顔を赤くして目をそらしたりなんてして。そんなに私の私服が可愛かったとか。……下はジーンズに上は地味な黒いパーカーだったけど。
カラオケボックスに入ってからも最初は私の歌うのを聴いているばかりで全然歌おうとしなかったし、無理やりマイクを持たしても声が全然出ていなかった。まあ初めてじゃ仕方ないと思うけど。
それでも最後の方になると緊張も解けてきたのかそれなりに歌えていたと思う。
改めてシュウの歌を聴いてみたらそれほど下手ってわけでもなかった。点数も90点前後出していたし。前聴いた時はギターと一緒に歌っていたからかな。
カラオケの後は牛丼を一緒に食べた。私の要望だ。
やっぱ一人とか女の子同士だと入りにくい雰囲気があるからね。
男の子はもっと食べるイメージがあったけどシュウは私と同じ牛丼並だった。それでもうお腹一杯だと言っていたが、正直私はもう一杯ぐらい行けたように思う……。
そんな、楽しい週末のことを思い返しながら楽しく登校していたが、
「ねえ君」
階段の踊り場に差し掛かったあたりでいきなり後ろから声を掛けられた。
「はい?」
ハスキーな声の持ち主。
誰かなと思い振り返ると一瞬他校生? と見間違えるほど制服を着崩した女生徒。とても私と同じ制服には見えなかった。そして、それだけでなく髪は茶色に染められていて、さらに赤とオレンジのメッシュが入っているというなんとも派手な風貌だった。
「な、なんですか?」
タイの色からなんとか三年生と判別できた。
「君、ライブでない?」
「はい?」
ライブですと?
「まあ、こんな所じゃなんだし、朝で時間ないから昼休みに詳しいこと話すよ。場所は……、そうだね、第二音楽室にでもしようか」
「はあ、わかりました」
「うん、ありがと。三じゃなくて二、だからね」
そんな意味深な台詞を残して、派手な三年生の先輩は去って行った。
それにしても、とくあの格好で先生達にとやかく言われないものだ。
私の髪の毛も一部色が違うけど、一応地毛なのに。そのせいで目立つのかな。いっそ全部同じ色に染めようかな。
昼休み。
私は先輩に言われた通りに第二音楽室へと向かった。
「やあ」
扉を開けると既に先輩は来ていた。
彼女の膝の上には髪の毛と同じ色の赤いギターがあった。確かあの形はテレキャスターって名前だったはず。そしてギターから伸びたコードはアンプに繋がれていた。
「では、挨拶代りに」
そう言って先輩はピックを手に取りギターを弾き始めた。
彼女の指がギターの指版の上でものすごい動きを見せていた。それに合わせてピックも高速で動きまわる。
壮絶なギターソロだった。
「知ってる?」
弾き終わった彼女はさらりとそう言った。
「ディープパープル……」
私はこの曲を知っていた。またしても父の影響で。
「え? 知ってたの? いまどきの若い子には珍しい」
気分を良くした彼女は再びギターを手に取った。
「じゃあこれは」
「ハイウェイスター」
「これ」
「ブラックナイト」
「これ」
「スモークオンザウォーター」
これは有名な曲だ。
いずれも家にあるベスト盤に入っていた曲なので難なく応えることができた。
「おっと、こんな本題はこんなんじゃなくて。来月の終わりに学園祭があることは知ってるよね?」
「ええ、一応。……今年転校してきたんでどんなものなのかは、いまいち」
「へえ、そうなんだ。うちの学園祭の目玉の一つが我が軽音楽部のライブなんだけど、今年は新入生が全然入らなかったんだよね。部室―――ここに入部希望に来たと思ったらすぐ帰っちゃうし」
……その格好のせいなんじゃ。
「で、今は私たちのバンド一つしかないのよ。さすがに一組だけじゃきついからさ。それで、君達に出てもらえないかって話」
「なんで、知ってるんです?」
「ん? 君達のこと? 結構前から知ってるよ。第三音楽室はときたま立ち寄るからね」
「そうなんですか」
まさかばれていようとは。
それにしてもライブかあ。
人前で歌うことなんて考えたことも無かったな。
「こっそり聴いてた時あったけど、結構うまいと思うよ。アコースティックとボーカルだけってのも私たちのバンドとは真逆で新鮮だし。どう?」
「少し考えさせてください。相方とも相談してみます」
そう言って私はその場を後にした。
考えさせてくださいとは言ったものの心はライブに出る方向に傾いていた。
狭い部屋の中ではなくもっと大きな場所で、大きな音で歌える。それはいったいどんな感じなのか。そして観客がいるとはどんな感じなのか。その感覚を味わってみたくなった。
♪
「ねえ、ライブでない?」
部屋にはいってくるなりカナデがそう言った。
「……ライブ?」
「そ、ライブ。来月に学園祭あるんでしょ? それの軽音楽部のライブに出ないかっていわれたの。出演バンドが足りないらしくてさ」
「それって、もちろん人前で演奏するんだよね」
「そりゃあ、もちろん」
「………」
正直に言って、あまり出たくないなあ。
授業中当てられて、発表するときでさえかなり緊張するのに……。人前で演奏なんて………、それも軽音楽部のライブと言えば毎年ほとんどの生徒、そして外から来るお客さんで埋め尽くされていた記憶が。
そんな大勢の聴衆がいるなかでまともな演奏なんてできる気がしない。まともに立てる気さえしなかった。
「………そんなに嫌?」
よほど顔に出ていたのだろうか、カナデが明らかに残念そうな声音でいった。
「知っての通り内気で、あがり症だから……」
「でも、折角ここでこんなに練習してそれなりにうまくなったと思うから、誰かに聴かせてみたいとは思わない?」
確かに、始めの頃と比べたら僕等は格段にうまくなったと思う。
特にカナデの歌はすごい。
だけど僕のギターはどうだろうか。彼女の歌の様に特別な物などなんにもないんじゃないか。
「少し、考えさせて」
「うん、わかった」
その日は気まずい雰囲気のまま二、三曲やって解散した。いつものような楽しさは余りなかった。
家に帰り、ベッドに横になりながら僕は考えた。
ライブ。
人前での演奏。
考えただけで冷や汗が出そうだ。
だけど逆に、彼女の言う通りに今までの成果を誰かに見てもらいたい、認めて貰いたいって気持ちも少なからずある。
特に彼女の歌はもっと人に認められるべきだと思う。狭い部室の中で僕だけに聴かせて、燻らせておくのはもったいない。
しかし人前でやるのは……。
ふと、昔を思い出した。
小学校低学年のとき、音楽の授業でリコーダーのテストがあった。前日、僕は必死で練習して淀みなく一曲演奏できるようになった。そして翌日、僕の順番は二番目だった。最初の方だったので皆も真剣に聴いていた。大して緊張もせず弾き始め、途中までは滑らかに淀みなく弾いていた。だけど途中で一音だけ間違えた。そのとき、「くすっ」と誰かが僕のことを嗤った『様な気がした』。はっきりしたものでなく、ただの空耳だったのかもしれない。でもそのせいで後半の演奏はめちゃくちゃだった。そして演奏が終わった後、僕を嗤う声は多数で、明らかなものへとなっていた。
思えばそのできごとがあってから僕は引っ込み思案になったように思う。
「ん?」
机の上の携帯電話が震えた。
カナデからだった。
『本当に嫌なら無理しなくてもいいからね。二人で弾いて歌ってるだけでも楽しいし^^』
………出よう、ライブに。
嗤われたっていいさ、恥をかいたっていいさ。
今度は一人じゃない。
『出るよ。ライブ』
そう打ち込んで送信しようと思ったが、止めた。
僕は意を決してカナデに電話をかけた。初めてのことだ。
「もしもし?」
「夜遅くにごめん。ライブ、出ようと思うんだ」
「ほんと? 嫌々じゃない?」
「うん。やっぱ練習したなら披露しないとね」
「ありがと! そうときまればまた明日から練習しないとね。あ、曲も決めなきゃ。後一カ月しかないからね。ほんと、ありがと、愛してる!」
最後のは、何と言うか、言葉の綾だろう。そう思い気にせずに、
「うん。またあし―――」
電話は切れていた。
ライブに出ることに決まって緊張が高まった。でも晴れ晴れした気分だった。
次の日のカナデは見る限りの上機嫌だった。ライブまでもう一カ月を切っていたので早速二人で話し合った。
「時間はどれぐらいあるの?」
「三十、ないし四十分ぐらいあるらしいよ」
「結構時間あるんだね」
「そうだね。何曲ぐらいできるかな?」
「一曲四分としても多くて十曲。その間MCとか挟むとして……、七曲ぐらいはできるんじゃないかな」
「MC……、ああ、おしゃべりね」
僕は全く喋らない―――喋れないからその部分はカナデにすべて任せよう。
「それでは、一番重要な曲のほうを決めて行きましょうか」
「そうだね」
楽譜の入った棚を掘り返してみたが、やはり真新しい物は見つからない。
「やっぱ皆が知ってる曲の方が聴いてくれるほうも楽しいよね」
「かといってこの中で皆が知ってそうなのは合唱曲ぐらいだね」
「合唱曲ばかり聴いてもね……」
僕等は楽譜とにらみ合いを続けながら思案を続けた。
結局既存の楽譜の中から決まった曲は合唱曲の『翼をください』、そしてビートルズの『Help!』になった。『翼をください』は合唱曲の中でもかなり有名な方だろう、『Help!』はあのテレビ番組、『開運!なんでも鑑定団』のオープニングテーマなのに使われているので知っている人も多いだろうということで決まった。
♪
各自二、三曲は何かいい曲ないか探してくるということで解散した。そして私は今ネットを駆使してアコギとボーカルだけでできる曲はないものかとマウスをカチカチと鳴らしていた。
結構ネットの中にも楽譜は見つけることができた。
そしてその曲がどんなものかとYouTubeで視聴したりした。
「ふむ……」
パソコンに向かうこと一時間弱。取り敢えず数曲良いと思えるものが見つかった。
GO!GO7188の『こいのうた』。相川七瀬の『夢見る少女じゃいられない』。高橋洋子の『残酷な天使のテーゼ』かの有名なアニメ、エヴァンゲリオンの曲だ。
どの曲にもアコースティックギターは使われてはいないけど頑張ればアレンジできそうな気がする。できるかどうか明日シュウに訊いてみよう。
そして。
やはり他人の曲ばかりではなく自分達だけのオリジナルの曲をやってみたい。
もちろん曲なんて作ったことないし、できたとしても完成度はそれほどでもないかもしれない。それでもやはり自分達の曲と言える曲をやってみたい。作りたい。
そのことも含め明日シュウと相談しよう。
翌日。
「オリジナル?」
「そそ、一曲ぐらいさ、他人の曲じゃなくて私達の曲やろうよ」
「曲作ったことは?」
「ないよ」
「作詞したことは?」
「ないよ。でも詩なら作れるかも。というわけで曲の方はよろしく」
「…………」
シュウは何やら渋い顔をした。
オリジナルの話は一段落し、次は選曲のほうへ話しは移行した。
「どお? アコギでもいけそう?」
昨日調べた曲をシュウに提示してみた。
「うん。イメージはがらりと変わると思うけど、できると思うよ」
「で、シュウは? 何かいい曲あった?」
「うーん、一応調べてきたけど」
シュウの提示した曲は、モンゴル800の『小さな恋の歌』、森山直太朗の『さくら』、そして以前やったブルーハーツの『リンダリンダ』。
「うん、まあいいんじゃない」
「でも全部するとなると少し多いかな」
「確かに……、オリジナルも入れなきゃいけないし」
「本当に作るの……?」
「おうよ」
結局決まった曲はこうなった。
合唱曲、『翼をください』、ビートルズの『Help!』、GO!GO7188の『こいのうた』、高橋洋子の『残酷な天使のテーゼ』モンゴル800の『小さな恋の歌』、ブルーハーツの『リンダリンダ』そしてオリジナル曲! に決定。
それから私たちはいつもに増して練習に励んだ。
ほとんどの曲がアレンジを必要とするので雰囲気などの踏まえたうえで二人で相談し、ここはテンポを落とそう、ここのストロークは激しく、などと意見出しあってアレンジしていった。
オリジナル曲制作の方も徐々に進めて行った。
私は常にメモ帳を持ち歩くようになった。授業中だろうが登校中だろうが歌詞に使えそうな言葉が浮かんだ時はすぐさまメモした。
その歌詞を適当に歌ってみていい感じだなあと思ったら形態に歌声を録音したりもした。
シュウの方はというと色々苦戦しているようだ。イントロとコード進行を決めるぐらいしかまだできていないらしい。しかし私の歌詞が出来上がったら作りやすくはなるだろう。そのためにも早く完成させなければ。
ライブまではもう二週間を切っていた。
♪
「どうかな」
カナデが恥ずかしがる様子を見せながらおずおずと一枚のB5ルーズリーフを差し出した。
そこには女の子にしては珍しく角ばった字で、それでいてどこかカナデらしい字で詩が書かれていた。
これは、何を謳った詩だろうか。少なくともラブソングじゃないな。
いうなれば、青春?
失くしたもの忘れていた繰り返す日々の中で
気付かないまま歩いてきた振り返ることもなく
いつからかな諦めていた目を閉じて目をそらして
零れた記憶の奥
いつしか逃げていた
わからないままただ写してた
君の書いた答え
青い空に願う、あの日を忘れたくない
青い春に想う、いつまでもこのまま
抑圧された自由の中でうまく呼吸ができないから
右手をのばし明日を掴む、過去の日々はもう忘れて
このまま僕たちは
行くあてもないまま
歩き続ける地図にない道
振り返ることはしない
何もなくても
それでいいよ
君が行くなら
僕も行くから
重ねる言葉を紡ぐ、押えられない衝動
奏でる歌に込める、昨日の涙散る
青い空に願う、あの日を忘れたくない
青い春に想う、いつまでもこのまま
「うん、いいんじゃない」
「ホント?」
「うん、学生や若者にとってはなんか共感できるところとかあると思うよ」
「あ、ありがと」
カナデは安心したのか顔はまだほんのり赤いまま胸をなでおろした。
「じゃあ、早速メロディ作っていこうか。ここはこんなふうに歌うとか考えてある?」
「うん。歌詞とついでにメロディもなんとなくだけど考えてきたよ」
そうして僕達のオリジナル曲の制作が本格的に始まった。
イントロ、テンポ、旋律、コード進行。その他諸々のことは二人してあーだ、こーだと話し合い着実に曲を仕上げていった。気がつくと日は既に沈んでいて、現在八時。僕達は慌てて部屋を飛び出した。宿直の先生に見つからないようにそっと学校を抜け出した。
学園祭までついに一週間を切った。
僕とカナデはそれぞれのクラスの出し物の準備などに時間を取られながらも毎日練習した。オリジナル曲はもうほとんど完成に近く、あとは細かい所を煮詰めていくだけだった。それに併せて他の課題曲の方も完成度を高めるべく練習を重ねた。
♪
ついに学園祭は明日と目前まで迫っていた。
なんとかオリジナル曲を一曲完成させ、他の曲もそれなりの完成度まで仕上げて行けたとは思う。けどやはり人前で歌うなんてことは初めてで、不安で緊張するものだ。今夜は眠れるだろうか。
「やあ」
明日のことを想いながら会談を上がっていると不意に声が掛けられた。
「階段の踊り場がすきなんですね」
声の主はライブにでないかと話を持ちかけてきた派手な先輩だった。
「ああ、そういえばあの時も……。それより今日の放課後時間ある? 明日のことで色々話あるからさ」
「はい、でもクラスの出し物とかの準備で少し遅くなるかもしれないです」
「ああ、そうか。じゃあ練習とかもあんまりできてないんじゃい?」
「そう、ですね……」
「じゃあさ、スタジオにきなよ。私たちが練習に使ってるとこなんだけど。ビーサウンドってとこ。わかる?」
「……いえ」
「じゃあ、楽器屋わかる?」
「駅のほうのですか?」
「そうそう。そこがわかったら大丈夫。その楽器屋の向かいだから」
「わかりました」
「じゃあ、色々終わらしたらそこにきて。私たちはたぶん十時ぐらいまでいるから」
「結構遅くまでいるんですね」
「最後の仕上げにね。じゃね」
そう言って先輩は軽快なステップで階段を上がっていった。
「というわけなんだけど、いい?」
昼休みにシュウを呼びだして今朝のことを伝えた。
「うん、いいよ」
と、二つ返事でオーケーが出た。
「シュウのクラスは何時ぐらいに終わりそう?」
「七時……まではかからないとおもうけど」
「私んとこもそんぐらいかな。じゃあ終わったらここ、部室に集合ってことで、七時超えるようならなんとか言って抜け出してきなさい」
「……はい」
六時五十分。
なんとかクラスの出し物、ケバブ屋台が完成し皆達成感に溢れていた。
片付けが後少し残っていたがそれはクラスの男子が快く引き受けてくれた。
急いで第三音楽室に向かった、がまだそこにはシュウの姿はなかった。
待つこと十五分、すでに七時を回った。
「遅いな……」
さらに五分待っても現れないのでシュウの教室へと足を運んだ。
そっと扉の窓からのぞくと、シュウとそのクラスの皆はまだあくせくと作業をしていた。
「まったく、七時なったら抜け出して来いって言ったのに」
『slip out!』
抜け出せ! と英語で書いてメールを送った。
シュウがメールに気付き、扉の外の私にも気付いた。
おどおどした表情で時計と私を見比べて、指令を出しているリーダー格の生徒に何か言おうとしているが開いた口からは言葉が出ず、結局作業に戻る。
「まったく……」
業を煮やした私は教室の扉を開いた。
いきなりの闖入者に教室の皆は一斉にこっちを見た。
そのなかを堂々をシュウの元へと歩み寄り、
「ちょっと借りていきます」
とリーダー核の生徒に言った。
「あ、ああ……」
何が何だか意味が分からない様子だったが気にせずに、シュウを引きずるような形で教室を出た。
「そんな強引にしなくても……、また皆になんて言われるか……」
「ぐずぐずしてるからでしょ。それに明日のライブのことどうせだれにも言ってないんでしょ。その後はもっとなんやかんや言われると思うよ」
「そう、だね……」
その言葉で明日のことを思い出したのかシュウの顔色は蒼白になった。どうやらシュウの緊張のレベルは私の比ではないみたいだ。
「やあ、おつかれ」
スタジオに着いたとき既に先輩はいた。周りにはメンバーと思しき人たちも三人いる。皆、格好は普通で先輩ほど派手ではない。
「遅くなりました」
「いいよいいよ。で、明日のことなんだけど、残念ながらリハーサルはできない。証明はそのときのテンションで適当に。そっちの楽器はエレアコとマイクだけだから準備はそれほどかからないね。で、順番なんだけど、しょっぱなかトリか……、どうする?」
「え……どうする?」
後ろに控えたシュウに問いかけた。
「…………」
一番初めなんてかなりのプレッシャー、かといってかなりうまそうな先輩方の後の方もやりにくい、なんてことを考えているのだろうきっと。
「じゃあ、最初でお願いします。やっぱメインの先輩がたにトリを飾ってもらわないと、いいでしょ、シュウ?」
「うん……」
「じゃあ君達が最初、次に私達ってことで決定。以上!」
「え、話ってこれだけですか?」
「え? そうだけど」
「こんなすぐ終わるんなら昼休みにでもできたんじゃ……」
「まあまあ、話し合いっていうのはまあ建前で私たちは明日同じステージで演奏するんだし、挨拶がてらにとね。それに練習もできる。スタジオ代はサービスしとくから」
「はあ……」
私達二人の先輩のバンドの四人はそれぞれ挨拶を交わした。
先輩のバンドの人たちは全員女性で学校でもなんどか見掛けたことがある人もいた。皆、ギターやベースが板についていて熟練者の雰囲気を醸し出していた。
私たちは雑談もそこそこにしてスタジオに入り練習に入った。
やはりというか先輩たちはうまかった。
私達とは全く真逆の音楽だった。歪んだギターの音、ベースの低重音、ドラムのビート、どれもアコースティックギターにはない音だった。
いかにも『バンド』って感じだった。
先輩達の前で演奏するのは少し恥ずかしかったけど、そんなこといったら明日はどうなんだってことで思い切って演奏した。
先輩たちは始め何やら神妙な顔をして私たちを見ていた。
そんなに下手だったんだろうか。
「君達……、バンド組んでどれぐらい?」
「二か月、ぐらいですかね」
「君は歌を習ってたとかは?」
「いえ、ないです」
「そう……、それにしてはうん、かなりうまいと思うよ」
「本当ですか?」
「うんうん。トリ変わった方がいいかもね」
ベースの先輩が言った。
「いや、そんな」
「君もよくアコギでうまくアレンジしたね。実は私アコギ弾けないんだよね。弦が堅くて……、どれどれ、うわ、指先かっちかっちだね」
ギター2の先輩がシュウに寄り添って手なんか握っている……。
「いや、あの……、僕は先輩みたいにあんな速いソロ弾けませんし」
「君ならすぐできると思うよ、弾いてみる?」
先輩が自分のギターをまるでネクタイでも付けてあげるかのようにシュウに掛けようとした。
「シュウ!」
「ははっ、妬かない、妬かない、リンもそうからかうなって」
派手な先輩のおかげでシュウは解放された。しかし未だ顔は真っ赤だ。まったく、けしからん。
♪
ついに今日だ。
余り良く寝付けなかったせいでまだ頭がぼんやりとしている。それでもなんとか奮い起し覚悟を決めて学校に向かった。
「うっす蓑原。今日一緒に出店回ろうぜ。一年生でメイド喫茶とかやってるクラスあるんだぜ。これは行かなきゃならんだろ」
「おはよ……」
朝からハイテンションで話しかけてきたのはノブだった。
そういえばここ最近ノブと話す事、過ごす事が少なかったような気がする。
「折角の学園祭だって言うのに暗えなあ、まったく」
「ちょっと寝付けなくて。あとごめん、午前中はいいけど午後は一緒に回れない」
「ん、なんで?」
「体育館に来ればわかるよ」
「え、なんで?」
「来れば、わかるよ」
その後、何かを察してくれたのかノブは再び問いただしてくることはなかった。
「ま、楽しみにしてるよ」
お化け屋敷やらメイド喫茶やらを一緒に回った後、ノブはそう言い残して去っていった。
時刻は十二時。僕たちの出番は一時から。
いよいよ、だ。
「お、きたきた」
体育館のステージ裏に既にカナデが、そしてその後の先輩達も待機していた。
先輩達の今日の衣装はきまっているというかなんというか、すごい。全身真っ黒であちこち破れた衣服。巻きつけられた夥しい数の鎖。顔には奇抜なメイクが施されている。
「頑張って、せいぜい場を温めておいてね」
おそらくベースの先輩? が僕の背中を叩きながらそう言った。
「善処します……」
「そう緊張しない。いつも通りやればいいさ」
そう言ったのは頭の派手な先輩。この人だけは区別がついた。
「はい」
ステージ裏の暗闇で待つこと数分、僕達を呼びだすアナウンスが鳴った。
「これより軽音楽部によるライブが行われます。最初のバンドは、えー、第三音楽室バンド」
「あ、ごめん私が適当に付けた名前」
頭の派手な先輩がたいして悪びれる様子もなくすらりと言った。
「まあ、なんでもいいですよ。さて、行くよシュウ」
「……うん」
カナデは先立って勇み足でステージの真ん中へと進んでいった。それに比べ僕の足取りは弱弱しく緊張でかちかちになっていた。
盛大とは言わないまでもぼちぼちの拍手で僕等は迎えられた。
体育館は真っ暗でステージ中央にだけライトが当たっている。暗いせいでお客さんの姿が余り見えないことが唯一の救いだった。しかし大勢の人間が確かにそこにいるという重圧が重く犇めいている。
「えー、こんにちは。先ほど紹介にあずかりました第三音楽室バンドです。この変なバンド名は先輩が勝手に付けた名前ですので、あしからず」
会場で小さな笑いが起きた。
カナデが喋っている間に、震える足を奮い起し、僕は準備を進めた。
アコースティックギターをギターアンプに繋ぎ、軽く音を出して、低音、高音などの設定をした。準備はすぐに終わった。
「私たちは軽音楽部ではないんですけど、出演するバンドが少ないということで三年のあの頭で派手な軽音楽部の先輩に誘われました。なぜ私こと汐見奏とそこの蓑原修一がバンド紛いなことをしているかは、まあ色々あったんです。さて、相方の準備が終わった様なので早速曲をやりたいと思います。一曲目は知っている方も多いでしょう『小さな恋の歌』」
「いくよ」
「うん」
僕達は目を合わせて頷いた。
ピックガードを叩いてカウントを取る。
カナデが歌い始め、僕はギターを掻き鳴らした。
アコースティックギターのクリーンな音、カナデの人々を魅了する歌声が体育案中に鳴り響いている。
僕の鳴らした音が人々に響き渡っている。
クラスのみんなも来ているのだろうか。普段の僕を知る人は今のこの光景を信じられないだろう。人と話すのが苦手で、目立つのが嫌いで、引っ込み思案な僕が体育館中の注目を一身に集めてギターを弾いている。
曲は三曲目に入った。
去年の学園祭の軽音楽部のライブを僕は見ていた。
ギター、ベース、ボーカル、ドラム、それぞれの音を一つに合わせて響く曲は今でも覚えている。ステージの上で荒れ狂う先輩のバンドをみて僕はすごいと思った。そして密かに憧れてああなりたいとさえ思った。
憧れた形とは少し違って今、ステージの上には僕とカナデしかいないけど、これでも十分満足している。
五曲目が終わった。
最初はこのライブに出ることを渋っていた。だけど出なかったらそれこそ後悔しただろうな。だって今がこんなにも楽しいを想ったのは生まれて初めてだから!
僕一人では決して今、この場所にはいなかった。今、横にいるカナデのおかげで僕は此処にいて、ギターを弾いていられる。カナデにはすごく感謝している。
六曲目が終わった。
いよいよ最後の曲。
僕とカナデが作ったオリジナル曲。
「寂しいことに、いよいよラストの曲です、今まで聴いてくれてありがとうございます。ラストの曲は誰かのコピーじゃなくて私達が作ったオリジナルの曲です。今日この時をいつか思い出せるようにと、この曲を作りました。では最後まで楽しんでいってください。聴いてください『いつか今日を思い出して』」
「さて、派手に散ろうか」
カナデが僕に向かってそう言った。
「ありがとう」
僕はそう言い残し、ギターを爪弾く。
「え?」
静かなアルペジオからその曲は始まった。
悲しげなカナデの声が音に重なる。
曲が進むにつれてアルペジオがストロークに変わり、段々と盛り上がっていく。それにつれてカナデの歌声も生き生きとしたものに変わった。
今この瞬間を忘れないように、僕は精いっぱいギターを掻き鳴らした。いつの間にか歌も歌っていた。
いつまでもこのままでいたい。
カナデを一緒に曲を奏でていたい。
ああ、でももうすぐ曲が終わる。
カナデの歌声が途切れた。
僕の簿ギターも声を潜めた。
体育館には一瞬の静寂。
次の瞬間、溢れんばかりの盛大な拍手が一斉に鳴り響いた。
あまりの拍手の多さ、大きさに僕とカナデは顔を合わせて呆気に取られた。
しばしの間呆然と立ち尽くしていたがすぐに正気に戻り、一例をしてステージから退いた。
「おつかれ」
先輩に肩を叩かれた。
「いい感じに場があったまった。センキュ」
先輩にばしばし背中を叩かれた。
まだ意識が半分も売ろうとしていたのでまともに受け答えができなかった。
先輩達がステージに上がった。
やはり慣れているのか、僕達より様になっている。
「あれ……」
つい今さっきまで横にいたのにカナデの姿が消えていた。
どこにいったのだろう?
僕の足はふらふらとカナデを探してステージ裏を出て、体育館を出た。
外にはほとんど人がいなかった。きっとほとんどの人は体育館でライブを見ているのだろう。
構内に入っても人はほとんど見かることはできず、いるのは出店の留守をしている人たちだけだった。
僕の足は目的地を定め真っすぐに進んでいた。
きっと、カナデはあそこにいるだろう。
「や、おつかれ」
「おつかれ……」
予想通りカナデは第三音楽室にいた。まだほんのりと顔に汗をかいている。
「まあ、座って座って」
僕は言う通りに腰を下ろした。
「何してたの?」
「いや、特に何も」
「先輩達の見なくても良かったの?」
「うん。いや、見たかったけど、後少しは余韻に浸っていたくてね」
「結構、盛り上がってたね」
「うん。嬉しかった。楽しかった」
「うん」
ほんの少し前まではステージの上にいた。
浴びせられた溢れんばかりの歓声と拍手はとても気持ちが良かった。
徐にカナデが窓を開けた。
体育館の方から微かに先輩達の演奏の音が聞こえてくる。
暫く僕とカナデはその微かな音に耳を傾けていた。
「ねえ、何か弾いてよ」
暫く立って唐突にカナデが言った。
「えっ、何かって?」
「まあそうだね、じゃあブルーハーツの、タイトルは忘れたけどなんかジャーンって始まる曲」
「ああ……」
おそらく『キスして欲しい』だろう。
ジャーンとAコードを鳴らして僕は『キスして欲しい』を弾き語った。
僕が歌って、カナデはただ黙って聴いている。こんな状況は初めてではないだろうか。
一曲歌い切りそうなところまでカナデは僕の方を時と見つめて聴き入っている。
そして最後に十数回目の『キスして欲しい』を叫んだとき――――。
「いいよ」
「?」
いきなりそう言うとカナデは身を乗り出して僕の唇に自分の唇を重ねた。
「――――!」
突然のことに僕は身動き一つできず身体はコンクリートの様に堅く固まった。
「………」
「………」
数秒の沈黙の後、
「その、今まで付き合ってくれたお礼、だよ……」
と、取り繕うように言ったカナデの言葉も最後は凋んでしまい。僕達は顔を真っ赤にしたまま自分の高鳴る鼓動を聴いていた。
「あ、ここにいた」
急に部屋の扉が開き先輩が顔を出した。
「………何この気まずい雰囲気」
「いえ、別に」
「なんでもないです……」
「まったく酷いなー。私達のライブっぽりだしてこんなところで……、まあ何をしてたかは聴かないけど」
「何もしてません!」
「…………はい」
「まあそれはおいといて、なんか次の出し物がトラブったらしくてね、準備ができるまで軽音楽部でなんとかその場を繋いでくれといわれたわけよ。というわけで何か弾いてちょうだい」
「え、いいんですか、私達で?」
「さすがに私達も少し休みたい。準備の時間が結構かかるようなら私達ももう一回演らしてもらおうかな」
「わかりました。さ、いくよシュウ」
「……うん」
僕はカナデに手をひかれて再びステージに向かった。
「ねえ、何弾きたい?」
走りながらカナデが訊いた。
「……キスして欲しい」
「……いいよ」
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