タイムスリップ・ボロ家@千隼2026#1
―――道を間違えて、開けた場所に出てしまった。
従兄に借りた自転車の前かごには、バケツと折り畳みの釣り竿、それにお弁当と水筒が入っている。
千隼は釣りをするため一人、小川に向かったつもりだった。
だが今、千隼の目の前には、山の一部を平らに切り崩したような広場がある。
広さは小学校のグラウンドくらいだろうか。
西はむき出しの山肌、北と東は高い木々に囲まれた、赤土の広場だ。
その真ん中には、ボロボロの建物。
木造の二階建てで、一階は前面に壁が無い。
何かの作業小屋のようだ。
長いこと使われていないのだろう。
屋根からは枯れたススキが垂れ下がり、壁は干からびたツタが絡まりついている。
ツタの下の板は黒ずんで反り返り、そのせいか小屋全体が歪んで見えた。
そして、あんぐりと空いた間口が、まるで生き物の口のようにこちらに向けられている。
初夏の日差しの森の中、千隼の心臓は冷たく縮み込んだ。
「…お化け屋敷みたいだ」
千隼は今、伯父の家に泊まりに来ている。
GWも両親は仕事で忙しく、千隼は連休中、伯父の家で過ごすことになったのだ。
だが伯父夫婦も仕事が、中高生になった従兄姉は部活が忙しく、ここに来ても結局千隼は一人だった。
無人の親戚の家に居たところで、面白い訳がない。
時間を持て余した千隼は一人で釣りに来たのだが、
どうせ誰も――
千隼自身すら釣果なんて期待していない。
それなら。
今日はこのボロ小屋を探検してみようと思った。
◇
鳥の声だけが響く森の中。
千隼は息をひそめて小屋の入り口に立った。
小屋の中は暗く、乾いた木と、埃とカビの匂いが漂ってくる。
深く吸い込めば病気にでもなりそうだ。
(まぁいいか)
千隼は一歩、中へ踏み込んだ。
そして暗さに慣れていない目をギュッと閉じ、また、ゆっくりとまぶたを開ける。
(あれ…?)
違和感を感じた千隼は、もう一度ギュッとまばたきをしてみたが、その目に映ったものは変わらない。
上から下まで、落ち葉もゴミもない小屋の中。
先ほど感じた埃っぽさもなく、乾いた空気はどこか図書館に似た清潔感すらある。
一階の中央には大きな作業台と、その上に積み上げられたコンテナ。
左右の壁には天井まである大きな棚と、その横にかけられたスコップや鍬。
一番奥の壁には梯子も取り付けてあり、そこから二階へと上がれるようだ。
確かに、どれもこれも古いは古い。
だが、最初に感じたボロいとか汚いとは、少し違う。
驚きつつ、もう一歩踏み込もうとした千隼の足が、入り口近くの段ボール箱に当たった。
箱の上には、なんだか場違いな真新しい古い型のラジオと、未開封のカップ麺。
千隼の足はそこで止まった。
外からは長く放置さたボロボロの小屋に見えたのに、中がまるで違う。
不思議なほど掃除が行き届いているし、置いてあるカップ麺は千早も知っている商品だ。
まるで、今も誰かがここを利用しているような………。
(少なくとも、ここはお化け屋敷じゃない)
千隼は完全に探検する気が失せてしまった。
「…なんか、お腹空いたな」
気が抜けた千隼は、ふとカップ麺を手に取ってみる。
そしてカップ麺をまわして、賞味期限を確認しようとした。
その時。
「あっ‼ちょっと泥棒ーっ‼」
大きな声に、千隼はカップ麺を落としそうになる。
慌てて振り返るとそこには、水の入ったバケツと、たくさんの木の枝を持った女が立っていた。
◇
「ちょっと、それ私のカップ麺なんだけど?」
半袖のセーラー服にブカブカの靴下とローファー。
女子高生のようだ。
黒いボブヘアの右側を赤いスリーピンで留めている。
「あ、違っ。ごめんなさい!食べるつもりじゃ…!」
千隼はすぐにカップ麺を戻した。
女子高生は軽く千隼を睨んで足元に荷物を置くと、その横をすり抜け、奥の棚からヤカンと七輪を取り出した。
「まぁ、こんなボロ家だし?つい悪戯したくなるのも分かるけどさ。
でも、こんなとこでも勝手に入るのはダメなんだからね?」
「ご、ごめんなさい」
続いてライターも手に取ると、持って来た枝に火を点けて、手際良く七輪で火をおこしていく。
「………あの、何してるの?」
「んー?あぁ、お昼ご飯の準備。
今からそのカップ麺食べるからさ」
そう言いながら女子高生はバケツの水をヤカンに移し、七輪にのせた。
「それで。君、小学生?学校は休み?」
女子高生はようやく手を止めて千隼を見た。
大きな二重の瞳に正面から見つめられ、千隼は少し焦る。
「え、だ、だってGWだよ。みんな休みじゃん?」
「………え?
うそ!こんな暑いのにまだ五月ってこと!?」
「え?あ、まぁ今日はちょっと暑いけど。
でも、天気良ければこんなもんじゃない?」
「マジかぁ。温暖化怖〜っ!」
女子高生は天を仰いだ。
「ん?あ〜、ってことは君もお昼まだ?
お腹空いてたらゴメンだけど、食べ物余裕なくてさ。君の分は何も用意してあげられないよ?」
「あ、ううん。別に平気。
昼は伯母さんにお弁当作ってもらってきたから」
この一言に、女子高生の目がスッと細められた。
「ふーん………。
ねぇ、そのお弁当っておかず何?お肉?お魚?」
「え?なんだろ?まだ見てないから分かんない」
「えー、見たい見たい!
ねぇ、お弁当あるなら君もここで食べていきなよ」
「あ…っと。うん。じゃあ、とってくる」
女子高生の押しの強さに、千隼は思わず頷いた。
◇
自転車のかごから弁当を取ると、千隼は一呼吸おいて振り返った。
視線の先にあるのはあのボロ家だ。
でも今は、最初に見た、あのお化け屋敷のような不気味さがない。
ボロ家は確かにボロ家なのだけれど、
今は、
わりと何処にでもある、普通の作業小屋に見えた。
◇
「おっ!鮭に玉子焼きだぁ!!あ、おにぎり二つある!
ねぇねぇ、おにぎり一つちょうだい?
このカップ麺、マグカップに半分分けるからさ〜」
千隼の弁当を覗き込むと、女子高生は興奮気味に手を合わせて千隼に頼み込んだ。
「いいよ。えっと…お姉さん、玉子焼きもいる?」
「うわ、いいの?やった!」
女子高生があまりに喜ぶから、千隼は追加で鮭も半分、弁当箱の蓋に取り分けた。
「え!?鮭も!?やだ、ありがとー!君、優しいじゃん!」
「あ、そだ。私『玉森麻由良』『マユ』って呼んで」
「僕『西岡千隼』です。よろしくお願いします」
「うんうん、よろしくよろしく〜」
マユは出来上がったカップ麺をマグカップに取り分け、千隼に差し出した。
「はい、じゃあこれ千隼の分ね」
「それじゃ…『いただきまーす!』」
◇
「あぁ〜お米美味しい〜っ」
具の入ってないおにぎりだが、マユはまるで高級料亭の逸品を食べるように噛み締めた。
「これ、そんなに美味しい?」
「うん、超美味しいっ」
続いてマユは玉子焼きも口にする。
「ん〜っ、玉子は甘い系か!最高!
これ、鮭の塩っぱいのと合うんだよねぇ」
マユがやたら弁当を褒めるので、千隼も不思議と、この弁当が特別美味しい気がしてきた。
おかげで、いつもより食事の時間が長く感じる。
「ねぇ、きいていい?」
「お、何?何?」
「マユさんって、もしかして家出中?」
「あ、そう見える?」
「うん、だってただのおにぎりをそんな喜ぶって、あんまりないと思う」
「そりゃあ、そうかもねぇ。
うーん………。
まぁ、お弁当のお礼に、千隼には教えてあげよう」
マユは箸の先をくるくる回して言った。
「私ね、タイムスリップ中なの」
◇
千隼はマユの言っている事が飲み込めず、ただ目を丸くした。
「んー、えっとねぇ…。
あ、千隼。今って西暦何年?」
「へ?あ、えーっと、二〇二六年、だけど」
「じゃあ今から二七年くらい前か。
私ね、一九九九年から来た高校三年生なの」
マユに嘘をついた様子もなく、千隼は益々混乱した。
「―――マジで?」
「マジで、マジで」
「………」
「あ〜、やっぱ信じてないなぁ?」
「いや、だって」
「まぁ信じろって言うにも、こっちも分かりやすい証拠がないんだよねぇ。
う〜ん、そうだなぁ」
マユは腕を組んで考え込んだ。
「んじゃあ、このボロ家がタイムマシンだって言ったら信じる?」
千隼はつばを飲んで室内を見渡した。
木造で壁紙すら貼られていない小屋に、機械的なものは何一つ見当たらない。
それどころか、電気もガスも水道も無さそうだ。
(そんな小屋がタイムマシン?)
「………え。ごめん、もっと信じない」
「だよねー」
「ふむ。じゃあ仕方ない。
千隼、明日またおいでよ。
そしたら証拠…になるか分かんないけど、色々思い出話してあげる」
「それってタイムスリップの話?」
「うん。
まぁ、明日まだ居れば。だけどね」
マユはニヤリと笑ってみせた。




