第1話『世界が終わった日』
世界が終わったその日、俺はついに世界記録を更新していた。
俺はメインモニターの端に表示させていた、タイマーの数字を再確認する。
『|Hollow Crown』
グリッチなし全ボス討伐RTA
タイム:54分21秒』
「よっ……しゃあ!」
俺は思わず立ち上がり、両手を天に突き上げた。
三年と四ヶ月。約1200日間。
毎日平均12時間、合計14000時間以上を費やした結果がこれだ。
「っしゃあ! やった……やったぞ……! ははは……!」
俺は使い込んだコントローラーをそっと机の上に置くと、興奮のあまり独り言をつぶやきながら、部屋中をグルグル歩き回った。
前世界記録は54分24秒。俺の記録とはたった3秒差。
だがこの3秒のために、俺とコミュニティのメンバーが、どれだけの検証を重ねたか。
『|Hollow Crown』通称『ホロクラ』のDiscordサーバーで、活発な議論を繰り広げた日々が脳裏をよぎる。
『ホロクラ』とは、荒廃した中世風ファンタジー世界を舞台としたアクションRPG、俗に言う『死にゲー』の類だ。
コミュニティのメンバーは、総勢102人。
世界中のトッププレイヤーやチャート構築者たちが、フレーム単位での解析をしたり、改善案を出し合う。
ときには、TAS――要はコンピュータにしかできない精密な操作を、手動で再現できないかの検証も行われた。
世界は広い。
猶予1F――わずか0.016秒の間に、複雑かつ正確なボタン・スティック入力が必要となるテクニックを、連続で平然と決めてくる連中がゴロゴロいる。
そんな連中としのぎを削りあった末、とうとう俺が頂点に立った。
鍵となったのは、TAS限定とされていた超高難度テクニックを、約1時間という長丁場で、何度も成功させられたことだ。
ぶっちゃけ、もう一度同じことをやれと言われたら絶対に無理だが、それでも記録は記録だ。
誰にも文句は言わせない。
「俺が……世界一だ!」
改めてそう宣言し、ひとり悦に入る。
なにかを高め、研鑽し、極みに至る。
これこそ、人生における至高の瞬間だ。
ぐう。
(あ。飯食ってなかった)
俺は我に返り、エルゴノミクス設計のゲーミングチェアに腰をおろした。
世界記録を達成したところで、現実の評価指標に大きな変動はない。
職場での俺の査定には一切影響しないし、明日も明後日も、定刻に出社して設計業務をこなし、適度に同僚と会話をして、効率的に帰宅する。
だが、それでも俺はゲームをプレイし、最適なパフォーマンスを維持するために適切な時間に就寝する。
なぜなら、楽しいからだ。
ここは、都心の2LDK高層マンションの一室。
機械設計エンジニアとしての俺の年収なら、十分に維持できる住環境だ。
部屋は完璧に整理整頓されている。
ゲーミング環境は効率を最大化するよう配置され、生活用品は必要最小限に抑えられている。
清掃は週に二回、必ず決まった曜日に行う。
26歳独身。機械設計エンジニア。都心住まい。世界記録保持者。
社会的には何の問題もない。
体型維持のために週三回ジムへ通い、流行のドラマや音楽はもれなくチェック。
おかげで、職場での会話に支障はない。
黒を基調としたオープニング画面に浮かぶ、優美な『|Hollow Crown』のロゴ。
その下に映った自分の顔は、標準的な日本人男性のものだった。
見た目は平均的……だと勝手に思っているが、身だしなみと体調管理で多少は補正がかかっているはず。
なにせ、そろそろ、同僚もちらほら結婚し始めた。
俺も婚活について考えておくべきだろう。
明日も定刻に起床し、栄養バランスを考慮した朝食を摂取し、清潔感のあるビジネスカジュアルで出社する。
問題ない。今日も明日も、俺は完璧な日常を遂行している。
完璧は、最高だ。
そのとき、スマホの通知音が響いた。
『【緊急速報】未確認隕石群の急速な接近を確認』
『【緊急速報】大至急避難を開始してください』
(隕石?)
隕石の接近は通常、数年から数十年前に観測され、軌道計算によって予測される事象だ。
突発的な隕石群の接近というのは、観測体制に重大な問題があるか、もしくは誤報の可能性が高い。
(妙だな)
俺はなんとなしに遮光カーテンを開け、外の様子を確認してみた。
「……は?」
そこに広がっていた光景に、俺の認識が一時停止した。
澄み渡る空を真っ赤に染め上げる、巨大な8つの火の玉。
接近という段階を既に通り越している。
衝突まで恐らく数十秒以内。
「マジかよ」
そんなつぶやきが漏れた瞬間、火の玉が上空で炸裂した。
カッッッ!
視界を完全に奪う強烈な閃光。
続いて。
ドオオオオオン!
建物全体を揺さぶる猛烈な衝撃と轟音に襲われ、俺の意識は途絶えた。