種田山頭火、十六句の風景 第2話:一夜の宿
作者のかつをです。
第十四章の第2話をお届けします。
今回は、放浪の俳人・山頭火が、瀬野の名もなき農家の温かいもてなしを受ける場面を描きました。
人の何気ない優しさが、どれほど疲れた心を癒すことか。
そんな普遍的なテーマを感じていただければ幸いです。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
男は、上瀬野で畑仕事をしている善助と名乗った。
山頭火の、あまりにもみすぼらしい姿を見かねて声をかけてくれたのだ。
「こんな雨の中、行き倒れられては寝覚めが悪い。さあ、汚い家だが、今宵はうちに泊まっていくといい」
その、思いがけない親切な申し出に、山頭火は戸惑った。
彼は、人との深い関わりを避けるように旅を続けていたからだ。
しかし、この雨と寒さには抗えなかった。
「……かたじけない」
彼は、小さな声でそう言うと、善助の後についていった。
善助の家は、街道から少し入った小さな茅葺屋根の農家だった。
囲炉裏には暖かな火が燃え、家の奥からは子供たちの楽しそうな声が聞こえてくる。
そこには、山頭火がかつて自らの手で捨ててきた、ささやかな家庭の温もりがあった。
善助の妻は、最初は山頭火の乞食のような姿に少し警戒していた。
しかし、夫の頼みとあらばと、彼に温かい風呂と乾いた着物を用意してくれた。
風呂で冷え切った身体を温めると、張り詰めていた心の糸がふっと緩むのを感じた。
夕餉の膳には、麦飯と芋の煮っ転がし、そして自家製の粗末な漬物が並んだ。
しかし、それは山頭火にとってここ何日も口にすることのなかった、温かい人の手の入った料理だった。
彼は、夢中でその飯をかきこんだ。
涙が、こぼれそうになるのを必死でこらえた。
食後、善助は濁り酒を勧めてくれた。
酒にだらしのない山頭火は、断ることができなかった。
杯を重ねるうちに、彼の重い口も少しずつ滑らかになっていった。
彼は、自らのどうしようもない人生をぽつりぽつりと語り始めた。
故郷の造り酒屋に生まれたこと、事業に失敗しすべてを失ったこと、そして今はただ乞食坊主としてあてのない旅を続けていること。
善助は、ただ黙って相槌を打ちながらその話を聞いていた。
同情するのでもなく、軽蔑するのでもなく。
ただ、一人の人間の物語として。
そのさりげない優しさが、山頭火のささくれ立った心を優しく包み込んでいくようだった。
その夜、彼は何ヶ月ぶりかで柔らかい布団の中で眠りについた。
雨音は、いつしか止んでいた。
窓の外からは、静かな虫の音だけが聞こえていた。
それは、彼にとって奇跡のような穏やかな夜だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
山頭火の日記には、この夜のことについて、「親切な家で、お風呂に入れてもらい、お酒もたくさんいただいた」という喜びの記述が残されています。彼にとって、本当に忘れられない一夜だったのでしょう。
さて、温かいもてなしを受けた山頭火。
翌朝、彼はその感謝の気持ちを彼らしい形で伝えようとします。
次回、「村人との対話」。
彼の、もう一つの顔が現れます。
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