官立綿糸紡績工場の女工哀史 第2話:初めて見る機械
作者のかつをです。
第十三章の第2話をお届けします。
今回は、主人公ハツが直面した工場の過酷な現実を描きました。
近代化の華やかな光の裏側には、こうした名もなき人々の犠牲があったのです。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
何日か、馬車に揺られた後。
ハツたちは、ついに瀬野の官立広島紡績所に到着した。
彼女が生まれて初めて見る、レンガ造りの巨大な建物。
天に向かって高くそびえる、煙突。
そのあまりにもモダンで威圧的な姿に、ハツはただ圧倒されるばかりだった。
工場の門をくぐると、耳をつんざくような轟音が彼女たちを迎えた。
建物の中には、見たこともない鉄の機械が何百台と所狭しと並んでいる。
天井には、無数のベルトが滑車と共に猛烈な勢いで回転し、その動力がすべての機械を斉に動かしていた。
その音と熱気、そして綿埃が舞う独特の匂い。
それは、ハツがこれまで生きてきた静かな農村の世界とは、まったく次元の違う狂乱の世界だった。
「お前たちは、今日からここで働くんだ。ぼさっとするな!」
監督の男の、怒声が飛ぶ。
ハツたち新入りの女工は、まず糸を紡ぐ「ミュール紡績機」の前に立たされた。
一台の機械から、何百本という糸がまるで生きているかのように、同時に紡ぎ出されていく。
彼女たちの仕事は、その糸が切れた時に瞬時にそれを繋ぎ直すことだった。
「糸結び」と呼ばれる、単純な、しかし一瞬の油断も許されない根気のいる作業だ。
ベテランの女工が、手本を見せてくれた。
その、目にも止まらぬ指先の動き。
まるで、魔法のようだった。
ハツも、見よう見まねでやってみる。
しかし、焦れば焦るほど指がもつれ、うまく結べない。
その間に、他の糸もぷつり、ぷつりと切れていく。
「何を、もたもたしてるんだ!」
監督の、竹の棒がハツの背中を鋭く打った。
びりりと、痛みが走る。
涙がこみ上げてくるのを、必死でこらえた。
休み時間は、ほとんどない。
朝から晩まで一日十二時間以上。
けたたましい騒音の中で、立ちっぱなしでこの単純作業を繰り返す。
食事は、麦飯と粗末な漬物だけ。
話が、違う。
こんなはずでは、なかった。
腹いっぱい白いごはんが食べられると聞いていた。
お国のためになる、誇りある仕事だと聞いていた。
しかし、ここにあるのは機械の奴隷として、ただひたすらに搾取される毎日だけだった。
夜。
十数人の女工たちが雑魚寝する、狭い寄宿舎の部屋。
ハツは、布団の中で声を殺して泣いた。
故郷の、山の匂いが恋しかった。
妹の、スミの温かい手が恋しかった。
彼女のささやかな夢は、この工場の巨大な歯車の前で早くも砕け散ろうとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
官営の紡績所は、日本の近代化を推し進めるためのモデル工場としての役割を担っていました。しかし、その一方で労働者を安い賃金で長時間働かせるという、初期資本主義の負の側面も色濃く持っていました。
さて、絶望の淵に立たされたハツ。
しかし、そんな彼女にもささやかな心の支えが生まれます。
次回、「女工たちの部屋」。
同じ境遇の少女たちの、友情の物語です。
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