官立綿糸紡績工場の女工哀史 第1話:故郷の妹へ
作者のかつをです。
本日より、第十三章「水音と糸車の唄 ~官立綿糸紡績工場の女工哀史~」の連載を開始します。
今回の主役は、明治の近代化をその底辺で支えた「女工」たちです。
華やかな産業発展の陰にあった、名もなき少女たちの過酷な現実と、その中でも失われなかったささやかな夢に光を当てます。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
広島市安芸区瀬野。瀬野川の流れに沿って、かつて「官立広島紡績所」という巨大な工場がそびえていたという。
明治政府が殖産興業を掲げ、最新の西洋技術を導入して設立した官営の綿糸紡績工場である。
赤いレンガ造りのモダンな建物は、新しい時代の到来を告げる希望の象徴だった。
しかし、その華やかな光の陰には、貧しい農村から集められ、過酷な労働の中で若さをすり減らしていった名もなき少女たちの涙の物語が隠されていた。
これは、近代化の礎の下に埋もれた、一人の女工のささやかな夢と哀歓の物語である。
◇
明治十五年、春。
備後の国の、山深い村。
十六歳になるハツは、小さな風呂敷包みを一つだけ手に、村はずれの辻に立っていた。
これから、広島の瀬野という町にある紡績工場へと働きに出るのだ。
「姉ちゃん、行っちまうのか……」
隣には、まだ幼い妹のスミが泣きそうな顔で、ハツの着物の袖を固く握りしめている。
「泣くな、スミ。姉ちゃんはな、お国のために働きに行くんだ。それに、工場へ行けば腹いっぱい白いごはんが食べられるんだと。給金をもらったら、お前のためにきれいな色のリボンを買ってきてやるからな」
ハツは、無理に笑顔を作ってみせた。
口減らし。
それが、自分が家を出る本当の理由であることを彼女は知っていた。
作物は不作続きで、これ以上家にいても妹の食い扶持を奪うだけだ。
紡績工場へ行けば三食の食事がつき、わずかだが給金ももらえる。
「日本の近代化を担う、誇りある仕事だ」と、村役場の男は胸を張っていた。
その言葉を、ハツは信じたかった。
自分のこの小さな手が、新しい日本を作る一助となる。
そう思うことで、家族と離れる寂しさを必死で紛らわせていた。
やがて、迎えの馬車が土埃を上げてやってきた。
ハツと同じように工場へ働きに出る、近隣の村の娘たちが何人か荷台に乗っていた。
皆、不安と、そしてかすかな期待が入り混じった硬い表情をしていた。
「スミ、達者でな。父ちゃんと母ちゃんの言うこと、よく聞くんだぞ」
ハツは、妹の頭を一度だけ優しく撫でた。
そして、涙がこぼれ落ちる前にくるりと背を向け、馬車へと乗り込んだ。
ガタガタと、車輪が回り始める。
小さくなっていく、妹の姿。
そして、生まれ育った故郷の山々。
彼女は、二度とこの村の土を踏むことはないのかもしれない。
そんな漠然とした不安が、胸をよぎった。
ハツは、膝の上の風呂敷包みを強く握りしめた。
その中には、妹が昨晩こっそり入れてくれた、小さな干し柿が一つ入っていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第十三章、第一話いかがでしたでしょうか。
明治時代の紡績工場では、労働者の大半がハツのような十代の若い女性たちでした。彼女たちは、「金の卵」ともてはやされ、日本の輸出産業を支える重要な働き手だったのです。
さて、大きな希望と少しの不安を胸に、工場へと向かうハツ。
彼女を待っていたのは、想像を絶する機械の世界でした。
次回、「初めて見る機械」。
近代化の光と影を、彼女は目の当たりにします。
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