「セノハチ」と瀬野機関区の男たち 第10話:坂に響く幻の汽笛(終)
作者のかつをです。
第十一章の最終話です。
失われた時代への郷愁と、しかし確かに未来へと繋がっているという誇り。
一人の元鉄道員の晩年の姿を通して、時代の大きな流れを描きました。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
何十年という歳月が流れた。
健太も、すっかり白髪頭の老人になっていた。
彼は国鉄を定年まで勤め上げ、今はこの瀬ноの地で孫に囲まれながら、穏やかな隠居生活を送っている。
かつて、瀬野機関区があった場所は、今では広大な貨物ターミナル駅へと姿を変えた。
蒸気機関車の煙の匂いも、油の匂いも、もうどこにもない。
ある晴れた日の午後。
健太は幼い孫の手を引き、線路脇の小さな公園を散歩していた。
その公園の片隅に、一台の黒い鉄の塊が静かに置かれていた。
D51形蒸気機関車。
かつて健太たちが青春を捧げた、デゴイチである。
雨風に晒され、その車体は錆びつき、色褪せている。
「じいちゃん、これ、なあに?」
孫が、不思議そうに見上げている。
「これはな、昔この坂を登っていたポッポだよ。じいちゃんの、昔の仕事仲間だ」
健太は孫を抱き上げ、静まり返った運転台に乗せてやった。
そこは、彼の記憶の中にある熱気と喧騒とはかけ離れた、冷たく空っぽの空間だった。
「じいちゃん、このポッポ、もう走らないの?」
その無邪気な問いに、健太は何と答えていいかわからなかった。
その時だった。
ゴオオオオッ、という轟音と共に、線路の上を赤い電気機関車に後押しされた長い貨物列車が、猛烈なスピードで坂を駆け上がっていった。
あっという間に、走り去っていく近代的な列車。
健太は、その光景をただ黙って見つめていた。
自分たちが汗と涙で格闘した、あの坂道。
時代は、確かに変わったのだ。
自分たちの時代は、もう遠い過去の物語なのだ。
寂しさが、胸をよぎる。
しかし、その一方で、不思議と誇らしい気持ちもこみ上げてきていた。
自分たちが繋いできたバトンがあるからこそ、今のこの安全で速い鉄道がある。
自分たちの戦いは、決して無駄ではなかったのだ。
「じいちゃん、見て! ポッポの煙突から、煙が出てるみたい!」
孫が空を指さして叫んだ。
見上げると、白い雲が一筋、まるでSLの煙のように空に長くなびいていた。
健太は、ふっと笑った。
そして、彼の耳にだけ聞こえた気がした。
遠い昔、この坂道に毎日響き渡っていた、あの力強く、そしてどこか哀愁を帯びた、幻の汽笛の音が。
(第十一章:坂は俺たちの職場だった 了)
第十一章「坂は俺たちの職場だった」を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
瀬野駅の近くには、実際にD51形蒸気機関車が静態保存されている公園があります。それは、かつてこの地が鉄道の要衝であったことを今に伝える、静かな語り部です。
さて、男たちの熱い職場の物語でした。
次なる物語は、時代をさらに下って第二次世界大戦の末期へと舞台を移します。
次回から、新章が始まります。
**第十二章:闇に消えた軍用列車 ~瀬野の列車脱線転覆事故の謎~**
終戦のわずか数ヶ月前。
この瀬野の地で闇に葬られた、一つの謎の列車事故がありました。
歴史の闇に埋もれた悲劇の真相に、迫ります。
引き続き、この壮大な郷土史の旅にお付き合いいただけると嬉しいです。
ブックマークや評価で応援していただけると、第十二章の執筆も頑張れます!
それでは、また新たな物語でお会いしましょう。




