「セノハチ」と瀬野機関区の男たち 第9話:煙の消えた町
作者のかつをです。
第十一章の第9話をお届けします。
今回は、時代の変化に取り残された男の哀愁を描きました。
効率化や近代化は、必ずしもすべての人に幸福をもたらすわけではない。
そんな時代のもう一つの側面を感じていただければ幸いです。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
最後の蒸気機関車が、去っていった後。
瀬野機関区は、まるで魂が抜けたように静まり返っていた。
あれほどけたたましく響き渡っていた金属音も、男たちの怒号も、もう聞こえない。
空を黒く染めていた煙も、消えた。
源さんや辰爺といったベテランの蒸気機関士たちのほとんどは、引退していった。
彼らは最後まで、電気機関車のハンドルを握ることを潔しとしなかったのだ。
健太は、電気機関車の運転士になるための講習を受け、新しい時代への一歩を踏み出していた。
電気機関車の運転は、蒸気機関車に比べれば驚くほど簡単だった。
石炭をくべる重労働はない。
煤や油にまみれることもない。
ただ、静かな運転台に座り、マスコンハンドルを操作するだけ。
セノハチの、あの魔の坂も、電気の力の前では赤子の手をひねるように、いとも簡単に登っていく。
楽になった。
安全になった。
そして、きれいになった。
しかし、健太の心にはぽっかりと大きな穴が開いていた。
あの鉄の獣と呼吸を合わせ、汗まみれになって戦い、そしてねじ伏せる、あの充実感はどこにもない。
相棒だった正一もいない。
口うるさかった源さんもいない。
機関区は、ただ効率だけが支配する静かで無機質な職場へと変わってしまったように思えた。
ある日の仕事の帰り道。
健太は無意識のうちに、駅前のあの酒場に足を運んでいた。
しかし、そこに昔のような賑わいはなかった。
数人の若い電気機関士たちが、静かに酒を飲んでいるだけ。
健太は一人、カウンターの隅で手酌で酒を飲んだ。
味が、しなかった。
自分は、これからこの場所で何を支えに生きていけばいいのだろうか。
時代は、自分に何を求めているのだろうか。
答えは、見つからなかった。
彼は酒場を後にした。
見上げた瀬野の夜空には、煙一つない澄んだ月が冷たく輝いている。
それは、あまりにも美しく、そしてどこまでも寂しい夜空だった。
時代の大きな変化。
その光と影。
健太は、その影の部分に一人取り残されているような、深い孤独を感じていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
動力近代化は、鉄道の安全性と効率を飛躍的に向上させました。しかし、その一方で、蒸気機関車と共に生きてきた多くの熟練技術者たちが、その職場を去らなければならなかったという寂しい現実も、また事実でした。
さて、生きる意味を見失いかけた健太。
彼の長い物語も、いよいよ最終話を迎えます。
次回、「坂に響く幻の汽笛(終)」。
彼は、この坂道に何を見出すのでしょうか。
物語は佳境です。ぜひ最後までお付き合いください。




