「セノハチ」と瀬野機関区の男たち 第7話:忍び寄る電化の波
作者のかつをです。
第十一章の第7話をお届けします。
今回は、事故で心に深い傷を負った主人公が、大先輩の言葉によって再び立ち上がる再生の物語を描きました。
時代の変化と個人の挫折。その二つの嵐の中で、彼は何を見出すのでしょうか。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
事故の、原因。
それは、本務機と後押し機の連携ミスによる、過剰な圧力(座屈)が原因とされた。
しかし、本当の原因は誰にもわからなかった。
ただ、一つ確かなことは、健太の相棒、正一が二度と機関士として職場に復帰することはなかったということだ。
彼は、片足の自由を永遠に失った。
そして、何も言わずに故郷へと帰っていった。
健太の心は、深く傷ついていた。
自分のせいではないのか。
あの時、自分がもっとうまく運転していれば、事故は防げたのではないか。
自責の念が、鉛のように彼の心を支配した。
彼は、酒に溺れるようになった。
仕事が終わると、毎晩浴びるように酒を飲み、荒れた。
かつての若きエースの面影は、どこにもなかった。
そんな彼に追い打ちをかけるように、時代の波は容赦なく押し寄せてきていた。
「瀬野機関区の蒸気機関車は、来年までにすべて廃止とする」
国鉄からのその非情な通達は、機関区に大きな衝撃を与えた。
セノハチの後押しはすべて、新型の電気機関車に置き換えられるというのだ。
源さんや辰爺といったベテランの蒸気機関士たちは、猛反発した。
「俺たちを、どうする気だ!」
「今さら、電気の運転なんか覚えられるか!」
機関区は、不穏な空気に包まれた。
しかし、健太はその騒ぎをどこか冷めた目で見ていた。
もはや彼にとって、蒸気だろうと電気だろうとどうでもいいことだった。
正一を失ったこの職場で、働き続ける意味さえも見失いかけていた。
そんなある日の夜。
健太がいつものように酒場で一人やけ酒を煽っていると、辰爺が静かに隣に座った。
「健太。いつまで、そうしているつもりだ」
辰爺の静かな、しかし厳しい声に、健太は顔を上げた。
「正一が、いなくなって辛いのはわかる。じゃがな、お前がここで腐って、あいつが喜ぶと思うか」
「……」
「俺たちはな、機関士だ。どんな時代になろうと、どんな機関車を運転することになろうと、俺たちの仕事は一つしかねえ。安全に、時間通りに、客と荷物を運ぶ。ただ、それだけだ。違うか」
辰爺は続けた。
「正一の分まで背負って走れ。あいつが見たかったその先の景色を、お前が見てやるんだ。それが、残されたお前の務めじゃねえのか」
その言葉が、健太の酔いと絶望で麻痺していた心を、強く打ち抜いた。
そうだ。俺は、機関士なんだ。
ここで、終わるわけにはいかない。
健太の目に、久しぶりに光が戻った。
彼は残っていた酒を一気に飲み干すと、静かに立ち上がった。
そして、辰爺に深く深く頭を下げた。
彼の、新しい戦いが始まろうとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
蒸気機関車から、ディーゼル機関車や電気機関車へ。
この「動力近代化」の波は、多くのベテラン蒸気機関士たちに、引退か、あるいは新しい技術への困難な挑戦かという、厳しい選択を迫ることになりました。
さて、ついに迷いを振り払った健太。
彼は蒸気機関車と、そして自らの過去と別れを告げることになります。
次回、「最後のSL」。
瀬野の坂道に、別れの汽笛が響き渡ります。
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