「セノハチ」と瀬野機関区の男たち 第6話:脱線の記憶
作者のかつをです。
第十一章の第6話をお届けします。
今回は、物語の大きな転換点となる悲しい事故を描きました。
鉄道という仕事が、常に危険と隣り合わせであったという厳しい現実。
目を背けずに描きました。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
電気機関車の導入が進む一方で、瀬野機関区ではまだ多くの蒸気機関車が現役で走り続けていた。
健太と正一のコンビもまた、愛機であるデゴニと共にセノハチの坂に挑み続けていた。
しかし、その日の後押しはいつもと何かが違っていた。
本務機である旅客列車を牽引する機関車との連結が、うまくいかない。
ガチャン、という嫌な金属音が何度も響き、そのたびに列車全体が大きく揺れた。
「……なんだか、気味が悪いな」
健太は、言いようのない胸騒ぎを覚えていた。
やがて、列車はゆっくりと坂を登り始めた。
しかし、いつもよりも車体の揺れが大きいような気がする。
本務機と後押しのデゴニとの呼吸が、微妙に合っていない。
健太は、最大限の注意を払いながら慎重に加減弁を操作した。
そして、峠の頂上まであと少しという、緩やかなカーブにさしかかった時だった。
ゴゴゴゴゴッ!
地の底から響き渡るような轟音。
次の瞬間、健太の身体は激しい衝撃と共に宙に放り出された。
何が起きたのか、わからなかった。
気づくと、彼は機関室の外の土手の上に転がっていた。
全身が泥まみれで、あちこちがひどく痛む。
目の前には、信じられない光景が広がっていた。
自分たちが乗っていたデゴニが脱線し、大きく傾いている。
そして、その後ろに続く客車もまた、何両もが線路から外れ、折り重なるようにして倒れていた。
悲鳴と怒号、そして助けを求めるうめき声。
あたりは一瞬にして、地獄絵図と化していた。
「……正一!」
健太は我に返り、叫んだ。
相棒の正一の姿が、どこにも見当たらない。
彼は痛みも忘れ、よろめきながら大破した機関室へと駆け寄った。
中から、うめき声が聞こえる。
「正一! しっかりしろ!」
健太は、歪んだ鉄の扉をこじ開けた。
中では、正一が倒れた計器盤の下敷きになって身動きが取れなくなっていた。
その足は、見るも無残に潰されていた。
「健さん……。足が……」
正一は、か細い声でそう言うと、意識を失った。
健太は何も考えられなかった。
ただ、相棒の名を何度も何度も叫び続けることしかできなかった。
セノハチが牙を剥いた、瞬間だった。
この美しく、そして誇り高い坂道が、時として人の命を容赦なく奪う魔物であることを、彼はこの時初めて思い知らされたのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
セノハチでは、その厳しい条件から実際に数多くの脱線や暴走といった事故が過去に発生しています。その一つ一つの事故の陰には、この物語のような名もなき鉄道員たちの悲劇があったのかもしれません。
さて、自らの目の前で相棒が重傷を負ってしまった健太。
彼の心は、深く傷つきます。
次回、「忍び寄る電化の波」。
時代の変化が、彼の傷ついた心に追い打ちをかけます。
物語は佳境です。ぜひ最後までお付き合いください。




