「セノハチ」と瀬野機関区の男たち 第4話:一人前の機関士
作者のかつをです。
第十一章の第4話をお届けします。
今回は、主人公・健太が一人前の機関士へと成長する、その試練の瞬間を描きました。
師匠から弟子へと、技と魂が受け継がれていく。そんな、職人の世界の美しい一幕です。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
数年の歳月が、流れた。
健太は、もはや新米の機関助手ではなかった。
どんな癖のある機関車でも、どんな天候でも、ボイラーの圧力を完璧にコントロールできる、腕利きの機関助手へと成長していた。
そして、ついにその日がやってきた。
機関士への、昇格試験である。
試験官として機関室に乗り込んできたのは、あの鬼の源さんだった。
「健太。今日、俺はお前の先輩じゃない。ただの客だ。すべての判断はお前が下せ。俺は一切口出しはせん。いいな」
そのいつもと違う静かな口調が、逆に健太の心にずしりとしたプレッシャーを与えた。
その日の天気は、最悪だった。
朝から氷雨が降り続き、セノハチのレールは黒く濡れそぼっている。
最も空転しやすい、最悪のコンディション。
健太は機関助手として自ら石炭をくべ、圧力を上げた。
そして、連結の合図と共に彼は生まれて初めて機関士席に座り、加減弁のレバーを握りしめた。
汗で、手のひらが滑る。
心臓が、早鐘のように鳴っている。
ゆっくりとレバーを引く。
デゴニの巨大な動輪が、きしむような音を立てて回り始めた。
大地を揺るがす振動。
この鉄の巨人が今、自分の意のままに動き出した。
その事実に、健太は武者震いを禁じ得なかった。
問題の急勾配に、さしかかる。
案の定、動輪が滑り始めた。
カン、カン、という甲高い空転の音が響き渡る。
健太は焦らなかった。
これまで、何度も経験してきたことだ。
彼は冷静に加減弁をわずかに戻し、砂撒き装置のレバーを引いた。
砂がレールを噛む、ザラリとした感触が足元から伝わってくる。
空転は収まった。
列車は再び力強く、坂を登り始めた。
健太の額から脂汗が流れ落ちる。
しかし、その目はただまっすぐに前方のレールだけを見据えていた。
やがて、峠の頂上にたどり着く。
健太はそこで機関車を止めると、源さんの方を振り返った。
源さんは腕を組んだまま、何も言わずに窓の外を眺めていた。
不合格、だったのだろうか。
健太の心が不安でいっぱいになった、その時だった。
源さんは、ぼそりと一言だけ呟いた。
「……まあ、悪くは、ねえな」
その一言が、健太にとってはどんな賛辞よりも嬉しかった。
涙がこみ上げてくるのを、彼は必死でこらえた。
その日、瀬野機関区に一人の若き機関士が誕生した。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
蒸気機関車の運転は、まさに職人技の塊でした。特にセノハチのような難所では、機関士と機関助手の絶妙なコンビネーション(阿吽の呼吸)が、何よりも重要だったと言われています。
さて、ついに一人前の機関士となった健太。
しかし、彼らの職場にも時代の大きな変化の波が押し寄せようとしていました。
次回、「友情とライバル」。
彼の前に、新しい世代の強力なライバルが現れます。
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