「セノハチ」と瀬野機関区の男たち 第2話:後押しの蒸気機関車(ポッポ)
作者のかつをです。
第十一章の第2話をお届けします。
今回は、蒸気機関車の機関室を舞台に、「後押し」という仕事の過酷さと緊張感を、臨場感たっぷりに描いてみました。
男たちの汗と熱気を感じていただければ幸いです。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
健太が乗り込んだ補助機関車は、D52形。
「デゴニ」の愛称で知られる、国産最強の貨物用蒸気機関車だった。
その巨大な動輪と力強いボイラーは、まさにセノハチを押し上げるためだけに生まれてきたかのようだった。
ガチャン、という重い金属音と共に、急行列車の最後尾にデゴニが連結された。
健太の心臓が、大きく跳ねる。
これが、自分にとって初めての「後押し」の仕事だった。
「健太、ぼさっとするな! 圧が下がるぞ!」
機関士の源さんが、鋭く叫ぶ。
健太は我に返ると、スコップを手に火室の中へと石炭を放り込み始めた。
灼熱の炎が顔を炙り、汗が噴き出す。
ただ無心に石炭をくべる。
ボイラーの圧力計の針が、決して赤い線を下回らないように。
それだけが、機関助手の仕事のすべてだった。
やがて、長い汽笛が二度鳴り響いた。
出発の合図だ。
ゴトン、という重い衝撃と共に、列車がゆっくりと動き始める。
そして、すぐに上り坂にさしかかった。
デゴニの動輪が、ギリギリとレールを噛む音が腹の底に響く。
「もっと焚け、健太! 坂に負けるぞ!」
源さんの声が、蒸気の音に混じって飛んでくる。
健太は歯を食いしばり、スコップを動かすペースを上げた。
機関室の中はサウナのような熱気と石炭の粉塵で、息をするのも苦しい。
列車は、まるで巨大な芋虫のようにゆっくりと、しかし確実に坂を登っていく。
窓の外の景色が少しずつ後ろへ流れていき、眼下には瀬野の町並みが小さく見えていた。
その時だった。
ガクン、という嫌な衝撃と共に、機関車の動輪が空転を始めたのは。
雨で濡れたレールに、車輪が滑ってしまったのだ。
「いかん!」
源さんが叫ぶと同時に、砂撒き装置のレバーを引いた。
車輪の前に砂が撒かれ、摩擦を取り戻す。
しかし、一度失った勢いはなかなか元には戻らない。
列車全体のスピードが、目に見えて落ちていく。
このままでは、坂の途中で立ち往生してしまう。
「健太! ボイラーの限界まで焚き上げろ! あと少しだ!」
源さんの顔は、炎に照らされ鬼の形相をしていた。
健太も、最後の力を振り絞った。
もはや腕の感覚はなく、ただ機械のように石炭をくべるだけ。
そして、ついにその瞬間は訪れた。
機関車の傾きが、ふっと水平に戻ったのだ。
八本松駅の手前、峠の頂上にたどり着いたのだ。
健太は、その場にへなへなと座り込んだ。
全身、汗と煤でぐしょ濡れだった。
しかし、その心は今までにないほどの達成感で満たされていた。
これが、セノハチの後押し。
これが、男たちの職場。
彼は、その厳しさとそして誇りを、その身をもって味わったのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
D52形蒸気機関車は、戦時中に設計された日本最大の貨物用機関車でした。その圧倒的なパワーは、まさにセノハチを乗り越えるために不可欠な存在だったのです。
さて、初めての仕事をなんとか乗り切った健太。
しかし、彼を待っていたのは賞賛の言葉ではありませんでした。
次回、「瀬野機関区の日常」。
鉄道員たちの厳しくも温かい人間模様を描きます。
よろしければ、応援の評価をお願いいたします!




