広島藩御用達・瀬野の油搾り 第6話:最後の油搾り
作者のかつをです。
第八章の第6話をお届けします。
今回は、時代の変化と共に一つの仕事がその役目を終えていく、寂しくそして悲しい物語を描きました。
職人の仕事への深い愛情と誇りを感じていただければ幸いです。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
時代は、明治へと移り変わっていた。
広島の城下町にも、西洋風の建物が建ち並び、夜にはガス灯が煌々と輝くようになった。
もはや、菜種油の薄暗い灯りを必要とする者は、ほとんどいなくなっていた。
かつては、あれほど賑わっていた吉兵衛の仕事場も、今では訪れる客もなく閑散としていた。
父の吉兵衛も、すっかり年老い、その背中は小さく丸くなっていた。
それでも、彼は水車を止めようとはしなかった。
たとえ、買い手が一人もいなくなったとしても。
彼は、まるで何かに取り憑かれたように、毎日毎日油を搾り続けた。
それは、もはや商売ではなかった。
長年自分を支えてくれた、この水車と瀬野川の流れへの、彼なりの恩返しだったのかもしれない。
「親父、もう、いいじゃねえか。俺も、畑仕事を手伝うから、そろそろ楽にしてくれよ」
正吉がそう言うと、父は初めて弱々しい声で答えた。
「……正吉。わしはな、この水車の音が好きなんだ。この音が聞こえなくなるときが、わしの命が終わる時だ」
父の、そのあまりにも寂しそうな横顔に、正吉はもう何も言えなかった。
その、数ヶ月後の冬の朝。
正吉が目を覚ますと、いつも聞こえてくるはずのあの音が聞こえなかった。
ゴットン、ゴットン、という、あの力強い音が。
慌てて仕事場へと駆けつけると、そこに父が倒れていた。
水車は、夜の間の厳しい冷え込みで凍りつき、ぴたりとその動きを止めていた。
父は、まるで眠るように穏やかな顔をしていた。
その手は冷たくなっていたが、まだ油の匂いがかすかに残っている。
彼は、自分の言葉通り水車の音と共にその生涯を終えたのだった。
正吉は、一人凍りついた水車を動かそうとした。
しかし、水車はびくともしない。
まるで、自分の役目は終わったとでも言うように。
彼は、その場にへたり込んだ。
涙は、出なかった。
ただ、空っぽになった心に、瀬野川の冷たい水の音だけが、いつまでも、いつまでも響いていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
明治の文明開化は、多くの人々の生活を豊かにしましたが、その一方で吉兵衛のように時代の変化に取り残され、失われていった技術や文化も数多く存在しました。光が強ければ、その影もまた濃くなるのです。
さて、父を亡くし一人残された正吉。
彼が守ってきた水車の音は、本当に永遠に消えてしまったのでしょうか。
次回、「せせらぎに消えた音(終)」。
第八章、感動の最終話です。
物語は佳境です。ぜひ最後までお付き合いください。




