広島藩御用達・瀬野の油搾り 第5話:黒船が運んだ油
作者のかつをです。
第八章の第5話をお届けします。
黒船は、日本の政治体制だけでなく人々の暮らしの隅々にまで大きな変化をもたらしました。
今回は、石油という「黒船」が瀬野の小さな油屋の運命をいかに変えてしまったかを描きました。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
播磨屋の嫌がらせは、執拗に続いた。
しかし、吉兵衛と正吉は歯を食いしばり、ただひたすらに最高の油を作り続けた。
その実直な仕事ぶりは、やがて藩の役人たちの耳にも届き、彼らへの信頼はむしろ以前よりも揺るぎないものとなっていた。
しかし、彼らの戦っていた相手は播磨屋だけではなかった。
もっと巨大な、抗うことのできない時代のうねりが、すぐそこまで迫っていたのだ。
嘉永の世。
黒船が、江戸の浦賀にやってきたという噂が、瀬野の山奥にまで届き始めた。
そして、その黒船が油の世界を根底から揺るがすものを運んできた。
「石油」である。
最初は、ほんの僅かな量だった。
異国からもたらされた「燃える水」は、非常に高価でごく一部の人間しか手にすることができなかった。
吉兵衛も、正吉もまだどこか他人事のようにその噂を聞いていた。
「なんだか、魚臭い変な匂いがするらしいぞ」
「わしらの、菜種油の香りの方がよっぽど上等だ」
しかし、時代は彼らが思うよりも遥かに速いスピードで変わろうとしていた。
幕府が開国を決め、横浜や神戸の港が開かれると、石油は驚くべき勢いで日本中に広まっていった。
石油ランプは、菜種油の行灯よりも比較にならないほど明るかった。
そして、何よりも安かった。
これまで、吉兵衛たちの油を買ってくれていた城下の商人たちが、一人、また一人と石油ランプへと切り替えていく。
あれほどひっきりなしに来ていた注文が、目に見えて減っていった。
「父上……。このままでは」
正吉の、不安げな声に、吉兵衛は何も答えることができなかった。
播磨屋のような目に見える敵なら、まだ戦いようがあった。
しかし、今度の敵は「時代」そのものだ。
どんなに丹精込めて最高の油を搾っても、時代の大きな流れには逆らえないのかもしれない。
ゴットン、ゴットン、と今日も変わらずに回り続ける水車の音が、やけに悲しく正吉の耳に響いていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
明治時代に入ると、石油ランプの普及はさらに加速します。これにより、日本の伝統的な製油業や蝋燭屋といった商売は大きな打撃を受け、その多くが姿を消していくことになりました。
さて、時代の大きな変化に直面した吉兵衛と正吉。
彼らが守り続けてきた水車は、どうなってしまうのでしょうか。
次回、「最後の油搾り」。
一つの時代の終わりが訪れます。
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