広島藩御用達・瀬野の油搾り 第2話:秘伝の製法
作者のかつをです。
第八章の第2話をお届けします。
今回は、油搾りの具体的な工程と、そこに込められた職人の技を描きました。
父から子へ、技が受け継がれていく。そんな、ものづくりの原点の物語です。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
ある日の夕暮れ。
父の吉兵衛は、仕事を終えた正吉を仕事場の隅にある小さな蒸し釜の前に呼び寄せた。
そこには、水車で搗き砕かれた菜種が山と積まれている。
「正吉、よう見ておれ。ここからが、油の『命』を決める一番大事な仕事だ」
吉兵衛はそう言うと、砕かれた菜種を釜の中に入れ、蒸し始めた。
やがて、むわりと甘く香ばしい湯気が立ち上る。
「ただ蒸せばいいというもんじゃない。蒸しすぎれば風味が落ちる。蒸しが足りねば油の出が悪くなる。この頃合いを見極めるのが、職人の腕よ」
父は、湯気の色や香り、そして手にした時の菜種の湿り具合だけで、完璧な蒸し加減を判断していた。
それは、長年の経験だけが成せる技だった。
次に、蒸し上がった菜種を麻の布で包み、「油船」と呼ばれる搾り機にかける。
巨大な、てこの原理を応用した圧搾機だ。
「ゆっくりだ、正吉。急に力をかけすぎると、油が濁っちまう」
父の、厳かな声が響く。
ゆっくりと、じわじわと圧をかけていく。
すると、麻の布の隙間から黄金色の液体が、糸のように流れ出し始めた。
一番搾りの、極上の油だった。
その、美しく澄んだ輝きに、正吉は思わず息を呑んだ。
「これが、俺たちの仕事の、魂だ」
父は、搾りたての油を指ですくい、灯明皿に垂らした。
そして、火を灯す。
ぱっと、明るく穏やかな光が、薄暗い仕事場を照らした。
その炎は、ほとんど煤を出さず、静かに美しく燃え続けている。
「良い油はな、炎を見ればわかる。煤が出ず、静かに長く燃える。これが、わしらの油が広島の城下で一番だと呼ばれる、証よ」
父の横顔は、炎に照らされ誇りに満ちあふれていた。
正吉は、その時初めて父の仕事の本当の凄さを理解した気がした。
単調な繰り返しの作業に見えていた、その一つ一つの工程に深い意味と長年培われてきた知恵が込められている。
自分は、まだその入り口に立ったばかりなのだ。
外の世界への憧れとはまた別の、熱い何かが彼の胸にこみ上げてくるのを感じていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
菜種油の品質は、搾る前の「蒸し」と「焙煎」の工程で、ほぼ決まると言われています。この加減こそが、各々の油屋の秘伝中の秘伝だったのです。
さて、父の仕事の奥深さに触れた正吉。
そんな彼らの元に、ある日大きな転機が訪れます。
次回、「藩からの御用」。
彼らの油が、広島藩の目に留まることになります。
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