間宿「出見世」の茶屋看板娘 第6話:時代の変わり目
作者のかつをです。
第七章の第6話をお届けします。
幕末の動乱期。
様々な思想が、この西国街道の上で交錯しました。
今回は、そんな時代の激動を茶屋の娘の視点から静かに描きました。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
黒船の噂が、現実のものとなってから。
西国街道の風景は、一変した。
お伊勢参りの、のんびりとした旅人の姿はめっきりと減った。
代わりに、街道を埋め尽くすようになったのは、険しい顔つきの武士たちだった。
ある者は京を目指し、ある者は長州を目指す。
彼らの口から語られるのは、「尊皇攘夷」や「倒幕」といった、おはなには意味のわからない、しかし血なまぐさい響きを持つ言葉ばかり。
茶屋の中では、些細なことから藩の違う武士同士が、睨み合いになることも珍しくなくなった。
父の源助は、そんな客たちの間に入り必死で場を収めている。
店の空気は、いつも張り詰めていた。
そんなある日。
一人の旅の僧侶が、茶屋にこんな噂話を落としていった。
「昨晩、この先の瀬野の宿場に、長州の吉田松陰という男が泊まったそうだ。幕府に捕らえられ、江戸へ送られる道中だとか」
その名前に、おはなは聞き覚えがあった。
過激な思想で世を乱そうとする、大罪人。
そんな恐ろしい評判ばかりを、耳にしていた。
しかし、僧侶は言葉を続けた。
「だが、その罪人、実に穏やかな顔をして、夜通し何かを書きつけていたそうだ。そして暁に、漢詩を一つ詠んで旅立っていったとか。なんでも、この国の未来を憂う詩だったそうだ」
おはなは、その話を聞きながら不思議な気持ちになった。
罪人と言われる男もまた、この国の未来を案じている。
そして自分たちが毎日茶を出している幕府方の武士たちもまた、この国を守ろうとしている。
どちらが正しくて、どちらが間違っているのか。
もはや誰にもわからない。
ただ、誰もが自分の信じる「正義」のために、命を懸けている。
おはなは、自分の無力さを痛感していた。
自分にできることなど何もない。
ただ、この茶屋でどんな思想の人間であろうと、客として平等に一杯の茶を出すこと。
それが、自分にできる唯一のことだった。
時代の巨大な嵐。
その嵐がすぐそこまで迫ってきている。
おはなは父と共に、ただ店の暖簾を固く握りしめ、その嵐が静かに過ぎ去るのを祈るしかできなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
実際に、吉田松陰が安政6年(1859年)に護送の道中、瀬野に宿泊したという記録が残されています。まさに、この茶屋のすぐ近くで歴史は動いていたのです。
さて、時代の嵐は、やがて過ぎ去りました。
しかし、その後に訪れたのは、穏やかで、しかし少し寂しい時代の始まりでした。
次回、「私の見てきた景色(終)」。
第七章、感動の最終話です。
物語は佳境です。ぜひ最後までお付き合いください。




