間宿「出見世」の茶屋看板娘 第5話:黒船の噂
作者のかつをです。
第七章の第5話をお届けします。
歴史の大きな転換点である「黒船来航」。
その遠い江戸での出来事が、瀬野の一軒の茶屋にまでどんな影響を及ぼしたのか。
今回は、時代の大きなうねりを庶民の視点から描きました。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
季節は、何度か巡った。
おはなも、いつしか十六の花の盛りを迎えていた。
茶屋の仕事にもすっかり慣れ、今では父の源助を立派に支える看板娘として、旅人たちの間でも評判だった。
そんな、穏やかな日々が永遠に続くかのように思われた。
しかし、その頃から街道を行き交う旅人たちの話の端々に、奇妙な、そして不穏な言葉が混じるようになってきた。
「黒船」という、言葉である。
「江戸の浦賀の沖に、煙を吐く巨大な鉄の船が現れたそうだ」
「なんでも、アメリカという異国の船で、国を開けと脅しているらしい」
最初は、遠い江戸の噂話。
おはなにとっては、まるでおとぎ話のように現実感のない響きだった。
しかし、その噂は日に日に真実味を帯びて、西国街道を駆け巡っていった。
これまで、のんびりと旅を楽しんでいた商人たちの顔から笑みが消えた。
彼らは、ひそひそと物価の変動や世の中の先行きについて、不安げに語り合っている。
街道を、早馬が駆け抜けていく回数が目に見えて増えた。
都や大坂から、重要な報せが西国の諸藩へと伝えられているのだ。
そして何より、街道を行き交う武士たちの雰囲気が明らかに変わった。
彼らの顔は一様に険しく、その腰に差した刀は以前よりも重々しい意味を帯びているように見えた。
ある日、茶屋で休んでいた広島藩の若い武士が、ぽつりと呟いた。
「このままでは、異国との戦になるやもしれぬ……」
その言葉に、おはなの心臓はどきりと大きく跳ねた。
戦。
それは、祖父の代からずっと遠い過去の物語のはずだった。
おはなは、茶屋の土間に立ち尽くした。
自分は、ただ毎日茶を淹れ、握り飯を握っているだけ。
しかし、この店の前のたった一本の道が、今、確かに時代の大きな大きなうねりと繋がっている。
その、抗いがたい歴史の流れを前に、彼女はただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
二百年以上続いた泰平の世が、静かに軋む音を立て始めていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
嘉永6年(1853年)のペリー来航は、日本の社会に計り知れない衝撃を与えました。この出来事をきっかけに、日本は幕末の動乱期へと突き進んでいくことになります。
さて、不穏な空気が日本中を覆い始める。
出見世の茶屋も、その嵐と無縁ではいられませんでした。
次回、「時代の変わり目」。
おはなは歴史の激動を目の当たりにします。
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