西国街道・大山峠と瀬野馬子唄 第6話:馬子唄の誕生
作者のかつをです。
第六章の第6話をお届けします。
今回は、物語のタイトルにもなっている「瀬野馬子唄」が、いかにして多くの人々の唄へと成長していったのか、その誕生の物語を描きました。
文化とは、こうして自然発生的に生まれてくるものなのかもしれません。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
その日以来、清太は峠を越えるたびに、あの名もなき旋律を口ずさむようになった。
そして、少しずつそこに言葉が乗るようになっていった。
最初は、ただ目の前の風景を歌にしただけだった。
「瀬野の、ナー 大山越えりゃヨー 汗の、ナー しずくがヨー 雨と降る」
辛い、辛い坂道。
だが、それを唄にすると、不思議と客観的に見られるような気がした。
やがて、唄は黒王のことへと移っていった。
「わしの黒王は 日本一の馬よ 年はとれども 峠は越せる」
自分に言い聞かせるように。
そして、黒王を励ますように。
そして最後に、唄は必ず彼女のことへと行き着いた。
「峠越えりゃ 茶屋が見える 茶屋のあの娘に 一目逢いたい」
決して口には出せない秘めた想い。
それを、唄に乗せて天に放つ。
それだけで、少しだけ心が救われるような気がした。
ある日、彼がいつものように唄を口ずさみながら峠を越えていると、後ろから来た馬子仲間が声をかけてきた。
「清太、そりゃあ何て唄だ。聞いたことねえが、なんだか物悲しくていい唄だな」
清太は、照れて顔を赤らめた。
「いや、これは俺が勝手に……」
「いいじゃねえか。俺にも教えてくれや。この辛気臭い坂道にゃおあつらえ向きだ」
その日から、奇妙なことが起こり始めた。
清太の唄が、馬子仲間たちの間で少しずつ口ずさまれるようになっていったのだ。
ある者は、自分の故郷の言葉を歌詞に加え、
ある者は、自分の恋人の名を歌詞に織り込み、
またある者は、少し陽気な節回しに変えて歌った。
唄は、もはや清太一人のものではなかった。
それは、この大山峠で働くすべての馬子たちの、共有の魂の唄へと姿を変えていったのだ。
人々は、いつしかその唄をこう呼ぶようになった。
「瀬野馬子唄」と。
一人の若者の、やるせない想いから生まれたささやかな旋律。
それが、多くの人々の心を捉え、一つの「文化」が生まれた瞬間だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
「瀬野馬子唄」は、広島県を代表する民謡の一つとして、今も大切に歌い継がれています。その歌詞は、時代や歌い手によって少しずつバリエーションがあるそうです。まさに、生きた文化ですね。
さて、自分の唄が多くの人々に受け入れられた清太。
しかし、彼の個人的な悩みはまだ何も解決していませんでした。
次回、「届かぬ想い」。
お妙を巡って、清太の前に強力な恋敵が現れます。
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