瀬野の名の起源、生石子神社の物語 第4話:癒しと交流
作者のかつをです。
第一章の第4話をお届けします。
今回はヒナタとイツセ、二人の心の交流を丁寧に描きました。
異なる背景を持つ者同士が互いを理解し、尊重しあっていく。
物語の温かい中心部分です。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
ヒナタの神託に従い、村人たちはイツセの一団に空き家となっていた小屋と、なけなしの食料を提供した。
彼らは驚くほど規律正しく、与えられたもの以上に何かを求めることも、村の者に乱暴を働くことは決してなかった。
ヒナタは巫女として、イツセの傷の手当てを自ら買って出た。
小屋の中に薬草の匂いが満ちる。
彼の左腕の傷は矢傷だった。深く化膿しかけている。ヒナタは沸かした湯で傷口を清め、噛んだ米と薬草を混ぜたものを慎重に塗り込んでいった。
「……すまないな」
痛みに顔をしかめながらもイツセは静かに言った。
「なぜ我らを信じてくれたのだ。追い返すこともできたはずだ」
ヒナタは顔を上げずに、清潔な布を巻きながら答えた。
「あなたの瞳が、この村を守ろうとする男たちの瞳と同じだったからです。そして…この土地がそうすべきだと、私に教えてくれました」
イツセはぽつりぽつりと、自らの夢を語り始めた。
争いのない豊かな国を東の地に創る。そのあまりにも壮大な夢を。そしてその旅の道中で多くの仲間を失い、兄までもが瀕死の重傷を負ったという厳しい現実を。
ヒナタは静かにその言葉に耳を傾けていた。
それは自分がこの小さな村で、日々神に祈っている「平穏」という願いと同じだった。
イツセの一団は村に新しい風をもたらした。
彼らが持っていた進んだ知識は、日照りに苦しむ村人たちにとってまさに天の助けだった。
瀬野川の淀みに石と枝で簡単な堰を作り、わずかな水を効率よく畑に引く方法。
狩りで得た獣の肉をただ焼くのではなく、干して燻製にすることで長く保存する知恵。
村人たちの暮らしは少しずつ豊かになっていった。よそ者への警戒心はいつしか感謝と親しみの情へと変わっていた。子供たちがイツセの部下たちの周りで笑い声を上げるようになった。
ヒナタもまたイツセとの交流の中で多くのことを学んだ。
自分の知らない遥かに広い世界があること。
そしてただ神に祈るだけでなく、自らの知恵と力で未来を切り拓いていくことの大切さを。
彼女の心の中で何かが確実に変わり始めていた。
それは巫女としてではなく一人の人間としての、確かな成長の証だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
古代において土木技術や調理法といった生活の知恵は、集団の生存を左右する非常に重要な情報でした。イツセたちがもたらした知識は、この村にとってまさに恵みの雨のようなものだったのかもしれません。
さて、傷も癒え交流も深まった両者。
しかし出会いには必ず別れが訪れます。
次回、「背の地、勢の地」。
物語の核心である「瀬野」の地名の由来がついに語られます。
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▼作者「かつを」の創作の舞台裏
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