西国街道・大山峠と瀬野馬子唄 第2話:西国一の坂
作者のかつをです。
第六章の第2話をお届けします。
今回は、大山峠の過酷な自然環境と、そこに潜む危険を描きました。
馬子という仕事が、いかに厳しいものであったか、感じていただければ幸いです。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
大山峠の道は、まさに獣道だった。
人がすれ違うのがやっとの道幅。
雨が降ればぬかるみとなり、人の足首まで泥に沈む。
道の両側からは、木々の枝が覆いかぶさるように伸びていた。
「よいしょ、こらしょ……」
背中に重い荷を背負った商人が、苦しげな声を上げる。
清太は、その商人と黒王を気遣いながら、一歩また一歩と険しい坂道を登っていった。
黒王の息遣いが、だんだんと荒くなっていくのがわかった。
ひづめがぬかるみに取られ、足元がおぼつかない。
(頑張れ、黒王……。もう少しだ)
清太は、心の中で必死に呼びかけた。
この大山峠は、馬子たちにとって仕事場であると同時に、常に死と隣り合わせの危険な場所でもあった。
足を滑らせて谷底へ落ちる馬。
過労で坂の途中で倒れてしまう馬。
そんな話を、嫌というほど聞いてきた。
そして、峠にはもう一つの恐ろしい顔があった。
山賊である。
「この先の盗人岩には気をつけなされや。あっしらの仲間も何人かやられてやす」
峠の麓の茶屋で、他の馬子からそんな忠告を受けていた。
役人の目が行き届かないこの薄暗い峠道は、追い剥ぎや山賊たちにとって格好の狩場となっていたのだ。
清太は、腰に差した錆びた柴刈り鎌の柄を、強く握りしめた。
こんなもので、屈強な山賊に太刀打ちできるとは思えない。
しかし、何もしないよりはましだった。
何より恐ろしかったのは、黒王のことだった。
もし山賊に襲われた時、この老馬と共に逃げ切ることができるだろうか。
いや、それ以前に、この坂道を無事に登りきることさえできるのか。
不安が、冷たい汗となって背中を伝う。
その時、黒王がぴたりと足を止めた。
そして、がくりと前のめりに膝をついたのだ。
「黒王! しっかりしろ!」
清太は慌てて駆け寄り、その身体を支えた。
黒王は、苦しそうにぜえぜえと息をしている。
その瞳からは、力が失われかけていた。
背後の商人から、苛立った声が飛ぶ。
「おい、どうした。何をぐずぐずしておる。日が暮れてしまうぞ」
清太は、唇を強く噛み締めた。
もう、ダメなのかもしれない。
黒王も、そして自分たちの暮らしも、ここで終わりなのかもしれない。
絶望が、彼の心を支配しかけていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
「盗人岩」と呼ばれる場所は、実際にこの峠道にあったと伝えられています。その名の通り、多くの悲劇がそこで起きたのかもしれません。
さて、ついに坂の途中で力尽きてしまった黒王。
絶体絶命のピンチに、清太はどう立ち向かうのでしょうか。
次回、「汗と土埃」。
彼の、馬子としての意地が試されます。
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