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ひろしま郷土史譚《瀬野編》~街道と鉄路が続く物語~  作者: かつを
第1部:古代・中世編 ~神々と武士たちの足跡~
31/80

空海が見た谷 第3話:谷川の導き

作者のかつをです。

第五章の第3話、お楽しみいただけましたでしょうか。

 

今回は、若き空海が迷いを乗り越え、一つの「悟り」に近づくその精神的なプロセスを描きました。

不思議な老人との出会いが、彼の運命を大きく動かします。

 

※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。

老人の後をついていくと、やがて小さな炭焼き小屋が見えてきた。

中ではパチパチと心地よい音を立てて、火が燃えている。

その温かさに、真魚の凍えていた心と身体はゆっくりと解きほぐされていった。

 

老人は多くを語らなかった。

ただ焼いた芋と、木の器に入れた温かい白湯を彼に差し出した。

その素朴な味わいが、彼の空っぽの胃の腑にじんわりと染み渡る。

 

「若いの、お主の顔には深い『迷い』が見える」

老人は火を見つめながら、静かに言った。

「書物も修行も、それだけでは足りぬ。答えはお主の外にはない。お主の内にあるのじゃからな」

 

その言葉は、まるで彼の心の中をすべて見透かしているかのようだった。

真魚は何も言い返せなかった。

 

夜が明け、真魚が目を覚ますと、そこに老人の姿はなかった。

ただ囲炉裏の火が、静かに燃え残っているだけ。

まるで、すべてが夢であったかのようだった。

 

しかし、彼の心は不思議なほど軽くなっていた。

老人の言葉が暗い森を照らす松明のように、彼の進むべき道を示してくれている気がした。

 

(答えは、俺の内に……)

 

彼は炭焼き小屋を後にした。

不思議なことに、あれほど迷った森の道が今ははっきりとわかる。

彼は迷うことなく、あの美しい滝壺へと戻ることができた。

 

彼は改めて、滝壺の前に立った。

そして自分自身の内側へと、深く深く潜っていく。

これまでの人生で学んできた儒教も道教も仏教も、そのすべての知識を一度空っぽにする。

 

そして、ただ感じる。

水の音を。風の匂いを。岩の冷たさを。

自分とこの大自然とが一体となっていくような、不思議な感覚。

 

その時だった。

彼の耳に、声が聞こえた。

それは老人の声でも、ましてや神仏の声でもない。

それはこの谷そのものが発する声なき声。

あるいは彼自身の魂の奥底から響いてくる、声だったのかもしれない。

 

「あるがままを、受け入れよ」

 

その声に、彼の全身が打ち震えた。

涙が、とめどなく頬を伝う。

長かった迷いの森のその先に、確かな出口の光が見えた瞬間だった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!

 

空海の思想の根幹には、「即身成仏」――すなわち、この身このままで誰もが仏になれるという考え方があります。今回の物語で彼が得た「答えは、内にある」という気づきは、その思想の原点とも言えるかもしれません。

 

さて、迷いを振り払った真魚。

彼はこの谷で、ある特別な儀式を執り行うことを決意します。

 

次回、「岩窟の護摩」。

谷に、祈りの炎が灯されます。

 

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