古代山陽道・大山駅の駅子日誌 第4話:旅人の一夜
作者のかつをです。
第三章の第4話をお届けします。
今回は、名もなき旅人とのささやかな交流を描きました。
歴史を動かすのは、英雄や権力者だけではない。
普通の人々の、日々の営みこそが時代の礎なのだという、温かいメッセージを感じていただければ幸いです。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
尊大な役人が新しい馬に乗り、意気揚々と去っていった後、駅家にはいつもの穏やかな日常が戻ってきた。
しかし、タケルの心は晴れなかった。
あの役人の人を人とも思わぬ態度。そして密書に込められた、どす黒い陰謀の匂い。
都という場所が恐ろしく、そして汚れた場所に思えてならなかった。
そんなある日の夕暮れ、一組の年老いた夫婦が駅家を訪れた。
遠い都から何ヶ月もかけて、故郷である九州の宇佐八幡宮を目指して旅をしているのだという。
「どうか、一夜の宿を恵んではくれまいか」
夫婦の顔には長旅の疲れが深く刻まれていたが、その表情はどこまでも穏やかだった。
彼らは粗末な食事にも心から感謝の言葉を述べ、タケルたち駅子の働きを優しく労ってくれた。
その夜、タケルは縁側で一人星を眺めていた。
すると老人が、静かに隣に腰を下ろした。
「若いの、何か悩み事かな」
老人の優しい声に、タケルは思わず胸の内を打ち明けていた。
先日来た役人のこと。都の非情な権力争いのこと。
自分の仕事がそんな陰謀の片棒を担いでいるのかもしれないと思うと、虚しくなるのだ、と。
老人は黙ってタケルの話を聞いていた。
そしてすべてを聞き終えると、夜空の月を指さして静かに言った。
「月も見なされ。光り輝く面もあれば、影に隠れた面もある。都も人も、それと同じじゃよ」
「確かに都には、お主が見たような醜い争いもあるじゃろう。じゃがな、わしらのようにただひたすらに、故郷の神に祈りを捧げたいと願うか弱き民もおる」
老人は続けた。
「お主たちの仕事は、確かに陰謀を運ぶこともあるやもしれん。じゃがそれと同時に、わしらのようなか弱き民のささやかな祈りや願いも運んでおるのじゃ。そのことを、忘れてはならんよ」
老人の言葉が、タケルのささくれ立った心を優しく溶かしていくようだった。
そうだ。道は権力者のためだけにあるのではない。
この道の上を様々な人々が、それぞれの人生を背負って歩いているのだ。
自分の仕事は、その無数の人生を繋ぐこと。
そう思うと、自分の仕事が少しだけ誇らしく思えた。
翌朝、老夫婦は何度も何度も頭を下げて旅立っていった。
その小さな背中を見送りながら、タケルの心は不思議なほど晴れやかだった。
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古代山陽道は、公的な使者だけでなく商人や巡礼者など、様々な人々が往来するまさに「人生の交差点」のような場所でした。そこでは日々、数多くの出会いと別れが繰り返されていたことでしょう。
さて、少しだけ仕事への誇りを取り戻したタケル。
そんな彼に今度は、人生で最も胸がときめき、そして悩むことになる特別な「荷」が託されます。
次回、「許されぬ恋文」。
若き駅子の淡い恋の物語です。
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