古代山陽道・大山駅の駅子日誌 第1話:駅家の朝
作者のかつをです。
本日より、第三章「都の文と峠の馬 ~古代山陽道・大山駅の駅子日誌~」の連載を開始します。
今回の主役は、奈良・平安時代、情報の伝達路であった駅家で働いていた、名もなき若者です。
都への憧れと、田舎での退屈な日常。そんな、どこにでもいるような若者の視点から、古代の瀬野の姿を描いていきます。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
広島市安芸区瀬野。
かつてこの地を貫くように、一本の道が走っていた。都と地方を結ぶ大動脈、古代山陽道である。
そして旅人や馬が休息し、情報を中継するための重要な拠点「駅家」が置かれていた。その名を、大山駅という。
これは、歴史の表舞台には決して登場しない、名もなき駅の、名もなき若者の物語である。
◇
鶏の鳴き声が、朝霧を切り裂く。
タケルは冷たい水で顔を洗い、眠気を無理やり追い出した。
彼の職場は、大山駅。ここで生まれここで育った、十六歳の駅子だ。
駅子の仕事は、夜明けと共に始まる。
まずは厩舎にいる十数頭の駅馬の世話だ。乾草をやり、体を拭い、蹄に異常がないかを確認する。馬たちはこの駅家の、そして国の財産であり、少しの不行き届きも許されない。
「タケル、ぼさっとするな! 今日は、西へ向かわれられるお役人様が昼過ぎにお着きになるぞ!」
駅長である父の、雷のような怒声が飛ぶ。
タケルは慌てて背筋を伸ばした。
正直、この仕事が退屈で仕方がなかった。
毎日毎日、同じことの繰り返し。馬の世話、厩舎の掃除、そして時折やってくる役人たちの尊大な態度にへりくだること。
彼らの口から語られる、遠い都の華やかな話。
きらびやかな寺院、美しい姫君、そして国の政を動かす壮大な陰謀。
聞けば聞くほど、この瀬野の谷間がちっぽけで色のない場所に思えてくる。
(俺は、いつまでこんな場所で馬の糞の始末をしていなきゃならんのだ……)
タケルは西の空を見上げた。
この道のずっと先、険しい大山峠を越えた先に安芸の国の国府がある。そしてさらにその先には、夢にまで見る都があるのだ。
いつかこの道を、自分の足で駆け抜けてみたい。
そんな叶わぬ夢を抱きながら、彼は手にした桶に新しい水を汲んだ。
駅家の朝はいつもと同じように、ゆっくりと、そして確実に始まろうとしていた。
彼がこの道の上で、やがて国の大きなうねりに触れることになるとは、まだ知る由もなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第三章、第一話いかがでしたでしょうか。
古代の「駅」は、単なる休憩所ではなく、情報と交通を支える国家の重要なインフラでした。そこで働く駅子たちは、まさにその最前線を担う存在だったのです。
さて、退屈な日常を嘆く主人公・タケル。
しかし、そんな彼の元に都からの「特別な報せ」が舞い込んできます。
次回、「早馬の鈴」。
駅家の穏やかな日常が破られます。
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