昭和水害と落合道標の奇跡 第3話:龍の怒り
作者のかつをです。
第二十章の第3話をお届けします。
水害の爪痕と、人々の絶望。
そして、町のシンボルであった道標の喪失。
物理的な被害だけでなく、精神的な支柱を失った人々の悲しみを描きました。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
一夜明けて、風雨は嘘のように収まっていた。
しかし、目の前に広がる光景は、地獄そのものだった。
田畑は泥の海と化し、家々は傾き、あるいは流されていた。
道路は寸断され、鉄道の線路は飴細工のようにねじ曲がって宙に浮いている。
健一は、高台の避難所から呆然と町を見下ろしていた。
「……何もかも、なくなってしもうた」
隣で、幼馴染の女性が泣き崩れている。
彼女の家は、跡形もなく流されていた。
健一は、泥の中を歩き出した。
生存者を探し、少しでも使えるものを拾い集めるために。
足元には、大切にしていたであろうアルバムや、着物、茶碗のかけらが散乱している。
それぞれの家族の、ささやかな幸せの証。
それが、一晩にして泥にまみれてしまった。
中倉神社の境内には、龍王社があった。
そこもまた、ひどい被害を受けていた。
社は傾き、境内の木々はなぎ倒されている。
「龍神様の怒りじゃ……」
老人たちが、震えながら手を合わせている。
戦争に負けたことへの怒りか、それとも自然をないがしろにしてきた人間への警鐘か。
健一は、やるせない怒りを覚えた。
戦地で、多くの仲間が死んだ。
そして今、故郷でも多くのものが失われた。
生き残った自分に、一体何ができるというのか。
無力感が、泥のように重く彼にのしかかる。
その時、ふと彼の目に、ある異変が飛び込んできた。
落合橋のたもと。
あそこには、確か道標があったはずだ。
西国街道を行く人々を、何百年も見守ってきた、あの石柱が。
ない。
影も形もない。
巨大な石の塊でさえ、濁流は軽々と押し流してしまったのか。
「道標まで、流されたんか……」
それは、単なる石がなくなったということ以上の意味を持っていた。
この町の歴史が、そして復興へと歩むべき「道」そのものが、失われてしまったかのような喪失感だった。
健一は、泥の海に向かって立ち尽くした。
自分が進むべき道もまた、濁流の中に消えてしまったように思えた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
落合の道標は、江戸時代から西国街道の分岐点に立っていた重要なランドマークでした。それが流失したことは、当時の地域の人々にとって大きなショックだったと伝えられています。
さて、絶望に沈む瀬野の町。
しかし、人々は泥の中から少しずつ立ち上がり始めます。
次回、「濁流に消えた道標」。
失われたものを探す、健一たちの戦いが始まります。
物語の続きが気になったら、ぜひブックマークをお願いします!




