野原山城跡、石の神様が見た夢 第5話:忘れられた丘の上で
作者のかつをです。
第十七章の第5話をお届けします。
近代化の中で一度は忘れ去られ、そして再発見される文化財。
物言わぬ石の視点から、現代社会の忘却と、郷土愛による再生を描きました。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
昭和の時代。
日本は、高度経済成長の波に飲まれていた。
瀬野の町にも、ブルドーザーが入り、山が削られ、道路が広げられた。
古い家並みは次々と新しい住宅へと変わり、田んぼは埋め立てられた。
ある日、我々がいた寺の参道も、道路拡張の工事に巻き込まれることになった。
「この石仏、どうしますか?」
「邪魔だなあ。まあ、とりあえずあっちの藪の中にでも置いておくか」
工事の作業員たちは、我々を重機で無造作に吊り上げ、参道から離れた雑木林の奥へと移動させた。
そこは、誰も通らない場所だった。
鬱蒼とした草木に覆われ、日は差さない。
我々は、再び「忘れられた存在」となった。
かつての廃城の時と同じだ。
しかし、今度は少し違っていた。
近くから、車の走る音や、電車の走る音が、絶え間なく聞こえてくるのだ。
世界は、こんなにも賑やかで、忙しなく動いているのに。
我々の周りだけが、時間が止まっている。
土埃と、排気ガスの匂い。
かつての、土と草の匂いは消えてしまった。
訪れる人は、誰もいない。
供え物をしてくれる人も、手を合わせてくれる人もいない。
我々は、ただ、草に埋もれ、風雨に晒され、少しずつ風化していった。
顔の形も、手の形も、少しずつぼやけていく。
(我々の役目は、もう終わったのだろうか……)
人々は、もう神になど祈らないのかもしれない。
科学と技術が、すべての願いを叶えてくれる時代になったのかもしれない。
寂しさよりも、諦めに似た感情が、石の身体を冷たくした。
何十年という月日が流れた。
平成が終わり、令和という新しい時代が来た。
ある雨上がりの日。
雑木林の草をかき分ける、懐かしい音が聞こえた。
人間の、足音だ。
「……あった! これだ!」
現れたのは、カメラを手にした一人の初老の男性と、数人の若者たちだった。
彼らは、「郷土史研究会」のメンバーだった。
「資料にあった通りだ。野原山城から移されたという、幻の道祖神……。こんなところに埋もれていたなんて」
男性は、我々の身体についた泥を、丁寧に手で拭ってくれた。
その手の温かさは、数百年前に我々を山から下ろしてくれた、あの百姓の手と同じだった。
「かわいそうに。今まで気づかなくて、ごめんなさいね」
彼らは、我々の周りの草を刈り、きれいに掃除をしてくれた。
そして、小さな花を供えてくれた。
久しぶりに見る、人間の優しい顔。
久しぶりに聞く、感謝の言葉。
我々は、忘れられてはいなかった。
時代が変わっても、古いものを大切に思う心は、まだ、人間たちの中に残っていたのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
高度経済成長期には、多くの石仏や史跡が開発の陰で失われたり、移動させられたりしました。しかし近年、そうした地域の歴史遺産を見直し、保存しようとする動きが活発になっています。
さて、再び光の当たる場所へと戻った道祖神。
長い旅の果てに、彼らは今、何を思うのでしょうか。
次回、「石が見た数百年(終)」。
第十七章、感動の最終話です。
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