河内神社と瀬織津姫の秘密 第1話:せせらぎの声
作者のかつをです。
本日より、第四部「伝奇・民話編 ~土地に眠る不思議な物語~」の連載を開始します。
第十六章は、瀬野川のほとりにひっそりと佇む「河内神社」の物語です。
ここに祀られているのは、歴史の表舞台から消されたとも言われる謎多き女神、瀬織津姫。
古代から現代まで、変わりゆく瀬野の景色を川面から見つめ続けた女神の視点で、土地の歴史を振り返ります。
※この物語は史実や伝承を基にしたフィクションです。登場する人物、団体、事件などの描写は、物語を構成するための創作であり、事実と異なる場合があります。
広島市安芸区瀬野。
この町の中央を、一本の川が流れている。瀬野川である。
その源流は遠く山々に発し、谷を削り、平野を潤し、やがて海へと注ぐ。
川沿いの道を歩いていると、ふと、木立の中に小さな鳥居を見つけることがあるだろう。
「河内神社」。
瀬野には、この名を持つ神社がいくつか点在している。
そこに祀られているのは、瀬織津姫という女神である。
神道の祝詞「大祓詞」にその名は登場するが、『古事記』や『日本書紀』には記されていない、謎多き女神。
川の瀬に坐し、すべての罪や穢れを海へと流し去る、浄化の神である。
これは、悠久の時を超えて、この瀬野川のせせらぎと共に在り続けた、一柱の女神の独白である。
◇
私は、見ている。
水面が、朝日できらきらと輝いている。
川底の小石が、冷たい水流に洗われ、転がり、形を変えていく。
私の名は、瀬織津姫。
人々がそう呼ぶ以前から、私はここにいた。
私は水であり、流れであり、そして、過ぎ去る時間そのものである。
この谷あいに、まだ人が住んでいなかった頃。
ここは、暴れ川が支配する荒々しい土地だった。
大雨が降れば水は濁流となり、谷を削り、巨岩を押し流した。
私は、その荒ぶるエネルギーそのものだった。
やがて、小さな生き物たちが現れ、森が生まれ、そして、人間たちがやってきた。
彼らは、川を恐れ、そして、川を愛した。
飲み水を得るため、身体を清めるため、そして、田畑を潤すため。
彼らは、川のほとりに住み着き、私の声に耳を澄ませた。
「荒ぶる神よ、どうか鎮まりたまえ」
「恵みの水よ、どうか枯れることなかれ」
彼らは、川の淀みや、巨岩の陰に、小さな祠を建てた。
それが、私と人との、最初の接点だった。
私は、彼らの祈りを聞いた。
日照りの日には、その渇きを癒やす雨を乞う声を。
洪水の夜には、怒れる水を鎮めようとする必死の叫びを。
私は、ただ流れることしかできない。
しかし、その流れの中に、人々の喜びも悲しみも、すべて飲み込み、海へと運んでいくことはできる。
罪も、穢れも、後悔も。
すべてを水に流し、新しい明日を迎えるために。
私は、この瀬野の地で、数えきれないほどの人々の人生を見送ってきた。
古代の旅人、戦国の武士、街道を行く商人、そして、鉄の馬を操る男たち。
時代は移り変わる。
景色も変わる。
しかし、川の流れだけは、変わることなくここにある。
さあ、語ろうか。
私がこの水面から見つめてきた、愛おしき人間たちの、記憶の断片を。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
第十六章、第一話いかがでしたでしょうか。
瀬織津姫は、祓戸四神の一柱で、川の早瀬にいて罪穢れを流す神様です。瀬野川流域に河内神社が多いのは、やはり水害への畏怖と、水の恵みへの感謝があったからなのでしょう。
さて、女神の記憶は、遥か古代へと遡ります。
そこには、物語の始まりに関わる、ある一行の姿がありました。
次回、「古代の祈り」。
第一章で描かれた、あの旅人たちの姿を、川の視点から見つめます。
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